西森豊
『月刊福祉』2001年10月号(9月6日発売)掲載 p.76-81 〜シリーズ論点〜
ことし5月5日、東京で、子どもの臓器移植に関する二つの催しがあった。一つは、日本小児科学会主催の公開フォーラム「小児の脳死臓器移植はいかにあるべきか」。このフォーラムには、子どももおとなも、本人の意思表示がなくても家族の同意だけで臓器提供してもよいという臓器移植法改正案を発表した町野朔氏や、子どもの臓器提供には、本人の意思表示と親の同意が必要であるとする改正私案を共同提案した、森岡正博・杉本健郎両氏も出席していた。もう一つの催しは、日本移植者協議会の街頭行動で、「小さな子どもたちにも臓器移植の道を」というスローガンのもとに、パレードをおこない、臓器提供意思表示カードを配布し、臓器移植法改正の請願署名を集めた。日本移植者協議会は、おとなの臓器提供には本人の意思表示と家族の同意が必要だが、子どもの臓器提供には親の同意だけでよいとする、改正案を発表している。
周知のように、現在の日本では、脳死の子どもからの臓器提供は実施されていない。それゆえ、子どもに移植手術を受けさせるため、海外渡航する人々が跡を絶たない。それでは、国内で、脳死の子どもからの臓器移植を実施するとすれば、どのように法律を改正すればいいのか。
日本は、子どもの権利条約を批准している。そこには、次のような権利が掲げられている。
第6条「生命に対する権利」、第12条「意見表明権」、第14条「思想・良心・宗教の自由」、第19条「虐待・放置・搾取からの保護」。これらの条項と矛盾せずに、子どもが、移植医療を享受する権利と、安らかに死ぬ権利とを、両方とも保障することができるだろうか。
移植医療では、脳死・心臓死・生体からの移植後の精神的な支援が、レシピエント側、ドナー・ドナー家族側双方にとって重要である。その前提として、自由な意思決定の保障がある。ドナー側についていえば、移植するしないにかかわらず、脳死という状態においては、看取りのケアが必要であるし、移植のための臓器提供に際しては、家族の意思を尊重するための、家族への精神的支援、情報提供、また、そもそも、移植医療システム全体の中で、臓器提供者本人の意思を尊重するため、意思決定以前の情報提供が重要となってくる。それゆえ、病院での医療ソーシャルワーカーや移植コーディネーターのサーヴィス、学校での死の教育などが課題となる。
さらに、子どもからの臓器提供においては、親による子への虐待の問題がある。実際、臨床的に脳死と診断された子どものなかには、虐待の犠牲者があったことが報告されている。
諸外国では、本人の事前の意思表示がなくても、家族の同意だけで臓器提供ができる国も多い。そのなかでたとえば、USAでは、ドメスティック・バイオレンスの犠牲者が脳死状態となり、加害者が配偶者であることがわかっていても、その配偶者からインフォームト・コンセントをとる。また、親の虐待によって子どもが脳死状態になったことが明らかな場合でも、その親からインフォームト・コンセントをとる。親の承諾の後、検視官が臓器の摘出を拒否する場合も多いのだが、州によっては、臓器調達機関が、検視局と交渉し、臓器摘出の許可をふやす努力をしている。乳幼児突然死症候群によって脳死に到った場合も、同様のことがおこなわれている。
1997年に施行された臓器移植法では、生体からの移植は規定していないが、脳死・心臓死からの移植について規定している。心臓死からの角膜・腎臓の移植は、1979年施行の「角腎法」の規定を、当分の間の経過措置として残しており、本人の事前の書面による意思表示がない場合でも、本人が拒否の意思表示をしていなければ、家族の承諾によって臓器を摘出することができる。これに対して、脳死からの移植は、本人の意思表示を原則とする。すなわち、第6条により、本人が事前に、法的脳死判定を受ける意思と、臓器提供の意思を、書面で表示しており、家族もまた、法的脳死判定と臓器提供を拒否しなかった場合にのみ、実施される。
通常、法的な脳死判定に先立って、いわゆる、臨床的な脳死が診断されている。これは、臓器移植とは関係なく、患者の予後の診断のためにおこなわれるものであり、臨床的に脳死と診断されたからといって、その時点で、死亡宣告がおこなわれることはなく、したがって、延命治療を続行した場合、健康保険も適用され続ける。
臓器移植法の運用の指針(ガイドライン) によると、法的脳死判定と臓器提供について、書面の意思表示ができる人は、15歳以上とされている。したがって、15歳未満の子どもは、移植手術を受けることはできるが、臨床的に脳死と診断された場合に、法的な脳死判定を受けて、臓器を提供するということは、できない。
また、1997年の段階では、6歳未満の子どもを対象とした、法的脳死判定の基準が作成されていなかった。臨床的に脳死と診断された例が少なく、標準的な判定基準を作ることができないとされていた。幼い子どもの場合、脳の損傷に対する抵抗力が強く、臨床的に脳死と診断されてから、おとなでは考えられないほど長期間にわたって、容態が安定して持続したり、脳波が出現したり、成長することさえある。諸外国では、子どもの脳死判定は、おとなの脳死判定基準とは別に、より厳しい基準で実施されている。しかしそれでもなお、子どもの脳死には、まだ、わかっていないことが多いとし、脳死判定の基準や脳死の概念自体に異議を唱える医師もいる。
臓器移植法は、施行から3年後に見直しをすることが、附則によって定められている。それによって、2000年には、トリオ・ジャパン、日本移植者協議会、日本移植支援協会、など、さまざまな移植患者団体が、それぞれ、海外と同じように、家族の同意だけで(あるいは、親の同意だけで子どもの)臓器提供ができるように法改正してほしい、という要望書を、厚生労働省(旧厚生省)に提出した。要望書では、6歳未満の子どもの脳死判定基準の作成や、臨床的脳死と法的脳死という、二つの脳死が分けられていることも問題としている。
脳死判定については、厚生労働省は、2000年に、6歳未満の子どもを対象とする基準を発表した。それに対して、批判意見も出ており、2001年の脳死・脳蘇生学会で発表されている。
改正諸案は、インターネット上の、森岡正博作成のウェッブページ「臓器移植法改正を考える」 ( http://member.nifty.ne.jp/lifestudies/ishokuho.htm http://www.lifestudies.org/jp/ishokuho.htm)で、まとめて読むことができる。
(1)「研究課題:臓器移植の法的事項に関する研究 ―特に「小児臓器移植」に向けての法改正のあり方―」(厚生労働省研究班最終報告書、通称町野案)、
(2)「『臓器の移植に関する法律』の改正にむけて─要望と改正案─」(日本移植者協議会案)、
(3)「子どもの意思表示を前提とする臓器移植法改正案の提言」(通称森岡・杉本案)、
(4)「脳死否定論に基づく臓器移植法改正案について」(「現代文明学研究」第3号掲載、通称てるてる案)
これらの改正案の論点は、意思決定の自由をどのように保障するか、にある。すなわち、
(1) 町野案では、臨床的な脳死の診断で死亡宣告をおこない、臓器提供について、本人の拒否の意思表示がなければ、成人は家族の同意のみで、未成年は親の同意のみで、臓器を摘出できる。
(2) 日本移植者協議会案では、法的脳死判定について、本人も家族も同意を必要とせず、かつ法的脳死判定で死亡宣告をし、臓器提供について、15歳以上の人は、本人と家族の同意があれば臓器を摘出でき、15歳未満の人は、本人の同意がなくても親の同意があれば臓器を摘出できる。
(3) 森岡・杉本案では、脳死判定と臓器提供について、15歳以上の人は、本人の事前の書面による意思表示と家族の同意が必要で、15歳未満の人は、本人の事前の書面による意思表示、ただし親によって認められたものと、臨床的な脳死の診断の後、最終的な親の同意が必要である。なお臓器提供ができる年齢の下限について、12歳以上と6歳以上と、二通りの案を出している。
(4) てるてる案では、脳死判定について、本人も家族も同意を必要としないが、死亡宣告はせず、臓器提供について、成人は、本人の事前の書面による意思表示、ただし保証人の署名のあるものと、本人が脳死について理解していることを示す書類(チェックカード)、および保証人の立ち会いで臓器を摘出でき、未成年は、本人の事前の書面による意思表示、ただし保証人の署名のあるものと、チェックカード、保証人の立ち会い、および、養育者または配偶者の同意が必要である。なお、3歳以上6歳未満の子どもで、本人の事前の書面による意思表示がない場合、幾つかの条件を家庭裁判所で審査して、臓器提供を認めることができる。3歳未満の子どもの臓器提供は認めない。
(1)〜(4)を比較すると、次のような長所・短所がある。
(1) 町野案は、海外の多くの国々の臓器移植法や、トリオ・ジャパンの要望書とも内容が一致し、おとなからも子どもからも、年齢に関係なく、臓器の摘出ができる。しかし、移植のために臓器を提供しない場合でも、脳死と診断された人には死亡を宣告するので、家族がなお延命治療を望んだ時に健康保険を適用できるのか、また、本人の事前の意思表示がなくても家族の同意だけで臓器を摘出できるとしているが、市民ひとりひとりに対して、意思表示していない場合は提供の意思があると推定してもいいのか、さらに、未成年は親の同意だけで臓器提供ができるのは、子どもの権利条約の諸項目、特に意見表明権を認めていないのではないか、という問題がある。
(2) 日本移植者協議会案は、15歳以上の人の臓器提供については、本人の意思表示の原則を守っている。しかし、法的脳死判定の受け入れを本人・家族に確認しなくてもいいのか、また、15歳未満の子どもの意見表明権を認めていないのではないかという問題がある。
(3) 森岡・杉本案は、おとなにも子どもにも、臓器提供と脳死判定について本人の意思表示の原則を守り、家族の意思も尊重している。しかし、年齢に下限があるので、乳幼児が移植を受けることができない。
(4) てるてる案は、臓器提供について本人の意思表示の原則や、脳死と診断された人の延命治療に健康保険を適用する権利を守っている。しかし、年齢に下限があるので、乳児が移植を受けることができない。
2001年7月1日、臓器移植法施行後、第14例目の臓器移植(第15例目の法的脳死判定による)が実施された。ここで、日本の移植医療における、新たな問題が発見された。それは、臓器の提供先に親族を指定することが許されるか、ということである。
通常、生体からの移植は、親族間で実施され、医師が、患者の家族に、臓器提供の話を切り出す。しかし、脳死・心臓死患者からの臓器移植で、親族からの臓器提供の話を、医師が、患者や家族に切り出すわけに行かない。善意の他者からの無償の臓器提供を待たなければならない。それゆえ、1997年に制定された臓器移植法は、第2条「基本的理念」の第4項で、「移植術を必要とする者に係る移植術を受ける機会は、公平に与えられるよう配慮されなければならない」と定めている。その理念に従って、臓器の配分は、医学的適合性によって順番を決めることとなっている。一方、第2条「基本的理念」の第2項では、「死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重されなければならない」と定めている。親族への提供の意思は、この本人の意思の尊重の理念に照らして、許されると考える立場の者もある。
実はこれまでも、心停止後の腎臓提供では、親族への提供の希望が優先された例があったが、問題として表面化しなかった。今回、この問題が明るみに出たのは、脳死後の腎臓提供であったからである。
この移植事例の臓器提供者は60歳代で、50歳代と40歳代の親族に、腎臓が提供された。特に、次の諸点が問題であると指摘されている。
(1) レシピエントは、臓器提供希望者が臨床的に脳死と診断されるまで、移植待機患者として日本臓器移植ネットワークに登録していなかった。
(2) 親族に臓器を提供したいという希望は、医師が回復不可能と告げた後、複数の親族が証言したが、本人が事前に表明した書面はなかった。
この2点は、前述のとおり、臓器移植法の第2条第4項、および第6条の本人の意思表示の原則を逸脱しているが、厚生労働省の見解では、違法とまでは言えないとし、今後のために新たなルール作りを進めると発表している。
以上の問題について、国会での法改正の審議は、まだこれからである。幅広い関心を集めるべく、積極的な報道と、慎重、かつ、徹底的な議論が望まれる。
町野案
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日本移植者協議会案
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森岡・杉本案
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てるてる案
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脳死判定の承諾
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必要なし
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必要なし
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本人と家族
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必要なし
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臓器提供の承諾を求める人
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成人は家族のみでもよい。
未成年は親の承諾 |
15歳以上は本人と家族、
15歳未満は親の承諾のみ |
15歳以上は本人と家族、
15歳未満は本人と親 |
成人は本人のみ、
未成年は本人と親 |
臓器提供できる年齢の下限 |
下限なし
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下限なし
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12歳以上と
6歳以上の
二通りの提案
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3歳以上
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