臓器を提供する相手を指定した脳死・臓器移植の事例 (2001/07/01 CASE)

2003.10.23. by てるてる

2001年7月1日、東京の聖路加国際病院で、臓器移植法に基づく脳死判定を受けた患者から提供された二つの腎臓が、患者の家族の希望で、二つとも患者の親族に移植された。 二人の親族は、日本臓器移植ネットワークに登録していなかった。

この移植事例は、2001年9月から2002年7月まで、厚生労働省の臓器移植委員会で議論され、パブリックコメントも募集された。委員会は、「国会で議論して、新たなルールが確立するまで、生前意思に基づく特定の人への臓器提供を当面認めない」という意見書を提出した。


Mainichi INTERACTIVE 科学環境ニュース 臓器移植

15例目の脳死判定−−東京・聖路加国際病院
[毎日新聞7月2日]
親族2人に腎移植、「脳死」14例目で初 ドナー希望で−−東京・聖路加国際病院
[毎日新聞7月2日]
「脳死者の臓器、親族提供は違法」−−市民団体が申し入れ
[毎日新聞7月5日]
脳死移植・原則外の親族提供、「問題ない」?−−厚労省は了解したが…
[毎日新聞7月6日]
東京・聖路加国際病院の脳死腎移植で、情報公開請求−−市民団体
[毎日新聞7月10日]
臓器移植先指定の生前意思 「当面は認めず」−−厚労省委が意見書
(毎日新聞2002年7月12日東京朝刊から)


臓器移植委員会(2001年〜2003年)

01/09/10 臓器移植対策委員会(第3回)議事録

○町野朔委員(上智大学法学部教授)

 人種の問題を持ち出したのは、外国で実際に例があったのです、イギリスであったと
思います。それはどうなったのか実は覚えてないのですが、非常に議論をしたことは覚
えております。それだけで他意はありません。
 生体のときに、本人の意思がはっきり認められるからということではないと私は思う
のです。さっき言いましたような理由で、あれは権利を制限している。権利を与えたも
のではなく、誰にやってもいいということではないということです。
 時間がありませんでしたので十分に調べられませんでしたが、生体の移植のことにつ
いて、相手は誰かということを規制してない法律として、スペイン法というのがあるの
だそうです。しかしその趣旨は誰にあげてもいいという趣旨ではない、ということはは
っきりしているということらしいです。
 ヨーロッパとか移植法についての世界的な傾向は、以上のようなものであると私は理
解しておりまして、私はそれが妥当なことだと思っておりました。だから今日の議論は
ちょっと意外であったのです。私はたった一人で、法律家の特有の議論であるといわれ
たのですが、そうではないと思います。倫理学者もお医者さんも入った上で世界の移植
法は作られているわけですから、法律家だけが作ったわけではないわけです。多数決で
決められるというのはそれはしょうがないことであると思いますが、必ずしも法律家の
特異な議論であるというふうに理解していただきたくはないと思います。

 

01/10/11 臓器移植委員会(第4回)議事録

○町野朔委員(上智大学法学部教授)

 かなり正確に伝えていただけたと思います。イギリスの例が、ヨーロッパでいちばん
注目されるわけですけれども、1998年の事件に関するものです。報告が出るまでにかな
り時間がかかっていましたが、かなり強い調子で条件つきの臓器提供をネットワークに
乗せたということを非難しておりまして、今後は絶対にしてはならない、気がつくのが
遅い、おかしいというような趣旨でございます。ただ、私は全部、精読したわけではな
いのであまり自信がないのですけれども、これを報道したBMJなどは、この条件の中
で、たとえばたばこを吸う人間には心臓を提供しないとか、子供にだけ心臓を提供する
とか、そういうような条件もすべてだめだというような解説がされています。ただ、本
文の中にはこれはどうも見あたらなかったようでございます。しかし受け止め方として
は、単に親族ということだけではなくて、非常に広くいかなる条件も認めない、すべて
医学的なことでやるというようなことと受け止めました。
 それから、ドイツのことに先ほど触れられましたけれども、ドイツの場合は日本と同
じような、「緑の党」の案というのがありまして、脳死は人の死ではない、しかし本人
が承諾すれば提供できる、というものも提案されました。これは敗れたわけですけれど
も、その提案者たちも提供先を自己決定として言えるのかということまでは訳していな
くて、ただ、議会の公聴会の中といいますか、その中の意見で、そういうことになるの
かなあというような意見が2、3あったぐらいであったと聞いております。
 韓国の法はもともと基本的には本人のOpt-inがなくても提供しうるというところです
けれども、そこで今回あった事件は、親族のほうが提供先を指定したという件で、その
ときに、やはり受け取らなかったということのようです。韓国は非常に家族主義が強
く、恐らく日本よりも強いと思われるわけですが、そのようなところでも、このような
扱いをされているというのはかなり興味深いところだろうと思います。

 

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Should there be conditions attached to organ donation?
BBC NEWS: Wednesday, July 14, 1999

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01/12/12 第5回 厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会議事録

○丸山英二参考人(神戸大学大学院法学科教授)

 丸山でございます。まず自己紹介です。私は昭和49年、1974年に大学を卒業しました
。そのまま助手に採用されまして3年間52年まで助手期間で、その間に一本論文を書か
ないといけない。アメリカの医療をやりたいと、私は法学部なので法的側面からやりた
いと思っていたのですが、先ほど児玉先生から言及されました統一死体提供法が68年に
最初のものができておりますので、その影響などもあったのだろうと思います。それで
、私は臓器移植の法的問題を助手論文に書きました。
 それで助教授になって以後は、アメリカの材料を主として使いながら生命維持治療の
中止なり、インフォームドコンセントの問題、医療過誤の問題、妊娠中絶、避妊の問題
、生殖補助医療の問題、遺伝学、遺伝相談、精神医療、医療記録、医学研究、個人情報
保護、エイズの問題などを勉強してまいりました。大学ではアメリカ契約法を教えてい
るのですが、書くもの、話すものはほぼ医療に限られております。
 次に内容に入らせていただきます。この私の資料は3点ものになっています。「最初
の臓器提供先に関する本人の生前意思の取扱いについて」というのが今日の話の大体の
骨子であります。その後、法律について資料を付けております。最初がわが国の法律に
ついて、これまでこの提供意思について関わったものを取り上げ、死体解剖保存法から
現行法まで関連する部分を抜き出しております。
 私の授業に使っている教材を、少しいじって作りました関係で、別のフォーマットに
なっております。
 その綴りの4ページ以下が児玉先生も引用してくださいました統一死体提供法であり
ます。当初は68年のものであったのですが、入院患者の提供意思の確認を入院時にする
ということを病院に義務づける規定を折り込むということで、87年に改正がなされてお
ります。先ほど、紹介がありましたように各州法のモデルとなるものです。
 最後はわが国の判決として昨年のものです。死体特に研究利用で死体がどう扱われる
か、わが国の裁判所のとらえ方の一つの例としてそれを入れておきました。話の内容に
移りたいと思います。
 こういう問題について法律の解釈をする際に、踏まえておくべき視点を幾つか掲げて
おきたいと思います。法律の解釈といいますのは、その法律の理念・趣旨に則して行わ
れなければならないというふうに私は考えております。特にこの場におきますように、
行政当局が解釈をなさる場合には、そのことが当てはまるのではないか。法律の趣旨を
踏まえるべきではないかと思います。
 現行の臓器移植法の趣旨、理念あるいは思想というのは、本人及び家族ないし遺族の
意思の重視であり、そのことはそれらの者の承諾が重点的に、あるいは重畳的に求めら
れている点に現れていると思います。
 また、本人が脳死判定に従う意思を表明して、かつ臓器提供の意思も表明していても
、家族ないし遺族が、本人意思の実現を拒むことができるとされているという点で、家
族・遺族の意思の優越が認められているということは否定できない、6条1項、3項の
ような文言が法律に置かれているところから否定できないと思います。
 こういうことになった系譜を見てみようというのが、視点の最初の現行法の性格及び
その由来です。
 性格のところはいま口頭で申したようなところで、あとで少し書いておりますが、あ
まり詳しくはレジュメには納めることができませんでした。
 医学的に死体を利用する際に、誰の意思がどういう形で表示されればよろしいのかと
いう問題につきまして、戦後ほどなく制定されました死体解剖保存法は遺族の承諾を死
体解剖について求めておりました。その後、角膜移植に関する法律が制定され、眼球の
摘出について遺族の書面による承諾を求めました。
 このあたりの時代では、遺族の承諾というのが注目されていたということが言えるか
と思います。
 その次に角膜及び腎臓の移植に関する法律になりますと、本人の意思も重要という認
識が高まってきて、一つの要件としては、遺族の書面による承諾があれば臓器の摘出が
できるとされたのですが、もう一つの可能性として、死者が生存中に書面によって承諾
をしていて、遺族が摘出を拒まないということがあれば、そういう場合にも角膜あるい
は腎臓の摘出を認めようというふうに、本人の意思を少し尊重する態度が出てまいりま
した。
 それを踏まえましたのが俗にいう献体法でございます。医学及び歯学の教育のための
献体に関する法律であります。死者の生存中の献体の意思の書面による表示及び遺族の
拒まないという態度があれば、献体として用いることができる。それとこの法律の中に
は書いてないのですが、一般法として、死体解剖保存法が適用されることになりますの
で、それに基づいて遺族の承諾があればいいということになりますので、または遺族の
承諾と書いております。
 脳死移植が問題になってきて脳死臨調の答申が出され、それを法律として具体化する
という問題が国会で現れた最初の動きが(e)の臓器の移植に関する法律案、「各党協
議会案」と呼んでおりますが、平成6年4月12日のものでありました。
 この法律では関係者の意思がどうであれば、脳死臓器も含めた臓器を移植に利用でき
るのかということに関して、ひとつの選択肢としては、死者が生存中に提供の意思を書
面によって表示して、遺族がそれを拒まないこと。または遺族の書面による承諾という
ことで、概ね角腎法あるいは献体法の要件と同じものが考えられていたわけです。
 しかしながら法案の審議が進みませんでして、そのこともあって(f)平成8年6月
に遺族の書面による承諾でやれるというところは落としてしまいまして、死者の生存中
の提供の意思の書面による表示及び遺族が摘出を拒まないという場合でないと、やって
はいけないというふうに、これは中山議員を中心とする人たちから修正案が出されまし
た。
 その後、それで一応衆議院はこの線で法律案が可決されたわけですが、平成9年6月
の時点では、参議院ではなかなか審議が進行しないということで、参議院の関根議員が
さらに修正を加えまして、ご存じのとおりに脳死判定に従うことについても、本人の生
前の意思表示及び家族が脳死判定を拒まないという要件を加えた、レジュメにある(1)
を加えて、従来の要件である(2)に上乗せしたということであります。
 こういう過程を見てまいりますと、レジュメには入っておりませんが、現行法におけ
る本人及び家族・遺族の意思尊重という性格、特に後者の家族・遺族に拒否権を認めて
強い発言権を与えているという性格は、法案の審議の過程で、fとgの修正が加わった
、中山修正、関根修正が加わったというところから否定できない、と言わざるを得ない
と思います。
 そして、本人の意思の尊重というのは、これまでの議論の記録を拝見しますと、文言
として現行法の第2条1項があげられておりますが、これはその議論の過程の中でも指
摘がありましたように、献体法の段階で入れられ、当初は親族の意思と本人の意思が対
立した場合にどちらを優先させるかという問題を念頭に置かれたもので、本人意思の尊
重、今の問題を考える際の本人意思の尊重として引き合いに出すべきものではないと思
われます。
 むしろ、本人意思あるいは家族の意思を尊重しているという性格は、第6条の規定自
体に求めるべきものであるというふうに考えます。
 ですから第2条1項が現在の問題を考える際に、直接関連性がないということは確か
にそうですが、だからといって本法が本人意思あるいは家族・遺族の意思を非常に重視
している。それも臓器の提供を狭める方向で重視しているという性格のものであるとい
うことは、認めざるを得ないというふうに考えます。
 2つ目の視点です。生体臓器移植、これにつきましては臓器の摘出要件について法律
の規定が存在しません。その生体臓器移植がどのようになされているかからのアナロジ
ーも押さえておくことが必要だろうと思います。法律が存在しませんので、その適法性
につきましては、目的とか、摘出がドナーに及ぼす危険性とか、あるいは摘出の方法や
手続き、インフォームドコンセントなどもこの中に含まれるかと思いますが、そういう
点に配慮して、最終的には社会的判断が下されるのではないかと思います。
 そういう社会的判断をくだす際には、先ほどの波平先生のお話の内容などが非常に大
きく関わってくる。これは生体に限らず死体についてもそうなのですが、大きく関わっ
てくるものではないかと思います。
 3番目の視点です。わが国における死体の法的取扱い、特に医学的利用に関する取扱
いについて、3つ目の資料として添付した判決が昨年下されております。
 レジュメか判決のコピーかどちらで見てもいいのですが、せっかくこちらもコピーし
てくださいましたので、この80ページの冒頭の要約を参照していただければありがたい
と思います。
 大学病院を持つ学校法人が死者の遺体を遺族の承諾を得て解剖し、臓器をプレパラー
ト等にして保存する関係は、遺族の学校法人の間の寄付(贈与)または使用貸借契約で
あり、信頼関係を失わせる事情がある場合には、遺族は将来に向かって取り消すことが
できる、とされた事例です。
 この場合において、遺族が学校法人との間の臓器の保存に関する契約を取り消し、所
有権に基づきプレパラート等の返還請求が認められた事例、ということです。遺族に本
人の死体の所有権を認め、遺族を所有者としたというところが、先ほどの児玉先生の話
された問題の観点からは重要ではないかと思います。
 この判決の法解釈ないし論理の妥当性はともかく、現実にこういう判決が日本の裁判
所で下されているということは否定できないことであろうと思います。
 4番目です。レジュメの次のページです。外国の立法例として、アメリカの統一死体
提供法がございます。私が助手になりまして最初にやりました作業が、これの翻訳であ
りました。その名称をどう訳するべきか、アナトミーとは何か、人体という意味らしい
ということで、この法律は死体のみ対象にしておりますので、死体と訳し、ギフトとい
うのは当時は提供という言葉がよく使われておりましたのでこのように訳しております

 この法律におきましては児玉先生からもご紹介いただきましたように、第6条で死体
提供の際に被提供者を指定することができるとされております。この法律につきまして
は詳しくやりますと時間がなくなりますので、私の資料の2つ目の綴りの4ページから
8ページまでに全文の翻訳を収めております。かなり以前に翻訳したものをそのまま入
れましたので固い訳が多いかと思いますが、児玉先生のお話を確認していただくことが
できるかと思います。
 この統一法といいますのは、各州の議会が法律を制定する際にモデルとするものであ
ります。このUniform Anatomical Gift Act については、すべての州がこれをひな型と
する法律を制定しております。先ほどこれのドラフティング、起草にあたるのはABA
だとおっしゃったのですが、ABAは出来上がったものを受け取って承認する立場にあ
りまして、具体的に一から作業を行うのは統一州法委員全国会議と呼ばれる公的色彩の
強い民間団体であります。
 そのような統一死体提供法で被提供者の指定が認められているということは押さえて
おきたいと思います。
 以上のような視点、観点から考えまして、私は臓器の提供先に関する本人の生前の意
思を尊重してもいいのではないかと考えます。その上で幾つかの論点であります。
 公平性の点で問題があるのではないか、ということがこれまでも既に議論がなされて
いるところです。しかし、生体臓器移植の場合にはそれが貫徹されておりません。匿名
性についても生体臓器移植では貫徹されてない。生体臓器移植は別であるという意見も
ありましたが、法律のない生体臓器移植がどういう条件下で認められているのかという
のは、この問題に関する社会的意見が大きく反映されているというように考えられるこ
とから、むしろ尊重するべき、参考にするべき情報ではないかと考えます。
 アメリカの事例と書きましたのは、ドナー家族があとでレシピエントと会うというよ
うなことが、アメリカであるように聞きましたので、死体臓器移植でも必ずしも匿名性
は貫徹されていないのではないかということです。
 レシピエントについての希望の表示がどういうものでないといけないか、書面でない
といけないか、口頭であっても十分な信憑性のある証言が得られる場合はいいのか、忖
度まで認めるのかということを書きました。これは省略します。
 4はレシピエントに関する希望における特定性の基準です。社会的問題が多い特徴に
よる指定は認められてはならないと思います。どういう特徴付けでレシピエントが指定
されるのはよろしくないかといいますと、人種、国籍、性別、年齢、障害というところ
です。年齢や障害となってきますと医学的な問題が絡まってくることが考えられますが
、そういう場合には別の配慮が必要であろうと思います。人種なり国籍なり性別なり年
齢なり障害なりが、裸でむき出しの形で何歳の人にとか、あるいは子どもに大人にとい
うことは、医学的な理由などの正当な理由がなければ、その点で指定するのは社会的に
問題が多いのではないかと思います。
 前回の資料の中に収められていましたイギリスの1998年の事例については、例えレシ
ピエントの指定が制度として認められるというようになっていても、人種による指定と
いうのは非常に問題が大きい、アメリカでは違憲とされる可能性が強いものであります
から、その事例をもって、死体臓器移植におけるレシピエントの指定についての本人希
望を認めるか認めないかの議論をするのは,ちょっと結論を間違わせる可能性があるの
ではないかと思います。
 次は実際上の問題であります。5です。希望を認めない場合にどうなるかです。本人
あるいは親族の希望を認めない場合には、遺族が提供を拒むことが予想されます。今回
の事例もそういうふうに伝えられたことがあるかと思います。逆にいうと希望を認めた
としても、その本人あるいは親族は、親族内でしか提供しない意思でありますので、ネ
ットワークを通じてあっせんされる臓器の数には変化はないといえると思います。
 ですから希望を認めても減らない。むしろ希望を認めると、そういう制度は提供者の
意思あるいは希望に柔軟に応じてくれる制度ということになって、現在の制度あるいは
そういう制度がより国民に身近に感じられるものになるのではないかとも考えられまし
て、結論としましては、親族に提供をしてほしいという本人の希望は容認されていいの
ではないかと思います。以上です。

 

02/03/13 第6回「厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会」議事録

町野委員

 移植医療の現場におられる多くの方々は非常に困っている問題だろうし、それで事務
局案は苦渋の選択だということは私はよく理解いたします。しかし、やはり私はこれは
基本的に間違っていると思います。前回の移植はルール違反だったということは認める
,だから今度はルールを作ろう、ということだと思いますけれども、そういう単純な問
題ではないように思います。
 第1の問題は、一番最初の比較衡量の問題だという基本的な考え方のところにありま
す。公平な移植医療に対する本人つまり提供者の側の意思の尊重という二つの問題があ
る。諸外国は本人意思を尊重している度合いが少ないので、日本とは違うということを
言われております。しかし、それは意思の尊重の仕方が違うだけでありまして、本人が
ノーといっていたら日本でも本人意思を諸外国がそれほど尊重していない、日本は尊重
しているからという議論の立て方というのは、出発点においては誤りだと思います。
 また、本人の提供する意思及び権利というものを尊重すべきだという議論が成り立つ
かということも第2の問題です。しばしばこの会議でも、そしてこの「論点」の中でも
整理されておりますように、生体の場合については、認めているじゃないか、だから死
体移植の場合には認めないのはおかしいという議論があります。しかしこれは、生体移
植と死体移植との間の相違を看過した考えです。
 そして生体移植の時は本人の権利のように見えますが、そうではないということは私
が再三申し上げたことでございます。本来的には死体からの臓器の提供が本筋であるの
ですが、それがなかなか得られないというような場合について、やむを得ず生体からの
臓器の提供を認めよう。これは生きている人の身体にメスを入れるということは、これ
は移植学会も言われております通り、基本的に認めるべき問題ではない。しかしやむを
得ないものとして認めるけれども、弊害をできるだけ少なくしようということです。い
くつかの論点がありますが、やっぱり一番大きいのはこの中で指摘されておりますとお
り商業主義を排除しよう、臓器の売買ということをやめよう、そのためには非常に近し
い範囲に限ろうということです。したがいまして、これは権利を認めたのではなくて、
やむを得ずしてこれをある範囲で弊害の少ないところだけを解除するということです。
 第3に、もしこれを権利ですということを認めるならば、たたき台として出されたル
ールには一貫したものがないと思われます。つまり、なぜ血縁者に限るのか、先程のよ
うな商業主義化を避けるということであるとするならば、必ずしも血縁者に限定する必
要はないと思われます。
 そしてさらにどうしてネットワークに登録していなければいけないのか。ネットワー
クに登録しておいてもどうせ先順供者を飛び越すのですから、何のためにこれをさせる
かわからない。ただお金をとるために登録をさせるのかということになるわけでして、
これはある意味で非常に手続き的なハンコだけにこだわる事務的な考え方だろうという
ふうに思います。
 権利であるということを認めるならば、この権利を行使するように積極的に啓発活動
をすべきだろうと思います。しかしそれはしないということを言われているのがよくわ
からない、これはやっぱり後ろ暗いところがあるから啓発しないということだろうと思
わざるを得ない。もし権利であるというふうに言われるならば、積極的に、みんなにこ
ういうことはできますよ、身内の人に残せますよということを言うべきであって、それ
をやるのが筋道であって、それを隠しておいて出てきたらこれを認めるというのは、や
はり正しい対応とは言えないと思う。フェアではないだろうと思います。
 いまこのような権利を認めるということになりますと、たたき台の範囲に限定する必
然的な理由はどこにもないと言わざるを得ないと思います。これに対して、どの範囲の
人に提供することを認めるかには、合理的な限定があるといわれるかも知れません。し
かし限定があるとすれば商業主義を避けるということしか私はあり得ないだろうと思い
ます。そうするとその弊害がないところではどこまで認めていくといわざるを得ないと
いうことであります。
 これに対して、それは自己決定権の範囲を越えているということを言われることがあ
ります。しかし、自己決定はそもそも客観的合理性のないところに認めるのが自己決定
なのであります。合理性があるところで自己決定を認めるということは、自己決定権の
思想的な意味をおそらく理解しない考え方であろうと思います。百人がお前は治療を受
けるべきだと言ってるのにも関わらず、私一人が受けないと言う権利を認めるのが自己
決定権です。したがいまして合理性の範囲内での自己決定ということは、これは理論的
には誤りであろうという具合に思います。
 第4に、やはり不公平なことでございます。ネットワークでの順番を飛び越すという
ことの不公平さというのは、この中にも指摘されておりますが、何よりもこのやっぱり
臓器移植がスタートした時、私は移植学会の野本先生らの言われることはそのとおりで
あると思いました。やはり公明公平な移植医療でなければならない。そして個人の恣意
的なこと、個人の好みによって左右されるということはやっぱり避けなければいけない
、そして透明性を確保しなければいけない。私はそのスタートの時がやっぱり正しかっ
ただろうと思います。
 この臓器移植法はいろいろなところで奇妙な修正を受けたということはありますが、
この点については変わらなかっただろうと思っております。しかし、いまこれを正面か
ら否定するということを私は認めるというのは、やはり妥当ではないだろうと思われま
す。
 これは小さいことのように思われますが、日本の移植医療のこれからのあり方にかな
り関係して来ることだろうと思います。日本では臓器移植がいろんな法律上の理由とか
、いろんな事情でかなりできなくなっているということがあります。もちろんこれが正
義の観点からやむを得ないことであるならば、死んでいく患者に対しても、これはやむ
を得ないことなんだ、ということはできる。しかしそうではなく、日本に生まれたこと
の不幸を嘆けとしか言えないような状態だと思います。そしてそれらの患者たちは海外
に行って移植を受けたりしているわけです。
 そしてそのような事態を放置しておきながら、今度は身内にあげるという意思を重視
すべきだという考え方というのは、私はかなり島国根性的な考え方だろうと思います。
したがいまして私はこの内部に入るまでもなく基本的に反対でございます。これ以上私
は申しません。


相川委員

 いまのは大変論理的なご発言であって、かつ法律あるいは哲学的な意味からのご意見
だと思いますが、私はあまりそれほど頭が良くないのでわからないところがあるのです
が、ちょっと教えていただいてよろしいでしょうか。
 いまのご発言はそれなりのお立場なんですが、たとえば自分の腹を痛めて自分が産ん
だ子どもに、その子どもがある病気で悩んでいる時に、自分の死後に自分の体の一部を
その子どもにあげたいというような気持があることは私は否定できない、一部の方がそ
ういう気持を持っていることは否定できないと思いますね。
 そういう気持に関しては、いや死後の臓器は公平公正に分配しなければいけないから
、それだったらあなたはそういうことはできません。つまりあなたの臓器はそういう気
持があっても、もし自分の子供にあげるというご意思ならばそれはできないんですよ、
ということを納得させるにはどうするかというと、またいまと同じご意見になるかと思
いますが、もう少しかみ砕いて、そういう気持がある人には先生は、どうしてそれはい
けないんだと言うんでしょうか。まあいまと同じご意見になってしまうのかと思うので
すが。一般にはなかなか理解しにくいところもあるんですね。


町野委員

 理解していただけないのは、やっぱり私の説明が悪いうえに、早口であるということ
が理由だろうと思います。それぞれの個人がそういう心を持たれるということは、私は
正しいこともあり得るとは思います。しかしそれを権利として認めるということが、ど
のような弊害を持つかということはやっぱり考えなければいけないだろうと思います。
移植ネットに登録して、移植を待っている人がたくさんいるわけです。その人たちを飛
ばして、横入るということはできるのかということです。私はやっぱりそれは自分だっ
たらそういうことはしないと思いますし、その人たちもやっぱり私は誤りだと思う。尊
い気持だけれども、それはやっぱり客観的に見て誤りといわざるを得ないと思います。
 そして誤りだというのは、なぜ誤りと決めたのかというと、それは法律がそう決めた
んだ、あの時かなり議論してこうしたのだということです。もしこれを認めるというの
ならば、最初から法律の基本的な精神を疑ってかかるということならわかる。これを曖
昧模糊のままにしておいて、ある範囲で認めよう、権利だというのはやっぱり筋道が通
らないし、私はそのように言うことはできないと思います。


黒川委員長

 そこも含めてその法律を作った時は議論したということです。だけど議論はしてない
ところが、あとで事例が出るということはいくらでもあるわけだから、その時にそれを
全体としてどう直すのかという話も出得ることがあるわけで、いまの健保なんかもそう
だけれども、それについてはどうでしょうか。その法体系、法をつくると、そのあとの
施行、いろんな話のあり方と、世の中が変わってきた時に法律をどう変えるかという話
、それはどうでしょうか。


町野委員

 たしかに、立法者が何を考えていたかということは、かなりそれはわからないところ
が有ります。私の先程の理解は、移植学会の方たちのお話を聞いて、私はこれは法律の
主旨だと理解したということが、もしかしたら正確かもしれない。他方、立法者意思が
どれだけ大切かは、かなり実は問題ですが。しかし、少なくとも公平性ということでや
っぱりスタートしたことは否定できないだろうと思います。それは認められると思いま
す。
 ただ、やっぱりこれがいわば事務当局とか、そういうところであまり理解されてなか
ったということは、この国会答弁を見てもおわかりのとおりでして、法律の提案者の側
もこれははっきりしてないところがあったということです。それで時代が変わったから
どうするかという問題ですが、時代が変わったらどうか私はわかりませんが、少なくと
も現在ではさらに臓器移植の公平性というのはかつてよりさらに私は押し進められるべ
きものだというふうに多くの人は認識するようにはなっているとは思います。だからこ
そこれが大きな騒ぎになっている。
 昔、子どもの頃に読んだお話では、母親が子どものために角膜を提供して失明すると
いうようなのが美談として載っていたことを覚えておりますが、そのような時代ではい
まはなくなってきていると思います。立法者意志の尊重か、それとも現在の情勢かとい
うのは、法律学上基本的な問題でありますが、双方から見ましてもやはり私はこれは変
えるべきではないだろうと思います。
 もしやるのならもう少し時間をかけて、基本的に日本の臓器移植はどちらに行くべき
かということから基本的に考えるべきであって、小手先でルールをつくって、狭い範囲
で認めて、いわば安全弁としてそれを抜いていくことによって何とかものごとを免れる
という性質のものではないように思います。


松田委員

 町野先生のご議論は本当に原則論としては私ども、移植の現場にいるものとしてはレ
シピエントを見ている側としてはぜひその本論をきっちりしていただきたいという気持
はあるのですが、これまでの議論ではこれだけ臓器提供も少ないし、意思表示カードを
持っておられる方も多くおられないので、それをもう少し進めるにはフレキシブルなと
ころもあってもいいんじゃないかという議論もあったと思います。今回出された事務局
案をずっと見ていて、二、三問題になってくることがあって、その辺を考えるとこうい
うことを決め方でいいのかなというのがちょっと疑問になってきています。
 一つは、臓器の種類、これは各論なんで、決まってはないと思いますが、たとえば臓
器の別に扱いを変えないというか、何の臓器でも結構ですよ、ですから心臓もいいです
よ、肺も肝臓もいいですとなると問題と思います。腎臓というのは他と違って透析にの
っている方はかなり長期に待っておられるわけですが、心臓とか肝臓とか肺というのは
登録されてからそんなに間がないし、もちろん近親の方にそう出てくるというケースは
非常に少ないと思います。自分の身内が心臓病で拡張型心筋症であって、そして自分が
指定をして何かカードを書くというのは、これは腎臓と違って何かそういうことをもし
恣意的に何かとか、いろんな大変なことを考えざるを得ないような状況が起こってくる

 それとたとえば医学的に移植適応である、まあ当然と思うのですが、その血族の方が
非適応であって、他にネットワークで登録している方が適応であればどうするのか、こ
れは国会の前の審議を見ますと、福島議員が返答されているのでは、誰々に指定と書く
とそれ以外には提供はダメですよととるというふうに書いてあるわけですね。
 いまそれがどうなるかという議論もあまりされてなくて、優先をするというようなこ
とを入れるとまた複雑であります。前の時に申し上げましたが、現実に腎臓と角膜は角
腎法で家族の忖度でもいいということが行われているから、まあいいのではないかとい
うまとめもあります。これまでの15例目の結論から見ましても、根本的なところでここ
まで変えるというのが、私も迷うところなんです。町野先生のご議論がかなり本質を突
いていると思うのですが、腎臓と角膜が現実にそういうことが行われているので、それ
に準じてそういう場合は認めようというぐらいになればと思います。いま町野先生が姑
息的とおっしゃいましたが、何かその辺のところだけでもはっきりしておくぐらいで当
面乗り切れないかなという気がするんですね。
 ですからまとめますと臓器を全部するというのは現実的に何かかなり問題が起こるの
ではないかということと、指定した人だけというのは、原則的におかしいし、優先とい
うことも含めて書くのかという議論は非常に複雑になるのですが、書くとすれば優先す
るという文言にする。それから臓器はあえて言えば腎臓とか眼球に限る。その辺のとこ
ろで進んでいければ、レシピエントとか、移植の現場から言うとあまりネガティブなこ
とでなしにやってもらえるかなという、そんな印象です。


大島委員

 町野先生のお話は私なりによく理解はできていると思うのですが、それでも釈然とし
ないという感じが残るんですね。その釈然としないものは一体何なのかというふうに考
えてみると、おそらくこれは理屈を越えた人間のドロドロした情みたいな問題だろうと
思うんですね。
 その情みたいな問題を、たとえばいま松田先生が言われましたが、自分の子どもが拡
張型心筋症で1年もつかもたないかわからないという状況にあって、もしも自分の家族
が死んだら、脳死ということで死んだら、他の拡張型心筋症の子どもにやるチャンスと
自分の子どもにやるチャンスというのは一応イーブンになるわけですね。イーブンにな
って、自分の子どもじゃない他のところにゆくというのも、ルールだから、それはしよ
うがないでしょうというのが本当の意味での公平公正になるわけですね。
 実際にそういう局面というのは、まあ私たちは臨床家なものですから、どうしてもそ
の具体的な事例を頭の中に思い浮かべながらイメージが出てくるのですが、そういう局
面に立った時に、それは当然ですよと日本国民の大半が解するかどうか、たしかにいろ
んな意見が出たけれども、私は大半は、自分の子どもだとか、かなり限定したところに
臓器をやるということに関しては、やむを得ないんじゃないかというように大半の国民
が思うのではないかなと私は思ったんですね。
 そしてそういう意味での例外的な措置というのはあってもいいのではないか、それは
国民全体の中に受け入れられることじゃないかなというふうに私は思うのです。ロジッ
クの上、あるいは法律の上での本当の公平公正というのが壊されるということについて
は、頭では理解できるんですが、でもそのことが移植医療全般についてあとで非常に大
きなマイナス面になって出て来るのかというふうに考えると、国民のもしマジョリティ
がそういった形でもって認めることができる範囲のことであれば、それは本当に大きな
マイナスになるのだろうかという、どうしても釈然としない感じが残るんですね。正面
切って反論できないんですが、何かどうも情の問題というのか、人間のドロドロした、
そういったものというのは、どこかスパッと割り切っちゃっていいものかどうかという
ところでの感じがあるのですが、その辺はいかがなんでしょうか。


町野委員

 それは非常に難しい問題ではあります。しかし、私は、移植を待っている患者さんの
情も考えるべきだと思います。それが公平公正ということじゃないかと思います。現在
こうやれば国民が納得するだろうということでやって、この範囲ならいいだろうという
ことでやっていくということで、私は自分の首を締めるのではないかという意識をかな
り前から持っております。臓器移植の法の時もこれは作れば後は何とかなると思って作
られたのだろうと思いますが、その結果がこのようなものだったわけです。3年過ぎて
も見直しは行われない、それで基本的な点についての反対はますます強くなるというよ
うな状況です。
 私は別に非人間的に理屈だけを押し通そうとしているつもりは全然ありません。それ
ぞれの事情・心情というものがあるのです。その時にやはり一つの考え方として決断を
したわけですよ。公平公正でやっていこう、それがそれぞれの人の感情を大切にし、権
利を大切にするゆえんだというふうに決断したわけです。
 その時にある時点でやっぱりこっちのことをもっと考えなければいけないから、それ
を覆すということは、そうするともう一回最初から考え直すというのは筋道は通るけれ
ども、これは例外だから認めちゃっていいのだろうか、そうするとそのうち例外が原則
になるということだろうと思うんですね。
 私は将来移植医療がどうなるかは、確かにわからない。もしかすると日本では移植医
療は永遠に定着しないかもしれません。それはわかりません。しかしやはりその時でも
その責任というのが、ここで決断する我々の方にいずれにしましてもかかっているだろ
う。私はすぐそばで、見えるものだけでなくて、もう少し大きく目を見開いていただき
たいと思います。非常に口幅ったい言い方で申し訳ございませんが、やっぱり他には移
植を待っている患者さんもいられるわけです。そしてその人たちはずっと待っているわ
けですから、それを飛び越していいのかということです。それをしないということを決
めたのではなかっただろうか、というのが私の感想です。


町野委員

 あまり話さないつもりでいたのですが、いまこれを機会にいくつか申し上げたいと思
います。私は法律がこうだからこれを強行しろと、公平というのはこうだからこうしろ
というだけではありません。私は感情的にもこれが正しいと思うからです。
よく感情と理論とは別だというように言われることがあります。今日の議論もそのよう
に受け止めますが、私はそうではないだろうと思います。両方正しいということはない
、どっちかが間違っている、あるいは両方間違っているということはあると思います。
そして感情の裏付けのない理論と言うのは、まさに虚しいと思います。そして感情だけ
の議論は情緒的で、恣意的なものになることです。私は二つは一致すべきものだと思い
ます。
 法律論だけを云っていると言われるのは、私としては辛いものがあります。法律家だ
からそういうことを言うのだろうと言われますけれども、私は本当にこれは正しいし、
感情的にこれが支持されると思っているから言っているわけでございまして、自分の感
情を押し殺して言っているわけではないということです。
 国民感情のことを言われますけれども、たしかに国民の中にはいろんな感情があるこ
とは私は事実だと思います。しかし同時に私は先程から申し上げております通り、移植
を待つ方の患者の感情も考慮して欲しいと思います。身近な人の感情だけを考慮しろ、
たしかに汝の隣人を愛せよという言葉がありますが、その聖書の言葉の意味は隣人から
まず愛しなさい、そうでなければ他の人は愛せないということになるのです。だから汝
の隣人だけを愛せばいいということでは全然ないわけです。
 国民感情を考慮するということであるならば、多くの人たちの感情も同時に考慮して
もらいたいというように思います。そして私は感情的には自分の言っていることは正し
いと思いますけれども、これは国民が納得してくれないということであるならば、それ
は私は間違いだとは思いませんが、さらに納得してくれるように努力するのが筋道では
ないかと思います。
 そして「例外」の意味です。例外にも何段階かあります。原則はこうなんだけれども
、その原則の意味からしてこういう例外もあり得るというタイプのものがまずある。た
とえば人を殺してはいけないというのは原則です。しかし正当防衛だったら人を殺して
もいいわけです。これが例外です。いまのは同じレベルの問題です。
 しかし人を殺してはいけない。しかし妄想で人を殺してしまった。これはやっぱり許
されないことです。これは、彼を非難することができないだけです。これからやってほ
しい、精神障害の人は、たとえばそういうエクスキューズのある人は、どんどん人を殺
していいということには、ならない。
 ここで言われている例外の意味がどちらかということですね。私はこのあとの方の意
味だとするならば、これは非常にある意味であまりきれいでないといいますか、小手先
のその場しのぎの議論だと思います。そしてもし最初のレベルだ、つまりそれが権利だ
ということであるならば、もうちょっとおおっぴらにしなさい。先程も言いましたとお
り、それだったら隠さないでどんどん宣伝して、あなた達の権利だ、正当防衛権はどん
どう行使すべきだと同じだという具合に言うべきであって、勇気凛々と対抗しなさいと
いうのが私は筋道だろうと思っている。そこらをはっきりさせないでおいて、うやむや
のうちにすることはまさに私の感情としてはこれはちょっと許すことができないという
ふうに思います。


町野委員

 今日決めないということは、私はそれはよろしいことだろうと思います。さらに弁解
をさせていただきますと、私の話に対しては原則論はそうです、スッキリてしいるとい
われます。しかし、これはかなり前からこの臓器移植ができた時から意識されていて、
こういう問題が出てきたらどうなるだろうかということをずって考えてきた末の結論で
すから急にこういう問題が出たから、いや原則はこうだったと言ってるわけでは毛頭な
いのです。自分の子どもだったら、というような議論もありますが、助けられる子ども
の身になってみたら、他の人を飛び越えてお母さんの臓器を貰ったということで、はた
してその子にどういう影響があるだろうかということを私は考えます。
 それとやっぱりそのために助からなかった人がもしかしたら出るかもしれないという
ことですね。客観的に順番を待っている人たちです。感情と理論というのは私は別では
ないだろうと思います。国民感情を考慮される方は、国民の感情というのはご自身で理
解されているだけの範囲ではない、おそらくもっと理解しなければいけないことがある
のではないか、私もその点は反省いたしますけれども、そこらへんをちょっと申し上げ
たいと思います。


 

○山勢善江委員

 私は皆さんとちょっと違って自分は母親としての立場ということで今日のご議論を聞
かせていただいていたのですが、まず移植は何のためにあったのかなというところがあ
ります。これはファイナルギフトであるとするならば、もし私が自分の子どもが心臓病
なり何なりで苦しんでいて、そして私がもう死なんとする時に、ファイナルギフトとし
て子どもを助けたいというのは、これは当然の気持です。私も自分の子どもが苦しんで
いれば、当然私の臓器で助かるのならば助けたい。だけれどもそれが法律でダメだとい
われるのならば、私だったらじゃああげないという選択をするのではないかというふう
に一つは提供しない方の考えがあります。
 それからこれと反対に、もし私の子どもが同じように苦しんでいて、私は全然いま死
ぬ立場ではない。そうすると私には他にも子どもたちがいる、私が生きていなければい
けない、そうすると私は生きていかなければいけないんだけれども、この子どもも助け
たい、これは感情論でしかないのですが、そうするとこの子どもを助けるためにはどう
か公平に臓器を提供して欲しい、誰か臓器を提供して欲しい、この二つの立場は私の母
親としての立場というところではあるなというふうに感じながら、だから提供はしたい
気持と、それからするのだったら自分の子どもにしたいんだけれども、自分ができない
のだったら公平にして欲しい、すごいわがままな利己的なところなんですが、そういう
気持が1人の国民の感情としてはあると思います。

○黒川清委員長

 国民というのは正直ですよ。みんなそうだと思います。

○山勢善江委員

 だから看護の立場というよりも、私はいま母親の立場として考えていたと思います。

○黒川清委員長

 子どもさんが1人じゃない場合、3人だとするとどうするか。

○麦谷課長

 おそらく私ども現実に行政としてぶつかっている一般的な話にも共通するのですが、
例はあまりよくないかもしれませんが、不法滞在の外国人の医療というのは大きな問題
ですね。原則論とすれば不法でいるんだから、あるいはもっと言うとどんな人も不法だ
ろうが合法だろうが、日本は国民保険に入るんだから入りなさいと、こういう原則論は
あります。だから入ってない人は自費です、それから払えない人は診ませんという、こ
ういう原則論はもちろんあるんですが、私どもは実際には国立病院の目の前に来た患者
はみんなタダで診ています。
 私ども実はこういうものはたくさんあるんですね。これも全然問題は違うのですが、
なかなか今度は捌けない問題とこれもそうですがあります。それともう一つ、ケースと
いうのはいろんなケースがありますね。子どもはかわいそうとか、親族は助けたいとい
うケースの話はいくらでもあると思うんですね。こういう話と臓器移植をどう制度化す
るかという話がどうしても混同されてしまいます。私の行政官としての立場からいえば
、これは町野先生に大賛成です。それは泣いてでもそこは公平にシッピングしてくださ
い、そういう制度を作ってくださいというのが私どもの立場でございます。
 ただ、じゃあ目の前はどうするんだといわれた時になかなか辛いものがあって、先程
町野先生がいみじくも冒頭に言ってくださった苦渋の案だというのがこの案でございま
すので、そこはご議論いただいてお決めいただければいいんですが、そういうところで
おそらく議論は尽きないと思うんですが、どこかで内外に判断を示さなければいけない
ということでございます。

○黒川清委員長

 皆さんの意見を聞いていると、山勢さんもそうなんだけど、自分のプライベートのこ
ととパブリックのことになると急にみんな意見が違っちゃうんですよ。現場をやってい
るお医者さんであればあるほどそういう気持が強い。そうなった時にあなたが2人子ど
もがいて、2人とも心不全だったらどうしますか。1人のことを想定していると思うけ
れども、4人お子さんがいて2人心不全だったらどうしますか。1人は肝臓で、1人は
心臓だったらいいかもしれないが、2人心臓で遺伝のある拡張性心筋症だったらどうし
ますか。つまり、むしろやっぱり臓器移植を推進するということにあなたはもっと力を
注ぐべきだと思いませんか。

○山勢善江委員

 それはそうです。

○黒川清委員長

 でも私は脳死になるかどうか全然わからないんだから。ここでもう一つ大事なのは、
自殺した人の場合、そういう生前の意思があったらいいですか。私は子どもを救うため
に自殺するんだと遺言を書いておいて、それは受けられますか。そんなことをしていい
のか。それはこれに関係ある話なんですよ。それも認めますか。
 それからもう一つは社会的な意味は、もしこれをするのであれば、生前に意思を表示
することを普及啓発することは適当でないというのは一体どういう意味ですか。せっせ
と啓発するべきですよ。皆さん、自分が病気になったらまず自分の肉親から、血族から
貰いましょう、自分たちの血族を説得できないでどうして他人から貰えますかというこ
とを言えますか。もしこれをやっていくと、僕が一番恐れているのは、そういう社会的
な風潮が出て、登録したらあなたは自分の血族をまず説得しているんですかということ
を言われますよ。
 何で他人のを貰いたがるの。血族と十分話してますか。そういうことは必ずエックス
キューで出てくるような気がするなあ。他人のを貰う、そんなことをあてにするよりま
ず自分たちでやっているのか、家族みんなでやってますか、お金を集めているんでしょ
うねと言われたらどうしますか。これをエンカレッジすることになりはしないか。もし
そうなったらば私が身内でいるのであればあげたい。だけど人にはあげない。じゃあよ
その人はますますくれるはずはない。こういうふうになりはしないかなという気が日本
の社会では出てくるのではないかな。つまり誰かが誰でもいいですよと言った時に、あ
んた馬鹿じゃないのとは言わないけれども、欲しい人は自分で努力をしろということを
言いはしないかなという気がする。

○相川直樹委員

 いまのも実際に起こり得ることですが、他の方の考えているのと私はちょっと違うと
ころもあると思います。というのは、ある人はやはり公平公正で私の心臓や肺は誰にで
もあげるんだという方もずいぶんいらっしゃると思うんですね。ある人はやはり自分の
子どもが病気で、たとえば自分が脳死になったらぜひこの子へと願う。DNAというの
は非常に利己的ですから、特に私は救急の現場にいますとたしかに死にそうになった患
者さんのところに駆けつけて来る家族というのは、そばにいる死にそうになった別の患
者さんのことなんて何も考えてないですよ。本当です。死にそうになった自分の家族の
ことしか考えてないんですね。これが現場ですから、実際に人間というのはたしかにそ
ういう時には利己的なものだなというのが私の長い経験です。
 人それぞれで、私の言いたいのは皆さんにあげたいという人はもちろんエンカレッジ
しますし、それから、いやいま目の前にいる子ども、もし自分が脳死になったらこの子
どもを助けたい、僕は配偶者も入れるべきだと思っているのですが、私のがベターハー
フの中に生き続けてもらいたいという気持を、そういうのはダメです、そういうのは移
植医療のレシピエントになる資格さえありません、というようなことで止めることが本
当にできるか。
 あともう一つは、つまり肉親にあげたい、血族、配偶者にあげたいといっている人、
そういうことを可能にしたからといって、じゃあ皆さんそういうふうにしなさい、配偶
者にあげられるんだからそうしなさいということを宣伝する必要はないけれども、そう
いう選択肢もあるんだということは僕は明確にしておかないといけないと思います。

○黒川清委員長

 その時に皆さんプリンシプルは共通に理解しているんだけど、しかしそういうエモー
ションは何とそれぞれ個別のことも理解できる。個別の案件というのは何でもたくさん
あるわけですよ。今度のマイカルから、ダイエーに4千億とか、何を言っているんだ、
もう日本は沈没の間際なのにという話がある。したがって個別の案件はどうなんだ、ジ
ャスティファイされないようなことでいまやっているから、ズブズブになっちゃうんだ
けどね。
 移植も似たようなことがあるんですよ。だから将来的にこの委員会がやっていること
は、やっぱり移植医療は必要だから普及させようということを言っているわけなんで、
それも結構重い判断だな。だからやっぱりそれが出てくるともちろんそれはそれでいい
んだけど、しかしこれは原則を曲げているなということをみんな理解しているとなると
、いま相川先生がおっしゃったように、実際に家族にあげたいなというのであれば、そ
の時のデシジョンじゃないですから、これはあくまでも登録しなさいというのは、だか
らどうのこうのということではなければ、臓器を受けたいということの意思を表示して
いるという話で、親族からだけ貰うよと思っているわけじゃないんだから、やっぱり登
録しているというのは、そういう意味ではある意味では正当なプロセスじゃないかなと
いう気がするけど。

○松田暉委員

 指定した場合には、それだけしか提供しませんよという意味をとって作られたのです
か。そこが一番大事なところで、優先ということであれば、推進にもなるし。

○黒川清委員長

 わかります。だけどえてしてドナーはそういうことを言うんです。それじゃなきゃあ
嫌だといわれるから。コーディネーターは。

○松田暉委員

 だけどそこは家族だけが、身内がよければいいということを堂々と認めるというのは
、やっぱりおかしくて、そこまでへりくだって臓器移植をなんとかいうのは僕はおかし
いと思う。

○黒川清委員長

 それはそうですね。

○北村惣一郎委員

 先程苦渋の選択であるとしてのものとするのか、苦渋の選択ではあるけれども、一つ
の権利的なものを提供者に与えるのだから、広く伝達すべきであるとするのか、あるい
は私も本質的には町野先生の案の原則通りということで賛成を前回も申し上げたと思い
ますが、一番スッキリしていて、一番問題がなくて、それに徹しておれば一番苦労は少
ないと思うんですが、女房になどにちょっと話しますと「そんなもの自分の子どもにや
るのは当たり前やないの」とやっぱり言う。そんなもの考えられない提供者なんていな
いんじゃないということをやっぱり言うんですね。
 そしたらやっぱり原則からは避けたいものの、日本の移植医療が進むのであれば、こ
ういう緩和策というのも認めざるを得ないのかなという心境にはなってきているんです
が、その時に苦渋の選択であるとしてやるのか、やはり決めるのであれば意思表示をや
ってもよろしいよということを公開、あるいは宣伝とまでは言わずともやっていくのか
、そこらも大きな問題だと思います。

 

02/04/09 第7回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会

〇吉田室長

 臓器移植対策室長でございます。
 まずお手元の資料1−1として用意させていただきましたのが、これまでの当委員会
における委員の皆さま方のご意見を、事務局として未定稿ながらまとめさせていただい
たものでございます。
 前回同じようなものを提出させていただいて以降、特に前回のときのご議論を少し補
足をさせていただいた部分を中心にご確認させていただきたいと思います
 資料左側が提供先の指定を限定的に認めたらどうか、というお立場からのご発言をま
とめさせていただいております。
 はじめの1点目2点目3点目4点目などは、前回もご確認をいただいたこれまでのご
発現でございます。特に1ページ目でいえば下から二つ目の点を新しく書かせていただ
いております。例えば、「あくまで臓器移植の原則は公平性であると思うが、提供先の
指定はエンカレッジされるものではないという認識のもとで、例外的なものとして認め
るか、それとも認められないか、ということを議論するべきではないか。」、あるいは
「親族に臓器を提供することで助けることができるのであればそうしたいというのが大
方の人の気持ちであり、それが法律に抵触するのであればもう一度根本に立ち返ってそ
ういうことが認められるようにするべきか」という意見もあったと思います。
 前回のご議論としましてはこの表でいう右側です。「提供先を認めるべきではないの
ではないか」というご趣旨のご発言、あるいはそれをめぐってのご議論というのがござ
いましたので、そういう数点を書き加えさせていただいております。
 資料の一番上です。「諸外国は本人の意思を尊重する仕方が違うだけであり、本人が
拒否した場合には移植は行われないのであって、本人の意思を諸外国が尊重しておらず
、日本は尊重しているという議論のたて方は誤りではないか。」というご発言です。
 整理が良い悪いがあろうかと思いますので、そこはまたご批判やご指摘をいただきた
いと思います。
 あるいはその資料中程の上から5つ目の点「(生体移植とのアナロジーの問題で)臓
器移植は基本的に死体から行われるべきであり、生体の場合は指定した者への提供がで
きるというのは権利ではなくて、やむを得ないものとしての弊害の少ない範囲で解除し
たものではないか」。この委員会で当初からこのご議論はあったと思います。
 例えば「立法者意思が必ずしも明確でない、あるいは法が明確ではない」というご議
論もありましたが、「少なくとも日本の臓器移植というのは公平性からスタートしたと
いうのは否定できない。さらに多くの人が公平性ということで押し進められるべきであ
るとなっているという現状認識の中で考えるべきではないか」
 あるいは公平という議論の中で提供されようとされる「本人やそのご家族の心情だけ
ではなく、移植を待つ患者さんのことも考えるべきである」、あるいは親族に提供した
いという心情そのものの是非(この言い方が正しいのかどうかですが)について、正し
いことではあるというご発言もあったと思いますが、「提供先の指定を権利として認め
るとすれば、待機患者の方の列を飛び越えて受けられることになり、それは移植法成立
に至る議論の過程からみても誤りではないか」あるいは「仮に提供先の指定を認めると
いうような議論を進めるならば、基本的に日本の臓器移植は公平性と意思尊重のどちら
を基本原則とするのかというところにさかのぼって議論をするべきではないか」という
ご発言。
 あるいは次のページです。「血族を説得して、提供者となってもらうというというこ
とをはじめるべきである、というような社会的な風潮を助長するのではないか」という
ご発言も、提供先意思を認めるとした場合の弊害としてご指摘があったと思います。
 2ページの本人あるいは家族の意思についてです。
 左側の限定的に認めるとすればというお立場からのご議論、あるいはそういう視点か
らのご議論としましては、二つ目にございます公共政策としてどう考えていくか、ある
いはその際にはいずれにしても法的な手続きが問題であるというのは重ねてありました
が、新たなご発言としましては、そのページの下から3つ目ですが、いろいろなご議論
を踏まえた上で、現在の日本の「臓器移植法は、提供を狭める方向で本人の意思あるい
は家族意思を非常に重視しているのではないか。」というようなご発言もあったと思い
ます。
 右側にも幾つか再掲として書かせていただいております。
 3ページ目が引き続き本人と家族の意思についてのまとめの続きでございます。家族
による忖度について、あるいは遺体の所有権をどう考えるか、これについてはこれまで
の前々回までのご議論をまとめたところで、特に加筆したところはございません。
 4ページ目です。本人の方の生前の意思が表示されているという場合につきまして、
2つ再掲のご意見を書かせていただきました。最後の3つ目の左側です。後ほどご確認
いただきますように、前回の私ども事務方が議論のたたき台として用意したものでは、
例え限定的に認めるとしても、促進することにならないように、普及・啓発については
必ずしも積極的ではないのではないかという趣旨の文言で提示をさせていただきました
が、多くのご議論は、議論して提供先の指定を認めるという場合は、要件を明確にした
上で、それはきちんと「関係者に周知徹底される必要がある」というご意見が多数であ
ったように私どもとしては受け止めております。
 それを踏まえて右側一番下です。結果的に認めるとすれば周知徹底、あるいはPRを
するという形になりましょうが、そうなるといよいよ「意思表示カードを含めて本質を
見失っていく可能性があるのではないか」というご発言があったと思います。
 あるいはレシピエントとして提供しうる範囲ということにつきまして、具体的に認め
るとすればどうするのかという議論を整理していただかなければならないと、前回のと
きに発言をさせていただきました。
 左側です。限定的に認めるという観点から付け加えさせていただいたご意見が一番下
です。「あっせん機関に登録しているということは、親族からだけでなく、臓器の提供
を受けたいという意思表示をしているのだから、それはそれで認めていいのではないか
」というご意見。
 一方で右側でございます。仮に提供先を一定の本人の意思ということで限定した上で
認める、それを権利として認めるということであれば、そもそも限定という考え方は商
業主義の排除という目的からしか出てこないというか、その目的を達成する以外のもの
ではないので、もし限定的に認めた場合に、次のクッションとして身内でどこまでがい
いですかというような論点のたて方を、前回事務局としてはこれまでの議論をふまえて
いたしましたが、そういうのではなく、血縁者とかネットワークに登録しているという
ことに限定するというのは、少し論理・思想が混乱しているのではないかというご発言
があったように思います。
 5ページ目の「その他」です。私どもの整理がなかなかうまくいかない部分でござい
ます。前回の委員の中からのご発言の一つとして、全面的にどうするのかというふうに
議論をすると、いろいろと困難な面もあるが、指定されたものが医学的に移植適応でな
い場合の取扱いなどが複雑になるので、従来、現行法においても眼球あるいは腎臓とい
うものにつきましては、旧角腎法の規定を当分の間という形で引用をしているという経
緯もあり、眼球と腎臓については別の扱いにして認めて、それ以外は認めないというも
のも一つの案ではないかというようなご発言があったように思います。
 逆にその他です。ここが整理がいいのかどうかですが、一番下でございます。いろい
ろなご議論の中で、「提供先の指定を限定的に認めるということが、かえって国民一般
の臓器移植に対する理解が深まるのではないか。そういうことを通じて国民の皆さん方
が移植というものを身近に感じていただけるのではないか」というような趣旨のご発言
もあったように思います。
 逆にその他の右側の2つ目でございます。
 「日本では、法律上の理由で、現行法に種々いろいろな論点があり、移植が難しくな
っているとすれば、そうした事態に立ち向かうというか、まずはそういう議論からする
べきであって、それを放置しておきながら、今回提起された親族への提供意思というも
のを重視するというところの答えを見いだすというのでは、そういう進め方が妥当では
ないのではないか」というようなご発言もあったと思います。
 いずれにしましても、私ども事務局の責任で主に前回のご議論を踏まえて書き加えさ
せていただいたところでございますので、全体像を通してご確認いただき、あるいはご
覧いただきまして、違うというところは、またご指摘いただきたいと思います。
 なお、いつものことでございますが、この会は公開でございますので、会議について
は議事録すべてがホームページに載っておりますが、前回3月13日の件につきまして
は、現在委員の皆さま方にご確認をいただいておりますので、終わり次第早急に公開、
インターネットのホームページで一般の方からアクセスできる手配をさせていただこう
と思っております。
 以上が資料の1でこれまでのご議論を改めて振り返っていただくために用意させてい
ただいた資料でございます。資料1−2と1−3が実際に議論をより深めていただくた
めに、私ども事務局としてたたき台で用意させていただいたものでございます。
 説明の便宜上、先に資料1−3をご覧いただきたいと思います。1−3が表題にもご
ざいますが、仮に整理の都合上でB案という位置づけの読み方を付けておりますが、前
回たたき台としてお示ししたものでございます。ただし、資料1−3の2ページをご覧
いただきたいと思います。
 全体の発言の中でも報告申し上げましたように、前回案をお示しした時には、提供先
に係る生前意思を表示することを普及・啓発することは適当でなく、移植適応の血族を
持つ者に精神的な負担を与えることがあってはならない。エンカレッジという言葉がこ
の場で出ていたと思いますが、そういうことがあってはならないというご発言を踏まえ
ての記述をさせていただいておりましたが、前回、この場におけるご議論では、仮に提
供先意思を認めるとすれば、逆にそれは関係者にきちんと周知徹底して、そういうチャ
ンスがあるということを皆で正面から受け止めるべきではないかというご発言が多くご
ざいましたので、その意味では仮にB案という形で、限定的とはいえ、ある程度提供先
意思を認めるという側で整理をする際には、以下のとおりに改めております。
 「なお、提供先の指定がみとめられるための要件については、ルールとして明確化し
た上で国民の間に周知徹底を図ることが必要である。その際、原則として、臓器移植を
受ける者の選択は、医学的理由に基づき公平に行われるべきものであることや、臓器提
供はあくまで本人の自発的意思に基づいて行われるべきものであることについても併せ
て周知・啓発をするととし、移植適応の血族を持つ者に精神的な負担をあたえることが
ないよう、配慮しなければならない」。
 前回のご議論を踏まえれば、認める際にはここの部分をこのような位置づけでどうか
、というふうに事務局としてのたたき台そのものを変更させていただいております。
 資料1−2です。これが前回1−3は、それまでのご議論が、比較的私どもが受け止
めておりましたところでは、限定的とはいえ、ある程度認めた場合にはどうなるかとい
う線で議論をより進めてはどうかというようなご意見もあったかと思って提示をしたた
たき台でありましたが、前回をご議論を踏まえまして、本日新たに提示を致しましたの
が1−2でございます。
 基本的な考え方、臓器移植に関する法律の解釈その運用にあたっての基本姿勢として
、1つ目の点にございますように、臓器移植法第2条第4項の公平に与えられるように
、移植術を受ける機会を公平に与えられるように配慮されなければならないという規定
、あるいはこれまでの経緯から移植を受ける者はあっせん機関に登録をしている方の中
から、医学的理由により公平に選択されるべきである、というのは当然であるという大
原則です。
 2つ目に厚生労働大臣はその公平かつ適正に行うという選択ができないおそれがある
者に対しては、業として行う臓器のあっせんの許可をしてはならないというのが明文の
規定である。さらに移植法の成立の過程でも、公平な移植医療ということが前提として
議論が進められ、形作られたという経緯もある。そういうことから4つ目の点です。こ
のためにこうした臓器移植法を支える考え方に照らせば、親族等の提供者がいる場合に
は、移植を待つレシピエントの列を飛び越えて移植を受けられるということは、例え例
外的にも認められるべきではなくて、提供先を指定する提供者本人の意思は尊重される
べきものではない、というような形でまとめてはいかがかと思います。
 この基本的な考え方の背景です。以下、幾つかの観点からこれまでのこの委員会にお
ける種々のご発言から、弊害として挙げられたものをまとめさせていただいております

 1つ目に「待機患者の方を指定して提供をなし得る者に与える影響」につきましては
、この議論でもありましたように、(1)移植待機患者の親族の方などに精神的な重圧を
与える恐れがあるのではないか。
 (2)この場でも前回委員長からもご発言あるいは問題提起がありました。例えば自殺
というものを結果的に誘発してしまう恐れがあるのではないか。
 2つ目の柱としまして、移植医療全体に与える影響です。
 (1)あっせん機関に登録して移植を待っている待機患者に対して不公平感を与えるの
ではないか。
 (2)提供先を指定する場合に、カードに記載するなど、書面によって意思表示をする
必要があるが、そうした書面でないとだめということを徹底していくことは、公平な移
植医療にかえって反するのではないか。皆が書こうということを、この会議でいえばエ
ンカレッジすることになるのではないか。
 2ページ目です。運用上の問題点です。
 (1)医学的理由により指定された者への提供ができなかった場合に、例えば私が、あ
る特定の人間に指定して、あの人にあげたいということを意思としてつけながら、実際
に医学的理由でその指定された人が移植適用を受けるに望ましくないという状況に置か
れると、まさに運用に当たりましては、その結果、提供者からの臓器提供ができなくな
る。指定は受けたが、医学的適用がないからだめということになるのか、あるいはその
人ではなくほかの人に行くことになるのか、という点もまた実際の取扱いを明確にして
おく必要があり、そこが複雑になるのではないかという不都合が起こるのではないか。
 (2)例え一定の要件を定めて提供先の指定を認めるとしても、要件に該当しない場合
というのは出てくるわけです。結果、提供先の指定が認められない。限定的に認めると
いうことになったが、個々に発生したケースを見てみると、結果、要件に該当しないと
いうことで認められないというケースが多発すると、現場が逆に混乱するのではないか
、というおそれもあろうかと思います。
 普及啓発の問題につきましては、前回の議論がひとつありましたように、認める場合
には当然、普及・周知徹底が必要でございますが、それが結果的に提供先を指定した臓
器提供自体が推奨されることになりはしないか。そういう懸念を幾つかまとめまして、
基本的な考え方というとでまとめさせていただいたものを、一つの例えばガイドライン
なりで明確化する場合の案です。
 「レシピエントの選択は、あっせん機関により、公平・かつ適正に行われることが原
則であり、何人も自らの臓器の提供先を指定して提供を行うことはできない。また、臓
器の提供先を指定することを書面により表示されていた場合は、医師は、移植術を必要
とする者に対する移植を行うために、当該提供先を指定する意思表示を行った者に対す
る法に基づく脳死判定及びその者からの臓器の摘出を行わないものとする。」
 もちろん議論のたたき台でございますので、これに至るにはいろいろな論点があろう
かと思いますが、一つのまとめとしてはこういう形が、前回B案としてお示ししたもの
の対案というか、もう一つの論点としてA案のような形にまとめるということも、ご議
論の中ではあり得るのかなということで、事務局でまとめさせていただいたものです。
 あとは、資料1−4に、前回この場で、もっと広く一般の方から意見を求めるような
仕組みも考えてみたらどうかというご発言がありまして、その際にも私は事務局として
、きちんとやろうと思うと、通常1か月という時間も必要ですということを申し上げま
したが、今回具体的には3月18日から本日のこの会議の日付をにらんだ4月1日まで
という2週間という期間ではございましたが、ホームページ上に、前回この会議にお示
しした資料を開示しまして、これについて広く特段のテーマを設けることなく、ご意見
があればということで募集したのに対して、A・B・C・D以下9件の方からのご意見
がございました。それをここでまとめさせていただいたものでございます。
 個々につきましては、なかなか一言で賛成とか反対という集約がしにくい、それぞれ
のご意見でございますので、お目通しをいただければ、あるいは事前にも少し送らせて
いただいた通りでございます。特筆するべきといいますか、特にコメントするべきもの
がございます。
 具体的にFさんからいただいたご意見の中に、一つはそもそもこの厚生科学審議会の
中の臓器移植委員会に私ども事務方からお願いをして実際に昨年7月1日に発生した事
例の扱い、その時には私ども行政の責任で一定の処理をさせていただいたわけですが、
今後につながる話としてルール化の議論をお願いしたところでございますが、Fさんの
ご意見としては、これはきわめて今の臓器移植法の本質に関わる部分なので、これにつ
いては立法府に対して議論をしてほしい、というふうに投げるべきではないかという趣
旨のご発言です。
 同じくFさんとIさんであると思いますが、今回、ホームページ上のご意見募集とい
う形で意見を紹介させていただきましたが、期間が2週間ということでございましたの
で、2週間という形の期間での意見募集というのは形だけではないか、というご批判も
いただいているところでございます。
 個々につきましてはまたご覧いただくこととして、事務局から用意した資料について
は以上でございます。

 

02/06/12 第8回 厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会

北村惣一郎委員(国立循環器病センター総長)

 その前に日本はもっともっと先生方にやっていただかないといけないのは、脳死は人
の死であるということを、それをユニバーサルプリンシプルとして呼ぶことです。移植
の場合には、意思表示をしていることのみにおいてのみ死である。それ以後は、表示し
なければ、あるいは家族が同意しなければ、生きておりまして、膨大な医療費を使って
おります。必ず亡くなっております。助かった人一人の事例もありません。全部亡くな
っているのに生きているとして、その後約1か月から 1か月半に膨大な医療費を使って
いるわけです。ちょっと計算するだけでも数百億円になるのではないかと思います。そ
ういうのはなぜ起こっているのかというと、脳死に二つあるのです。

 

02/07/11  第9回厚生科学審議会疾病対策部会臓器移植委員会議事録

〇黒川清委員長(東海大学教授・総合医学研究所長)

 一方では、こういう話は省令とかガイドラインで決められるのではないかという議論
もあるかもしれない。実はここで7回の議論にわたったのは、技術的にはやることがあ
るのかもしれないが、法の精神からすると、それをいまやるというのは、ここが付託さ
れているとはいえないという結論であったと思います。それがどう伝わるのかなという
のは、それぞれに立場は違いますが、皆さんが非常に心痛めていると思います。
 頭が痛いのですが、しかしそういうものではないでしょうか。私も頭が痛いです。
 実はパブリックコメントをもう一回読ませていただくと、それぞれの意見、皆さまの
意見もそうですが、両方の立場がいろいろある。これは自分でドナーになった人、子ど
もが受けた人、あるいは受けられなくて家族を失った人、いろいろな人の意見があっ
て、その人たちの意見も両方に分かれているというのは、なかなかそういうものである
というふうに感じました。
 別に外国の真似をする必要は全然ないのですが、ロジカルな文化を尊重するというこ
とも大事ですが、最後は家族というのが、DNAのどのくらいをシェアしているのかと
いう話があるのかな、利己的な遺伝子というのはありますからね。そういうものかなと
思いました。
 この本にも書きましたが、最近、非嫡子、結婚してない人から生まれる子どもという
のが今は日本は生まれる子どもの1.5 %から2%になりました。その時に夫婦はいいと
いうが、では入籍してない人はどうなるのかという話が必ず出てくると思います。入籍
してない人のほうが、愛されているということもあるという話がありました。確かにそ
ういうことはあります。
 だがそういうときには、その人の親族が必ず反対するという場面も想像さる。その時
にコンフィデンシャリティをどうするのかという話はどうでしょうか。私は入籍してい
ない人を大事にしたいのだが、親族は全部反対すると思います。その時の場合も想像さ
れる。その時に遺族の意思をどうするのかということになると、遺族とは何かという非
常に難しい問題が出てこないかというのはあります。
 そういうことでいろいろと問題がありますので、お時間がありましたら、コメントを
また見ていただき、議事録もまた見ていただくということをお勧めします。

 

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ご意見募集

平成14年4月12日 臓器提供先に係る生前意思の取扱いに関するご意見の募集について
臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱いについて(A案)
提供先指定に係る生前意思の取扱いについて(B案)
臓器移植委員会におけるこれまでの「臓器提供先に係る生前意思」に関する主な意見(未定稿:事務局まとめ)
諸外国における臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱い(未定稿メモ)

「臓器提供先に係る本人の生前意思の取扱いについて」に関する御意見の募集の結果について


厚生労働省

中間報告「『小児臓器移植』に向けての法改正 -- 二つの方向 -- 」
町野朔 平成11年度公開シンポジゥム(国際研究交流会館・国際会議場)2000.2.18.
「厚生科学研究 免疫・アレルギー等研究事業(臓器移植部門) / 臓器移植の法的事項」
最終報告「研究課題:臓器移植の法的事項に関する研究 -- 特に『小児臓器移植』に向けての法改正のあり方 -- 」
分担研究者:町野朔(上智大学法学部教授)


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