2 タスキージーの梅毒研究

1964年に、「梅毒の無治療によるタスキージーの研究:30年の観察」という論文が、出版された。「タスキージーの研究」という名前で、医学雑誌でよく知られていた研究には、数多くの医師や、アメリカ心臓協会などの組織が、30年間関わり続けた。1964年の論文が出るまで、医師による反対の記録は1つもない。40年の間、タスキージーの研究は、賞賛されつづけ、多くの栄誉を受け取った。1958年には、研究の継続に関わり続けた、看護婦エウニス・リバーが、オヴェタ・カルプ・ホビー賞という、健康・教育・福祉省が、付与できる最高の褒章を与えられている。タスキージー梅毒研究とは、一体なんだったのか。1932年、399人の文盲の、貧しい黒人梅毒男性らが、実験台として雇われた。201人の、梅毒を持っていない、監視役も一緒に雇われた。研究の目的とは、399人の男性に、梅毒の治療を決して受けさせないことだった。彼らがいかに、梅毒に蝕まれてゆくのか、経過を観察することだった。彼らには、何の研究が行われているか全くわからなかった。「悪魔の血」を持っていると、信じ込まされ続けていた。梅毒治療は、1932年当時、すでに原始的なものが確立していて、根治することができた。すでに40年代はじめには、ペニシリン療法が導入されていた。タスキージー被験者が、一般の病院もし入ったら、看護婦研究者が職員にコンタクトを取り、「彼は、実験中だから、治療してはいけない。」と伝えていたのだった。399人のうち、多くのものは、症状が悪化し若死にした。問題はそれだけではない、無治療で放置された彼らが、どれだけ多くの女性に、性交を通して梅毒をうつしたのかわからない。どれだけ多くの子供に、先天性梅毒がもたらされたことだろう。生存したタスキージー男性らは、1958年に、研究に参加したことの、認定証を受けた。彼らは、25ドル、一年当たり1ドルを与えられた。被験者の一人、ショーは、1973年に上院の委員会で証言した。ケネディー上院議員「あなたはこの期間、治療を受けているように感じましたか。」Mr.ショー「背中をピシッとたたかれ、100年間は健康だよと言われていただけです。」ケネディー上院議員「何年間、背中をピシッと叩かれていたのかね。」Mr.ショー「40年です。」ケネディー上院議員「何か代償を受け取ったかね。」Mr.ショー「いいえ、25年間の認定証だけです。」タスキージー研究が、ワシントンポストに載ったのは、1972年のことだった。その後すぐに、タスキージー研究は閉鎖された。1974年政府は、1000万ドルの和解金を支払った。1997年には、クリントン大統領が、公式の謝罪をした。著者はタスキージーの研究と、マインドコントロール実験との類似を、次のように述べている。このことは、広大な医師のネットワークや機関が、70代まで、きわめて非道徳的な医療実験に、助成し容認していたことを立証している。これは、マインドコントロールや"Manchurian Candidate"の製造への、精神科医の関与状況とそのものだ。この研究は、被験者やその子供に、甚大な損害を与えたことを証明している。タスキージー梅毒研究は、医療従事者が、実験を終わらせるために、とりうるべき行動をとるにいたるまでには、多大な外的圧力を必要とされることを実証している。タスキージーでの一般医の役割は、精神科医のマインドコントロールでの役割と同じである。

これねえ、実は、私も、似たような経験あります。毎回、1分診療で、「大丈夫ですから」の一言で終わる。へんだなあと思ってたんですけね。症状の説明も何もなかったです。本の自己チェックをしたら、そのときの状況は重度のうつでした。ぜんぜん大丈夫じゃないですよね。つらい状況で、文句を言うこともできなかったです。さすがに、お金がもったいないので通わなくなりました。タスキージーの人たちのように、見殺しにされてしまっている人もいるんじゃないかなあ・・・。みなさんも、手抜き診療には気をつけましょう。「大丈夫ですから」の一言で済まされている人が、もしいたら、「そういうあんたは大丈夫なんかい」と、こちらも一言返して差し上げましょう。

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