1 ペーパークリップ計画

ナチスドイツの科学者や技術者らを米国に移送した計画。1000人を超える、ドイツ人科学者が移送され、1980年代まで、アメリカのさまざまな計画に携わっていた。有名な科学者として、第二次世界大戦のドイツのV2ロケット計画を指導した、フォン・ブラウンがいるという。V2ロケット工場では、過酷な強制労働が行われており、死者は20000任と推定されている。フォン・ブラウンは、NASAの月面着陸ロケットの開発に携わった。数多くの医師もアメリカに移送された。ナチの航空ドクターは、高い上空で航空機から離脱したときの影響を確かめようとしていた。集中キャンプの収容者たちは、特別な部屋に入れられ、高度39260フィート並みの気圧降下にさらされた。気が狂ったり死んだものもいた。高度69000フィートレベルの実験では、髪が剥ぎ取られたり、顔が爪で裂かれたり、壁に激突するものもいた。生き残ったものも、脳の中の空気の残量を測るために、溺死させられた。精神科医やマインドコントロール専門家も、数多く移送されたという。CIAの前身、OSSは死のキャンプでの、マインドコントロールの手法に関心を持っていた。化学者テオドル・ワグナー・ジャオレグは、戦前ドイツのカイザー研究所に勤め、戦後CIAと陸軍の、LSD実験、マインドコントロールの研究に携わった。彼の父ジュリスは、梅毒の研究でノーベル賞を受けている。ペーパークリップ計画で、移送された精神科医の学術的調査はなされていない。しかしながら、人体実験計画の歴史に、本質的な役割を果たしたと考えられている。

もどる