イントロダクション



脳や心を標的とした対人攻撃を完全に禁止しなければならない理由


至って近年になって、脳死の概念が社会的に広く定着してきました。脳の活動なしでは人間は、自力で動いたり、ものを考えたり、話しをしたりはしません。同時にニュースに流れていたのは、脳死者からの臓器移植の話題でした。機能が残っている肉体の臓器を生前の意思にしたかって提供するという方法です。最近の生物学では、さらに新しい方法として、万能細胞と呼ばれる細胞から、心臓、肝臓などの器官を生成できることが話題になりました。この技術は臓器や四岐の再生医療に重要な役割を果たすことが確かでしょう。この二つの方向性は実に対照的といえます。つまり将来いくら医療が進歩しても、脳移植だけは概念上、原理的ありえないということです。それは移植ではなく、身体の乗っ取りになるのです。脳の中にはその人の過去の記憶や知識、人格が集積していて、それは世界にただ一つのものであり、複製がほとんど不可能です。ですから、脳にたいして攻撃を加えることは、その人に最も危険であるということです。究極的には、肉体が死んでしまっても、頭部を保存できれば、その人はまだ生きているということもありえます。また、心を標的とした組織的な攻撃も非常に恐ろしいものです。過去の人体実験計画では、組織的な虐待により、多重人格が人為的に発生させられるという現象が認められました。精神に対する攻撃の苦痛は莫大です。たとえ少しずつの攻撃であっても、その蓄積は人間にたいして確実な危険をもたらします。脳の機能に障害がでるような虐待のすざましいさを想像することができるでしょうか。脳および精神の機能に恒久的な障害(多重人格のことではない)を残してしまうことは、人命を奪うことに準ずることだといえます。大戦前後からのマインドコントロール技術の蓄積によって、精神攻撃の手法はますます苛酷で精巧になりました。標的とされた一般人が無事に生存はかなりの困難です。この方法は軍事的利用も含めて完全に禁止しなければならない十分な根拠があります。現在、被害の拡大する方向にあり、歯止めがかけられていません。この方法は人間を標的とする最終攻撃手段であり、この問題が、戦後野放しにされてきたことは、歴史上の最悪の汚点として、将来にわたって語り継ぐ必要があります。



マインドコントロール(精神制御・統御)実験とは


マインドコントロールという英語の名前は少々婉曲的です。実験の中心は、心理学、催眠、精神医学などの拷問手段としての悪用です。計画的反復的継続的な苦痛を与え、人格や意思を奪い、洗脳や精神の破壊を目的とします。私はむしろ、メンチサイド(心理的殺人:menticide)というタブー的な呼び方がよく合っていると思います。マインドコントロール実験の起源について正確なことはわかりません。おそらく、心理学や精神医学が盛んになった20世紀にわたって続けられてきたと思われます。それ以前は人間の精神はより崇高なもので、そこに人手を加えるという発想は僅かだったでしょう。戦後のアメリカによる実験には、ドイツから移送されたナチス医師が参加していたことが知られています。心理的損傷を負わせることは案外容易ではないことです。たとえどのような激しい虐待手段を用いたとしても、それが一過性のものにすぎなければ、精神内部を傷つけるには至りません。心理学・精神医学の悪用は、現在の苛酷な人体実験を生み出しました。犠牲者は度重なる拷問や、意識状態を変える薬物の乱用にさらされました。莫大な苦痛はただ恐ろしいものというほかありません。まさに人間を限界まで追いつめる手段です。社会に公表できない問題の凶悪性が、秘密主義との結託を作り上げました。1961年から1970年代にかけてのMKウルトラ実験にたいし、1990年代になってようやく日の目があたりました。犠牲者に対する補償が各国で行われています。しかしながら、人生そのものを地獄に変えられてしまった犠牲者にとって、僅かなものでしかありません。とんでもないことに、過去の惨事を上塗りするような犠牲者のひろがりが現在も進行しています。殺人手段になんら有用性のないまま、巨大な悪意だけが増長しました。一握りの理性があれば起こるべくもなかった事件です。追及を逃れるためにさらなる横暴を企てる、そのような暴走した悪魔たちが人々と社会を恐怖に陥れようとしています。



遠隔兵器技術との関連


施設で行われていた実験が地表全体に広がった。
兵器技術のマインドコントロールとしての使用法。



凶暴な隠蔽活動


被害を訴える人たちへの暴力。
効果的な殺傷手段。



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