『夢の扉』−5

じっとりと、背中を冷たい汗が流れる。
わけのわからない不安が、直江の胸に暗く広がっていた。

トンネルから出たばかりで目が眩んだとはいえ、何の気配もなく飛び出した人影。
銃口を向けられているのに、気付かなかったどころか、少年が来たことすら感じなかった。
いつもなら有り得ないことが、立て続けに起きる。
あのトンネルを境に、まるで異世界に迷いこんだような錯覚を覚えて、
直江はブルッと頭を振った。

「これは何だ?」
渡された札を不思議そうに眺めて、ヒオがタケルに尋ねた。
「一万円札だよ。現代の日本で一番高額な金の単位。
ん〜そんだけありゃ、色んなものが買えるかな。」
タケルが丁寧に説明してやる。
ヒオは「ふうん」と頷くと、興味を無くしたようで、タケルにそのまま全部渡した。

「なあ仰木、あの子どうなってんだ? 一万円も見た事ないみたいだぞ?」
来るなと言ったのに、高耶と潮がすぐ近くまで来ている。
直江はヒオとタケルから目を離さず、高耶たちを背に庇った。

昼下がりの田舎道に、穏やかな日差しが降り注ぐ。
晩夏を過ぎた風が、秋の匂いを含んで涼やかに通りすぎた。
不自然なほど人の気配のない道の真ん中で、虹色に光る服をまとったヒオと
黒い学生服のタケルだけが、強烈な存在感を放って立っている。
これは本当に現実なのか?

だがこの状況を受け入れられないのは、直江だけなのだ。
潮にしても、この二人を不思議に思っているものの、この世界に違和感を持ってはいない。
そして高耶は、あきらかにヒオを知っていながら、何も言わずにいる。
直江にとっては、それこそが今の状況を、嘘だと思いたい最大の理由かもしれなかった。
そんな心の内を読んだかのように、ヒオがふいにこちらを向いて、小さな声で囁いた。

「あんたが直江か。大丈夫、あたしはあんたの大事な人を傷つけたりしないよ。」
驚愕のあまり、金縛りになったように動けなくなった直江を、
ヒオの黒い瞳が、深遠な輝きを湛えてまっすぐに見つめた。
「…どういうことだ。おまえたちは…何者だ。」
聞きたくなかった疑問を、直江はとうとう口にした。
どうあっても関わるしかないのか…。
思わぬ領域に踏み込んでしまったことを、直江は今はっきりと自覚していた。

「怖がるな…と言っても無駄だな。あんたには怖れる理由がある。正常な反応だ。」
吸込まれそうな黒い瞳で、傷ついた子供を労わるように見つめると、
謎めいた言葉を残して直江から視線を外したヒオは、
「ようこそ百間山へ。来訪を感謝する。」
驚くタケルを目で制し、ゆっくり全員を見渡した。

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