『闇夜の灯火−2』

 

地蔵の横で、木の根に座って直江を待ちながら、景虎は昔を思い出していた。
ずっと昔。あれは武田から北条に戻ったばかりの頃だった。
まだ小さかった俺は、北条領を探検するのが面白くて、ひとりで遠くまで歩いていった。
帰り道がわからなくなって、日が暮れて。
夕陽に照らされ黄金色に光るすすきの穂に、見とれていたのも束の間。
どんどん暗くなってゆく道端で、途方に暮れて泣きたくなった。
もう帰れないかもしれない。父上…兄上…姉上…。
やっと覚えた優しい顔を、ひとりひとり思い描いて膝を抱えた。
月もない闇夜。真っ暗になった道を歩く事もできなくて、そのままじっと座りこんでいると、
どこからか笛の音が聞こえてきた。

それは館でよく聴いた、暖かくて力強い美しい調べだった。
「…兄上! 氏照兄上っ…兄上ぇ…」
力いっぱい叫んだ。嬉しくて、ほっとして。
やがて近づいてきた灯火に、兄上の顔が見えた。
「三郎っ! この馬鹿者! ひとりでこんなところまで来てどうするのじゃ!」
しっかりと抱きしめてくれた兄上の、頬も着物もとても冷たくなっていた。
「兄上…ごめんなさい。ごめんなさい。」
申し訳無くて、何度も詫びを繰り返した。
馬鹿者と言いながら、兄上は泣きそうな顔で笑っていた。

その温もりを思い出して、景虎は膝を抱えて俯いた。
もう北条には帰らない。そう決めたではないか。しかも自分は死んだ身だ。
先程の笛の主が兄上だったとしても、見つけてどうする気だったのか。
この姿で会っても、わかるはずもないのに。
会いたかったのか…俺は…。
似た笛の音を聴いただけで、こんなにも胸が絞めつけられる。
暮れてゆくすすきの原を、景虎は膝を抱えたまま、ずっと眺め続けていた。

 

 

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