月夜の笛−2

 

船が桟橋に着き、さっそく三人は、島を調べることにした。
観光案内所でパンフレットを貰い、その地図を頼りに関係ありそうな所を探す。
だが地図では、大蛇に繋がりそうな場所が、見当たらない。旅館やキャンプ場、ハイキングルートなどがあるだけだ。
「参ったな。大蛇を封印した石碑とかあったら、判り易いんだが。」
「しゃあねえ、二手に分かれて、廻ってみようぜ。俺はこっちから行くから、おまえ達は、そっちから来てくれ。」
 千秋はそういうと、直江にウィンクして、さっさと東の方に行ってしまった。
「なんなんだ?今の?」
「いや、ははは。目にごみでも入ったんじゃないですか。」苦しい言い訳をしながら、
「さ、行きましょう。」と歩き出した。

先に歩く直江の背中は、大きくて逞しかった。服の下には、高耶をかばった時の傷が、まだ残っているはずだ。
なぜ彼はあれほどに自分をかばうのだろう。俺が景虎だから、なのか。いや、景虎じゃなくても、守ってくれたかもしれない。直江は優しいから。
でもきっと、こんなに近くには居てくれない。こんなに俺を求めてはくれない。
そんなことを考える自分が弱く頼りなく思えて、高耶はいきなり直江を追い抜くと、
「こっちに廻ろう、直江」と声を上げた。

海を見下ろす岬の砲台は、今も使われる事無く置かれている。第二次世界大戦の名残を、こんな場所でみるとは思わなかった。
少年らしい好奇心で、珍しそうに眺める高耶を、直江は複雑な思いで見ていた。
景虎が、戦争を止めようとした事も、どんな思いで慟哭したかも、今の高耶は覚えていないのだ。

「ここには、暗い念は残ってないようだな。不思議なくらい清浄だ。」
高耶の言葉に、ここが軍事基地だったことへの思いを読みとって、直江は一瞬、記憶が戻ったのかと思った。
「無人島だから、なのか。なんで人間は、思いを残しちまうんだろうな。」
「人が残す思いは、恨みや哀しみだけではありません。幸せを願う心も、残って後の人々を守ってくれるものです。」
「そう、だな。」
高耶の瞳は、それでも、奥に深い哀しみを宿したままだった。景虎の記憶があってもなくても、彼は変わっていない。直江は胸が締め付けられるようだった。

島のほぼ半分を廻って、沼を見下ろす坂の上にさしかかった頃、突然空が暗転した。
異様な霊気が満ちてくる。緊張が走った。
「直江、あれを見ろ!」
高耶が叫んだ。沼のふちで、何かがもつれあって戦っている。
「長秀!」
千秋が、もがく大蛇を抑えこんで、念波をはっている。大蛇が千秋を引き剥がそうと暴れ、プラズマがはじける。グロテスクな蛇の鱗が、激しい動きにつれて青黒く光る。千秋の元へ走った二人だったが、その瞬間、霊気が異常に膨れ上がった。

「いけない!離れろ、千秋!」
凄まじい気が、千秋を弾き飛ばす。直江と高耶が、同時に護身波を放ち、かろうじて千秋は、気の直撃をまぬがれたが、プラズマが体の周りをパチパチ走り、衝撃で体が痺れて動けない。
「チッ、油断しちまったな。」
苦笑しながら、目は笑っていない。
「どうやら、逃したようだな。」
「あの大蛇、思ったより強そうですね。この夏の空に、闇を呼びこむとは。尋常じゃない。ただの蛇霊とは思えません。」
確かに、あの気の大きさは、普通ではない。だが、それ以上に不思議なのは、千秋から逃れただけで、他には何もせずに、消えてしまった事だ。
あれだけの力があれば、こちらにもっと攻撃し、倒すことも可能な筈なのに、それをしなかったのは、なぜなのか。
「あの野郎、俺を誰かと間違えたんだ。」
千秋が、ぽつんとつぶやいた。

「どういうことだ?」
暫く考え込んで、やっと千秋は、
「奴は、大切な人を探しているんだ。それが誰かはわからない。だけど、俺が奴を捕まえようとした時に、違うってわかって、急に暴れ出したんだよ。」
「大切な人だと?それってどういうことなんだ?益々わからねえ。」
伝説の通りだとすると、笛で誘って封印した頼宣を、恨んでいるのが普通だろう。しかし千秋は、恨みではないというのだ。

お待ちしておりました。やっと来て下さったのですね。

この沼に近づいた時、大蛇は美しい女の姿で、千秋に呼びかけた。目に涙を浮かべ、懐かしい人に会えた喜びに、声を震わせて。
その言葉に、嘘は無かったと、千秋は思う。
あれは、心からの喜びだった。誰を待っていたのか、それはわからない。
ただ、その人を大蛇は、とても大切に思っている。それだけは信じられると、千秋は思った。
「ともかく、もっと調べるしかなさそうだな。あの強さは龍神クラスじゃねえか?なんで急に、あんな奴の封印が解けたんだろう。裏になんかありそうだ。この辺だと、雑賀や一向宗も絡んでるかもしれない。その線でも、探ってみてくれ。」
「御意。」
高耶の指示に、確実に景虎の記憶が戻りつつあるのを感じながら、直江は即座に答えた。

この友が島では、シーズン中だけ開いているペンションのようなものがあり、たまたま一軒空いていたので、とりあえずそこに泊ることにした。
直江が軒猿から受けた報告によると、2ヶ月ほど前、このあたりで雑賀衆が動いていたらしい。しかし特に変わった事がなかったので、詳しい調査はしなかったということだった。
「やはり、雑賀衆が、関わっているようですね。封印を解いたのは、彼らでしょうか。」
「うん、可能性はあるが、その後何の動きもないのが妙だな。」
首をひねる二人に、千秋が言った。
「もしかしたら、利用するつもりで封印解いたものの、手に余って放り出したんじゃないのか? あいつ、人のいう事なんか、聞きそうにないからな。」
 手ひどい目にあった割に、大蛇のことは気に入ったようで、千秋はまるで友達のような言い方である。

「もしそうなら、随分無責任な奴らだな。実際三人も浚われてる。危険なものを、野放しにしたまま、放り出すなんて。」
怒る高耶に、直江が言った。
「怨霊にとっては、生き人が困る事など、関係ないですからね。だから我々が調伏しないといけないんです。闇戦国を終わらせない限り、何が起こるかわかりません。」
高耶はじっと眉を寄せて、睨みつけるように窓の外を見ていた。外はもう真っ暗だ。
月明かりが木々を照らす。今夜は満月だった。
「誘い出してみるか。」
高耶が、振り向いて言った。

「危険です。敵の正体もわからずに、こちらから仕掛けるなんて。」
直江がそう言うと、
「だが、待っていても、何も変わらない。それに奴の正体を知るには、手がかりがなさすぎる。」
高耶の瞳が、挑戦的に光る。
「俺も賛成だ。今度こそ捕まえてやる。」
やられたままで、引き下がる千秋ではない。相手が強い程、燃える男なのだ。
「どうしてもやるというなら、仕方ありませんね。誘い出すのは、私に任せて下さい。」
そういうと、直江は数珠を取り出して、高耶に渡した。
「この数珠には、摩利支天の御力が込められています。念じれば、姿を隠す事ができますから、役に立つでしょう。くれぐれも無理はしないように。」
「わかった。」
高耶は、直江の目をみつめて頷いた。
「俺には何にもないのかなあ、直江〜。」
千秋の声を無視して、直江は外に出た。

高耶達も、あとに続いて出ると、物陰に隠れて様子を伺う。
直江は静かに口笛を吹き始めた。美しいメロディが流れ始める。
昔どこかで聴いたような旋律だった。思い出せないけれど、自分は確かに知っている。懐かしさで胸が痛んだ。
「直江は覚えてたんだな、あんなに昔の曲なのに。」
訝しげな高耶に、少し目を伏せて、千秋は小さく続けた。
「春日山城で、お前がよく吹いてた笛だよ。」
400年も前のことだ。
覚えていたのか、直江、お前はずっと?
高耶は言葉をなくして、ただ直江の背中を見ていた。

口笛は夜風に乗って流れてゆく。
大蛇はきっと来る。
左手の数珠をぎゅっと握り締め、摩利支天の真言を観じ、神経を集中する。
すうっと、高耶の姿が消えた。気配すら感じられない。
へえ、と感心しながら、千秋は木っ端神を手に、身を潜めてじっと待った。
直江は口笛を吹き続ける。その音色が、ふと途切れた。直江の前に、いつのまにか美しい若い女が、立っていた。

「ずっとお待ちしておりました。いつか必ずお会いできると、信じていました。頼宣さま。」
やはり頼宣を探していたのか?
驚きを隠して、黙って女の出方を待つ直江の胸に、女がいきなり縋りついて泣き出した。
困ったのは直江だ。予想外の展開に、どうすべきか迷ってしまう。しかも高耶が見ているのに。
だがこのままでは、不信に思われる。直江は意を決して、女を抱きしめた。

女の腕が妖しく絡みつき、涙に濡れた瞳が妖艶な光を放ち出す。
高耶の胸に、ちりっと痛みが走った。
奇妙な感覚に戸惑いながら、じっと動きを待つ。
直江に唇を近づけた女だったが、触れる寸前、まじまじと顔を見つめた。
「違う。あなたは頼宣様ではない。」
絶望的な声をあげて、女が大蛇に変わった。

全長3mはあろうか。ぬめぬめと光る鱗が、妖しく蠢く。
恐ろしいほどの早さで、直江に巻き付き、ぎりぎりと締め上げると、のたうちながら林の奥へと、連れていく。
息も出来ないくらい締め付けられて、直江は逃れることもできない。
凄い力だ。護身波で防御していなければ、あばら骨が折れていたに違いない。
一体どこに行くつもりなのか、大蛇は島の奥へと進んでいく。
直江はついに意識を失った。

 

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