月夜の笛−1

 

夏の太陽が、じりじり照りつける。エアコンが効いているとはいえ、強い日差しは半端ではない。
高耶、直江、千秋の3人が乗る車は、和歌山に向っていた。
和歌山には雑賀衆がいる。最近活動が活発になっているらしいので、奈良からの帰りについでに見ていくことになったのだ。
高野山、根来寺と、少々やっかいな場所を通り越し、和歌山市内へと向うつもりが、つい曲がりそびれてしまった。道路標識が不親切なのは、和歌山の常識だったが、それを直江が知るはずも無い。おかしいと気付いた時には、既に加太まで来てしまっていた。
そのまま戻っても良かったのだが、途中キャンプ場の看板を見つけた高耶が、そこに行こうと言い出した。
「いっつもホテルばっかじゃ、もったいない。ここは手ぶらでもOKらしいし、ここで泊まろうぜ。」
どうやらずっと車の中だったので、外に出たかったらしい。
「いいねえ、バーベキューでもしようぜ。」
千秋も乗り気だ。直江は苦笑して、キャンプ場へ車を乗入れた。

「たまにはいいよな、こういうの。」
なんだか楽しそうな高耶である。借りたテントの設営も難なくこなし、炭を熾してバーベキューの用意までしてしまった。
「へえ、意外とやるじゃん、大将。」
千秋と直江も多少は手伝ったが、高耶の手際の良さに、素直に感嘆の声を上げた。
野外は、開放的な気分になる。魚も新鮮でうまかった。澄んだ空気を吸い、体中に元気が戻ってくる気がした。

食事の後は、やはり温泉だ。ここは、国民宿舎の風呂を利用できる。
直江はいつものように、主君と一緒の湯につかるわけにはいかないからと断ったが、
「じゃあ、背中流せ。主人の命令だ。」
「命令じゃ、断れねえよな、直江。」
とうとう脱衣場に来てしまった。
「そういえば、お前は平気なんだよな。」
「当り前だろ。俺はお前に仕えちゃいねえんだよ。直江とは違うの。」
「長秀、お前という奴は…。」
なんだかんだと、千秋は直江を風呂に入れてしまった。

もちろん高耶は背中を流させたりはしない。
「やっと一緒に入れたな」
高耶が嬉しそうに笑った。3人で同じ湯船につかるなど、初めての事だ。ゆったりと温泉につかっていると、昼間の疲れも溶けてゆく。手足を思いきり伸ばしても、誰にもぶつからない広さがいい。
大きな窓からは太平洋が見えた。もう太陽は沈み、残照が瞬く間に翳ってゆく。遠くの波を見つめる高耶の瞳は、星の光を映していた。
景虎ならば、一緒に風呂に入ろうなどと、言わなかったろう。記憶のない高耶だから、こうして直江に笑顔をくれる。この人と今度こそ、揺るぎ無い信頼の絆を結んでいきたい。直江は心からそう望んでいた。

夜中にふと目を覚ました高耶は、テントを出て、ひとり夜空を眺めていた。
満天の星を見つめていると、まるで宇宙に吸いこまれるような気がする。
ここは市街地に近い割に静かで、山中の鳥や虫の声が聞えるだけで、夜のひんやりとした空気が、昼間のほてりを癒してくれる。
ランタンの灯を消すと、空の星はいっそう近く感じられた。
どのくらいそうしていただろう。ふと人の気配を感じた。
小さく微笑んだ高耶は、
「直江、ここは星が大きく見えるな。」
と振り向きもせず言った。

直江がいつのまにか、すぐ近くに来ていた。自然な動作で、高耶に上着を羽織らせると、
「夜は冷えます。夏でも風邪を引きますよ。」
とささやいて、肩を抱くようにして、テントに戻ろうとした。
 直江のぬくもりに、自分の体が意外なほど冷えていた事に気付いた高耶だったが、なんだかまだ外にいたかった。
「もう少しだけ、このままでいたい。」
 そう言った高耶に、直江は子供を宥めるような笑顔をむけると、
「困った人ですね。少しだけですよ。」
と、肩を抱いたまま、ベンチに腰掛けた。

直江の温かさが心地いい。二人でこうして夜空を見上げていると、不思議と心が落ち着いた。直江の肩に頭を預け、いつしか高耶は眠っていた。
 「眠ってしまったんですか、高耶さん。」
思わず顔を覗きこんだ直江は、そのままじっと見つめていた。唇から視線がはずせない。胸の鼓動が、直江を追い詰めるように、大きく早くなってゆく。
高耶の信頼に応えたい気持ちとは裏腹に、一緒に過ごす時間が、直江の心の奥に秘めた欲望を、呼び覚ましていた。
このまま抱きしめてしまいたい。この人を自分だけのものにしたい。腕の中で、彼はどんな表情をみせるだろう。見せて欲しい、俺だけにその全てを。感じたい、彼の全てを。

直江を誘うように、薄く開いた唇から、小さな吐息がもれる。直江は必死に理性を保とうとしていた。
せっかく自分に開きかけている高耶の心を、直江は失いたくなかった。
そんな葛藤も知らず、安心して眠っている高耶が恨めしい。
どうしてこの人はこうなのか。
無防備な姿で誘っておいて、そのくせ決して俺のものにはならない。彼が無自覚に放つ芳香に酔いしれ、どれほど焦がれ苦しむことか。いっそこのまま、欲望に身を任せてしまおうか。

後の事など考えられない程の欲求に、直江が負けてしまいそうになった丁度その時、絶妙なタイミングで、声がした。
「よう、直江。遂に決心したか。やっちまえばいいんだよ。この大将には、そんくらいしなきゃ、わかんねえって。」
涼しい顔で言う千秋に、
「長秀〜っ」
直江は恨みの込もった眼差しを向けた。
「あれ?眠っちまってた?」
ぽけっと目覚めた高耶には、もうエロスのかけらも無い。
「やっぱ、テントに戻って寝るか。」
妄想の行き場をなくした直江は、深い溜息をついた。

翌朝、朝食を買いに行った千秋が、売店でおかしなうわさを聞いてきた。
「笛を吹くと、大蛇が出るって?なんだそりゃ」
パンをかじりながら、高耶が言うと、
「そういえば、和歌山には、そんな伝説がありましたね。確か徳川頼宣の時代に、大蛇が出て人々を襲ったのを、頼宣が笛でおびき寄せて、退治したとか。どこかの島に封じた、ということだったと、思いますが。」
いつもながら、直江の知識には、驚かされる。
「そうそう、それらしいんだよ。さすが直江、ケダモノの話は、よく知ってるな。」
千秋の言い方に、引っ掛るものを感じた直江だが、今はその話の方が気になる。
「で、その大蛇が、なんで今頃出て来るんだ?今時、大蛇なんて、そう怖がるもんでもないだろう?」
「それが、どうやら普通の蛇じゃないらしい。若い女の姿で現れて、夜に口笛を吹く男を浚っていくっていうんだ。」
千秋が、真剣な顔で言った。
蛇が人間に化けるなど、どう考えても御伽噺だ。しかし人を浚うというのを、黙って見過ごす訳にもいかない。とりあえず、詳しい話を聞くことにした。

「お客さん、伝説のこと、よう知ってたねえ。地元でも、もうそんなん知らん人しか多いんやで。昔は、夜になったら笛吹いたらあかんって、おばあちゃんに怒られたもんやけど、今の人はそんなん気にせえへんし、よそから遊びに来る人も多なったしなあ。」
気さくな売店のおばさんは、かっこいい男達に話を聞かれて、舞上がっている。そのまま際限なく話し続けそうなのを、うまく切り上げ、テントに戻った3人は、要点を整理してみた。
事件はここ一ヶ月の間に起きた。
浚われたのは、3人。いずれも二十〜三十歳の男性で、夜に口笛を吹いていたら、若い女に話しかけられ、ついていくと、いきなり女が大蛇に変わり、周囲が止める暇もなく、連れ去られたというのである。3人とも、口笛がとても上手だったという。
「凄い美人に化けてたらしいぞ。」
千秋が嬉しそうに、付け加える。
「どうだっていいんだよ、そんなのは。」
「とにかく、現場に行ってみましょう。」

第一の現場は、このキャンプ場だった。霊査してみたが、なにも見つからない。キャンプ場をひきはらい、次の現場に向う事にした。
第二の現場も、何も見つからなかった。
最後の現場、淡島神社の近くの浜でも、霊の痕跡は無かった。
「霊力とかじゃないのか?一体どういうことなんだろう。」
参道の店からサザエの壷焼のいい香りが漂う。誘惑に負けて店内で食べていると、店の人が、
「お客さん、友が島へは行かんのかい?」
と声を掛けた。

友が島は、加太の沖にある無人島で、日に何度か観光客を運ぶ船が運行している。
大蛇が封印された島ではないか、ということで3人は船に乗った。
青空が広がり、潮風が気持ちいい。砕けていく波が、きらきら光っている。
「島が見えてきたぞ。あれが友が島か。」
前方に、大きな緑の島が近づいていた。

 

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