珈琲の香りが漂う。金曜の夜と同じように、この部屋には心地よい空気があった。
「私がどういう人間か、わかっているはずなのにどうして来たんです。」
静かに尋ねた。自嘲の混じった声に、高耶がふっと笑った。
「なんだよ、謝らないんじゃなかったのか。」
直江の目に光が宿った。
「いいんですか? そんなに煽って。」
「煽ってなんかない。言っとくけど、抱かれるつもりなんか、これっぽちもねえからな!」
俯いてカバンを開けながらそう言うと、直江が作ったテスト問題を取り出した。
心を決めてここに来たのに、いざとなるとやはり躊躇ってしまう。
高耶はひとつ息を吸ってから、テストの一部分を指さした。
「この問題が解けないんだ。」
「え? そんな難しい問題じゃないでしょう?」
どうして解けないんです?と覗きこんで、直江は息を止めた。
「本当に?これが間違いじゃないと言ってくれるんですか?」
直江の瞳がみるみる輝き始める。
「けど! 俺は別に体を求めてるわけじゃねえからな!」
赤くなって、早口で言い放つとパッと立ち上がった。
カバンを持ってそのまま帰ろうとする高耶の手を、直江がしっかり捕まえた。
「でも、求めてないわけじゃない。そうでしょう?」
「おまえ。俺が言ったこと、ちゃんと聞いてなかったのか?」
険悪な目で睨みつけた高耶の体をスッと抱きこんで、直江はにっこり笑った。
「もちろん聞いていますよ。あなたの心の声も。」
開いた口が塞がらない。そんな勝手な言い分があってたまるものか。
だが直江は高耶を離さないどころか、もっと強く抱いていた。
一旦立ち上がったソファに、もういちど押し戻されて、高耶は体を強張らせた。
「やめろっ! 俺はこんなこと求めてんじゃねえっ!」
「だったらどうしてここに来たんです。俺が求めてるのはあなたの全てだ。そう言ったでしょう。
あなたは何を求めているの?」
「俺は…。」
直江の瞳が、高耶をじっと見つめている。
俺が求めているのはこの瞳なのだろうか? それとも直江の手?声?
違う。俺が求めているのは、直江だ。この男の全てだ。
だけど…だけど…。
「嫌だ! 今までおまえが付き合った奴らと一緒にすんじゃねえ!」
顔を背けて叫んだ。直江は驚いて高耶を見つめた。
「高耶さん。」
あのドクンと胸に響く独特の声で呼びかけると、高耶のさらさらした前髪に優しく触れた。
高耶の瞳が、戸惑ったように直江を見上げた。
「そんなことを気にして泣いていたんですか? 可愛い人だ。」
「ばっ!バカな事言ってんじゃねえ。あれはおまえがいきなりあんなことすっから…。」
「じゃあ、いきなりでなければ良かったんだ。」
「んなこと言ってんじゃな…。」
言いかけた言葉は、直江の唇に消されてしまった。
甘いくちづけが高耶の抵抗を奪っていく。
高耶の指が、縋るものを求めて直江のシャツの衿をきゅっと掴んだ。
その手を包み込むと、やがて高耶が小さな喘ぎを洩らすまで、深く唇を重ねた。
体の力が抜けて、荒く息を弾ませながら握り返した高耶の手に、しっかりと指を絡ませる。
やがてそっと唇を離して、直江は高耶に囁いた。
「あなたを他の人と一緒にしたりしない。俺が欲しいのはあなただけです。」
ぐったりとしたまま、高耶の潤んだ瞳が直江を見つめている。
「生涯あなただけです。」
誓うように言った。あなたに誓おう。これが真実だと。
直江の瞳を愛しげに見つめて、高耶が微笑んだ。
「誓ったりするな。もういいんだ、そんなの。」
誓わなくていい。おまえが俺を求めている。俺もおまえを求めている。
それだけが全てなんだ。誓いなんて…いらない。
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