『雨の雫を抱きしめて』

久しぶりの休日だった。
京都での撮影が始まってから、高耶が会いに来てくれたのは初めてのことだった。
人目がなければ、抱きしめて離さなかっただろう。
そうしてしまえば良かったのだ。
そうすれば他のことなど、何も考えずにいられたのに…


「戻って下さい! これほどの才能をどうして…
あなたはなぜ捨ててしまえるんです!!」

高耶に相手をしてもらって、台本の読み合せをした。
ほんの数十分だ。
たったそれだけなのに、この手応えはどうだ。
実際の相手役など比べものにならない。

やはりあなたは辞めるべきじゃなかった。
そう言った直江を、高耶は笑って相手にしなかった。

「おまえは俺を買い被ってるだけだ。それに…俺のは限定だから…」
照れくさそうに肩を竦めると、高耶はそのまま歩き出した。

光のかけらを演れたのは、白井がおまえだったから。
本当に尊敬できたから、演じられたんだ。
こんなのは才能なんかじゃない。
演じるっていうのは、ホントはそういうもんじゃねえだろ?

ぽつぽつとこぼれる言葉を拾いながら、直江は高耶の背中を追った。
高耶の言いたいことはわかる。
けれど直江には、高耶の才能が特別なものだと思えてならなかった。
出会ってから、どれほど思っただろう。
自分にもこの才能があったら…と

それを高耶は捨ててしまうのだ。
どんなに願っても得られないものなのに…

たまらなくなって呼び止めた直江の声は、悲痛な叫びとなって高耶の耳に届いた。

高耶の心に、直江の隠していた痛みが、初めて届いた瞬間だった。

少し冷たい風が木立を吹き抜ける。
振り向いた高耶は、直江の真剣な瞳を見つめて
「俺を追うな。そんなの違うだろ?」
と言った。

その目に浮かんだ痛みの色が、直江の胸を打ちつける。
ようやく会えた。
それなのに、なぜこんなことを言ってしまうのか…
激しく後悔しながらも、それでも直江は言わずにいられなかった。

その才能を。
どれほど願っても得られない天賦の才を。
どうしてあなたは捨ててしまえる!!

引退会見で、高耶が言った言葉に嘘はない。
でも…そんなことで…それだけで…
その才能をきっぱりと捨ててしまえる高耶を、許せないと思う気持ちが自分の中にある。
直江は、それをそのままにしておくことが、どうしても出来なかった。

「直江…」
拳を胸に押し当てて、耐えるように顔を背けた直江に、
高耶はどう言えばいいのかわからなかった。

直江が泣いている。
声も立てず、涙も流さずに―――
その原因が自分にあることが、なによりも悲しかった。

おまえを苦しめるのは俺なのか?
慰めたい。
泣くなと言ってやりたい。
なのに…
俺が何を言っても何をしても、おまえを苦しめるだけなのかもしれない。

でも…
それでも俺は、おまえを失いたくないんだ。

「直江。俺は…」
言葉が続かなくなって、高耶は直江を見つめたまま立ち尽くした。

ザワザワと梢が揺れる。
飛ぶように流れていく雲が、いつのまにか空を重く覆い始めていた。
「雨になりそうですね。」
呟いた直江は、高耶の隣に並んで、そっと肩を抱いた。
「すみません…俺はあなたを苦しめることしか出来ない…」

それでも、あなたを放せない。
守るどころか苦しめてばかりなのに…

直江の手が、高耶の肩をギュッと抱きしめた。
その強さに胸の奥が熱くなる。
苦しんでるのは直江だ。
おまえを苦しめてるのは俺だろう?
なのに…

「なんで謝るんだよ。おまえは何も悪くない。
 俺のことなんて気にしなくていいんだ!
 だっておまえは…
 俺は苦しくなんかない。
 我慢なんてするな!
 おまえの気持ちなら、なんだって俺にぶつけていいんだ!!」

どう言えば伝わるんだろう。
おまえがしてくれたように、俺もおまえの心を受け止めてやりたい。
どうすればいい?
俺が出来ることは何だ?!

「おまえが教えてくれたんだ。
 一番大事なものが、なんなのかってことを…
 才能なんて知らない。そんなの俺には無い。
 もし有るとしても、自分の気持ちに嘘をつかなきゃ演れないなら、辞めるしかねえだろ?」

そう言って、高耶は直江を見つめた。
悲しい色を宿した真剣な瞳が、心の底まで染み入るようで、直江の胸は益々痛んだ。
わかっている。
だから苦しいのだ。
高耶の想いを知っていながら、責めてしまう自分が許せなくて…
だが、胸がキリキリ痛んでも、直江は高耶の瞳から目を離すことが出来なかった。

心の奥から愛しさが溢れて止まらない。
愛している。
この想いだけが俺の全てなら…
どうして俺は、自分を捨ててしまえないのだろう。
こんなにあなたを愛しているのに――

その場しのぎの慰めなんて、おまえは求めちゃいないだろう?
俺に出来るのは、心を伝えることだけ…

おまえを苦しませても、泣かせても、
俺が泣いても苦しくても、
それでも俺は、おまえが欲しい。

こんな身勝手な想いじゃダメか?
けど、俺は他に何も言えない。
おまえの痛みは、おまえだけのものだから…

俺には消せない。
きっと誰にも消せやしない。
俺たちはみんな、それぞれの痛みを抱いて生きているんだ。
だから…

高耶は両手を伸ばすと、直江の頬をしっかり挟んで引き寄せた。
唇を押し当てるだけのキスから、そっと舌の先が触れ合って、
やがて心を注ぎ込むように、深く熱く重ねていく。

大きく目を見開いていた直江の瞳から、ツウッと温かい涙が一滴、高耶の指を伝った。

完結してなくてごめんなさい〜(滝汗)
「光のかけら」の続編です。まとめただけなので読みにくいでしょうけど…(^^;
来て下さって本当にありがとう! 感謝を込めて…

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