仰木高耶拉致作戦−3

 直江が自分を探しているとも知らず、高耶は眠り続けていた。
 ここは、潮が見つけた別荘だ。
 かなり以前から使われていなかったようで、見つけた時はほとんど廃屋だった。
 剣山の中腹にあり、近くには小川が流れているが、道など無いに等しい。
 一体どうやってこんな場所に家を建てたのか不思議なくらいだ。
 そこをせっせと掃除して、新しいふとんも運び込み、ゆっくり眠れるようにカーテンもかけた。
 俺も結構まめだなあ、と我ながら感心してしまう。

 ベッドで眠る高耶の寝顔は、どこかあどけなさを残していて、
「今空海」と呼ばれる人物とはとても思えない。
 年下なんだよなあと改めて思う。守ってやりたい、そんな気にさせる。
 それなのに実際は、こっちが守られる方が多いくらいなのだ。
「ゆっくり休んでろよ、仰木。騙したこと勘弁してくれよな。」
 ベッドの横の椅子に座って、潮は高耶の髪をそっと撫でた。

 すると、高耶がうっすらと眼を開けた。
 高耶の瞳を見た瞬間、息が止まりそうになった。
 こんなに間近で彼の瞳を見たのは初めてだった。
 真正面から見た訳ではない。
 それでもその美しさに、胸が震えた。

 祖谷で初めて出会った時を、潮は唐突に思い出した。
 あの「命の孤独」と表現した、痛いほどの美しさが、彼の瞳に凝縮されている。
 赤鯨衆の隊長になっても、「今空海」になっても、
 彼の本質はあの日となにも変わっていないのだと、潮は改めて思った。

「武藤?」
 問いかけた高耶は、まだ薬が効いているようで、起き上がれない。
「仰木、お前ひとりで何もかも背負わなくていいんだぞ。苦しかったら言えばいいんだ。
 俺が、いや俺達が一緒に背負ってやる。お前は絶対、ひとりなんかじゃないからな!」
 潮は高耶の手を握り締めると、立ちあがった。

「スペシャルゲスト、出迎えてくるから、そのまま待ってろよ。」
 いたずらっぽく笑うと、訳がわからない顔の高耶を残して表に出た。
 黒豹が高耶を守るように、ベッドの足元でうずくまったまま、潮を見送った。
 潮の後姿を見送って、高耶はもう一度眠りに落ちた。

「さあて、準備は万端。あとはゲストの到着を待つばかりってとこだな。」
 門番さながらに入り口に立ち、周りを見まわした潮は、なにかを感じてふっと笑った。
 静かに精神を集中して、力を一点に集める。
 すると、しばらくして木立の間から水蛇が現れた。
 気配を察して、潮が呼び寄せたのだ。

 かなり遅れて直江が姿を現した。
 服には泥や草の汁が付着して、ここまでの道程が楽ではなかったことを物語っている。
「なかなか大変だったようだな。けど、思ったより早かったぜ。」潮は不敵に笑った。
「仰木隊長は?」
「中で眠ってるよ。心配いらない。」
 別荘に入ろうとした直江を、潮が遮った。

「待てよ。ホントなら俺がずっと一緒にいるはずだったんだぞ。
 それをタダで譲ってやろうってんだから、お前の気持ち、ちゃんと聞かせてもらおうか。」
 直江はとまどった。
 そういえば、さっきの言葉もまるで俺が来るのを知っていて、待っていたような口調だった。
 どういうことだろう?

「見くびるなよ。これでも水の虎って呼ばれてるんだぜ。水蛇をここへ呼んでやったのは俺だ。
 あんたなら必ず追ってくるって思ってた。中川が教えてくれたんだろ?
 中川も仰木のことよくわかってるから、あんたには絶対教えるって思ってたんだ。
 大正解だったぜ。」
 それでは、はじめから俺をここに呼ぶつもりだったのか?直江は益々わからなくなった。

「どうしてこんな面倒なことを?」
 いったい武藤は何を考えているのだろう。
「賭けだよ。確かめたかったんだ。あの仰木が一番大切に思ってる奴が、
 本当にそれにふさわしい奴かどうか。ここまで来たってことは、まず、中川と卯太郎が
 認めたってことだ。あとは俺が認めるかどうかだ。」

 武藤は本気だ。真剣な目をしている。
 力ずくでは通れない。
 武藤がどれだけ高耶を思っているかは、彼の目をみればわかる。

「通してくれ、武藤。あの人に会いたいんだ。」
 直江は心からそう言った。
 会いたい。
 もはや他の言葉は浮かばなかった。

 潮はじっと直江の瞳を見つめた。
 鳶色の瞳に映る苦悩の色を読みとって、
「仰木と初めて会ったとき、俺写真に撮ったんだ。あんまり綺麗だったからつい撮っちまった。
 俺、あんな奴に初めて出会ったんだ。あいつの為ならなんでもしてやりたい。
 だけど、あいつが本当に大切に思ってるのは、あんたなんだよ。
 あいつが苦しい時、側にいて欲しいって求めてるのはあんたなんだ。
 わかってんのか?俺じゃあダメなんだよ。」

 涙が滲んでいた。
 なんで俺じゃダメなんだって叫びたかった。
「武藤…」
 直江も、言葉にならなかった。
 痛いほど潮の思いが伝わっていた。

「あいつが今、本当に必要なのは、心を休めることなんだ。
 頼む。あいつを休ませてやってくれ。」
 潮はそう言うと、道を空けた。

 最初からこうするつもりだった。
 認めるも認めないも無い。それが高耶の願いなのだから。

 口に出さなくても、高耶の思いはわかっていた。
 雨の夜の演説で高耶が言った、決して喪えなかった人…それが橘だということが。

 直江と入れ違いに、黒豹が出てきた。
 潮が黒豹を抱きしめると、豹は抗わずに頭を潮にこすりつけた
 潮は何も言わずに、ただ豹を抱いていた。暖かさが沁みていた。
「さあ、行くか。卯太郎をとっちめないとな。」
 しばらくして潮は、笑顔で立ちあがった。
 高耶のいる窓を振返ると、
「仰木…。任せたからな、橘。」
 心の中でつぶやいて、元気よく歩き出した。黒豹も一緒に歩く。
 やがて黒豹が走りだし、潮も「待ってくれよ〜」と叫びながら、賑やかに卯太郎の元へ走っていった。

 

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