『もも缶とりんご』

カチリと扉が閉じた。
(行っちまった)
そう望んだのは自分だ。なのに。
寒いよ…直江。おまえがいないと、こんなに寒い。
(寒くて…凍えちまう。)
布団の中で赤ん坊のように膝を縮めて、繋いでいた手を唇に押し当てた。
(ナオエ。なおえ。直江。)
おまえの温もりがここに残ってる。
目を瞑って、胸の内で名を呼ぶ。
何度も何度も繰り返し、ようやく高耶は眠りに落ちた。

「ただいま。高耶さん。」
暖かい声と同時に、冷たい手が額を覆った。
直江? もうそんな時間なのか?
俺、そんな長く眠ってたんだ。
(おかえり、直江。)
高耶は幸せそうに微笑んで、ふと傍らの時計を見た。
10時?
え? いま…夜…じゃないよな?
ガバッと跳ね起き、直江を睨みつけた。
(おまえ! 仕事はどうしたんだ!)

「今日はここで仕事をすることにしました。」
(はあ?)
にっこり笑った直江は、チェストの上を手際良く片付けて机代わりにし、ノートパソコンと書類の束を置いて、あっというまに仕事できる環境を作り上げてしまった。
「さあ、これで安心だ。あなたの風邪が治るまで、俺がずっとここにいますから。」
(んなこと、勝手に決めんなっ! 落ち着いて寝てらんねえだろうが。)
口をパクパクさせたが、声が出なくて伝えられない。
そのうち頭がくらくらしてきて、高耶はベッドにバッタリ倒れ込んだ。

カタカタとキーボードを叩く音が聞こえる。
布団から半分だけ顔を出して、こっそり直江の姿を眺めた。
真剣な横顔を見ていると、不思議なくらい気持ちが落ち着いてくる。
窓から差しこむ日差しが、柔らかくて暖かい。

「ああ、そうだ。高耶さん。もも缶とプリンとゼリーがあるんですが、どれがいいですか?」
突然こちらを向いた直江としっかり目が合って、焦った高耶は一瞬ぽかんとしてしまった。
「美味しいんですよ、この桃。」
いつのまに用意したのか、ガラスの器に缶詰の白桃をあけると、食べ易いように小さくしてスプーンですくった。
「はい。あーん。」
そう言って差し出すと、とたんに高耶が真っ赤になった。

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