『薫風』

澄み渡った空に、爽やかな風が吹き抜ける。

「いや〜気持ちのいい天気ですなあ。今日の体育祭は最高ですな」
上機嫌で話しかける校長に、笑顔で頷きながら、直江は高耶の姿を目で追っていた。
同じ学校にいても、教師と生徒では、思った以上に距離がある。
特に今から始まる競技では、高耶の隣に立てない自分が、もどかしくてならなかった。

(こんな時こそ、傍にいてあなたを守りたいのに…)

高耶は直江の気持ちなど知らぬ気に、同級生たちと肩を並べて入場門に向かっていた。

「また見てるぞ。あいつホントおまえのこと、心配でしょうがねえんだな」
隣に立った千秋が、こっそりと耳打ちして、高耶の顔をニヤニヤ覗き込む。
「知るか。んなことよりサッサと行こうぜ。矢崎が待ってる。」
そっけない態度でふいと顔を背ける高耶に、千秋は肩を竦めて微笑んだ。
ほんのり赤くなった耳たぶが、ちょっと色っぽくて触りたくなる。
千秋は直江の視線を捉えると、片目を瞑って小さく手を振った。

任せろ…と言っているのだと、頭では理解しながらも、やるせなさに胸がざわめく。
グッと奥歯を噛みしめて、直江は千秋から目を逸らした。

これから始まる『星盗り』は、長い竹竿の先に付けられた星の飾りを取ったチームが
勝ちという、わかりやすいゲームだ。
チームはクラスの代表3名で構成され、全学年が一斉に参加する。
勝利チームにはクラス全員に、学生食堂から特製デザート付ランチのお食事券が
贈られるとあって、どのクラスも全力で勝ちを狙っていた。

そのうえ制限時間内に星を取れなければ、竹竿の守り手である教師グループの勝ち
となり、お食事券が教師全員に配られることになっているので、教師たちの意欲も
半端ではない。星を盗るのは至難の業だった。

そんな熾烈な争いに、どうして高耶と千秋と矢崎の3人が出る羽目に陥ったのか…

いつのまにか決まっていたなんて、誰かの陰謀としか思えない。
しかもこの人選は、微妙に説得力があって、クラスの誰もが納得してしまったのだ。

深志の仰木と怖れられた高耶、運動能力抜群で背の高い千秋、矢崎も元気さでは
クラス最高を誇っている。
陰謀だとすれば、企んだ人物の頭の良さが伺えた。

「高耶、頑張ってね! おまえなら勝てるよ!」
譲の応援に、高耶が笑って頷く。
見ていた矢崎が、
「仰木って成田に甘いよな〜
 オレには、こ〜んな顔で『行くぞ』っつうだけなのにさ。」
指で目尻を吊り上げて、高耶の真似をして見せるのを、
「似てねえ〜」
と爆笑しながら、千秋は同意のしるしにコクコクと頷いた。

「ま、成田なら睨まれても笑ってそうだけど」
続いた矢崎の言葉に、千秋はもっと大きく頷いた。

 

競技開始から5分。初っぱなから敵に囲まれた3人は、少し遅れたものの、
ぐんぐん竹竿に近づいてゆく。
竹竿の周りは、既に大勢の屈強な男たちで、ごった返していた。

長くて太い竹竿は、直江と体育教師のふたりによって支えられ、更にその周りを
3人の教師がガードしている。
高耶たちは、ガードと格闘している3年生の脇をすり抜け、竿に近づく作戦に出た。

「小賢しいマネしてんじゃねえぞ」
脇を抜けたとたん、高耶は後ろ手に腕を捻られて顔を上げた。
ガードを抜ければ星を目指せば良いものを、こいつは星よりも待ち伏せを選んだらしい。
「なんだよ。てめぇは自分で星も狙えねえのか?」
ギリリと腕を捻られても、痛いと言うどころか嘲笑って挑発する。

相手が怒りに顔を歪めた瞬間、高耶は体を沈めて脚払いをかけた。
そのまま体を反転して、腹に膝蹴りを喰らわすと、高耶よりずっと重そうな巨体は、
呆気なくその場に崩れ落ちた。

「うへぇ。オレ仲間で良かったかも」
矢崎が身を竦めて呟いた背後では、千秋が間一髪で、飛んできた拳を受け止める。
「矢崎! 呆けてねぇでよじ登れ!」
叫んだ千秋に応えたのは、矢崎の周りを囲んでいた同じ2年のチームだ。

「登るなら俺たちが先だ!」
「矢崎なんかに負けられっかよ」
口々に叫んで竹竿に手を伸ばす。
だが竿を支えている直江は、彼らより更に背が高い。
その頭上にまで手が届く者は無かった。

 
「クックック」
体育教師の不気味な笑いが地を這う。
「早く来い…この俺をコケにした事を後悔させてやる」
ブツブツと呟く声は、喧騒に消えて誰の耳にも届かない。
ただ僅かに漂う不穏な気配に、直江は漠然とした不安を感じていた。

 
「くそぉ。いいかげん倒れろ〜!」
力自慢が何人も揺さぶりをかけるが、ガードも負けてはいない。
1年から3年まで入り乱れて、もみくちゃになる中で、
直江は少し離れて立つ高耶を見つけた。

「手を出すなよ、直江。もし俺を特別扱いしたら、絶対に許さないからな!」

高耶の声が胸の奥で渦巻く。
あの時の瞳は、更に強い意志を宿して、高みにある星を見据えていた。

「このままじゃどうにもならねえ!
 矢崎、こっちに戻れ。
 二人で仰木を上に行かせるんだ!」

千秋が叫ぶ。
振り向いた矢崎は、千秋の動きを見て、
「マジかよ! 出来んの?大丈夫か仰木?」
ビックリしながらも、お祭り大好き男は、嬉しそうに走ってくる。

「やってみなきゃわかんねえ」
「やってやる!」
千秋と高耶が同時に叫んだ。

(何をする気だ?)

皆の視線が集まる中、騎馬戦の要領で千秋と矢崎が組んだ手の上に、
高耶はグッと足を掛けた。

「ダアァーッ行っけぇえー!」
雄叫びに似た掛け声と共に、組まれた手が一度下がって持ち上がる。
その反動を利用して、高耶は竹竿の上部を目掛けて蹴り飛んだ。

「ハアァ?そんなの有りかよ〜」

出来たらいいなと思っても、普通は無理だと諦めるものだ。
大方の予想通り、竹竿まで届かず手前で下降した高耶は、
だが諦めようとしなかった。
高耶は最初から、星を狙ってひしめきあう男達の肩を、視野に入れて跳んでいたのだ。

タン!タン!と彼らの肩を踏む足は、靴も靴下も履いていない。
呆れるほど無鉄砲な跳躍は、したたかな計算に裏打ちされていた。

竹竿が、高耶の重みにズンと沈んだ。
上に登ろうとする動きにつれて、不安定な竿がグラグラ揺れて傾ぐ。
その振動を少しでも防ごうと、直江は必死に竹竿を支えた。

「んふふふふ」
耳障りな忍び笑いが、間近で響く。
まさか!?と思った。しかし体で感じるこの重圧。この不自然な傾きは…!

怒りで目が眩んだ。

なんて卑怯な報復だろう。

直江の隣にいる男は、竹竿を支えるふりをしながら、実際はわざと竿を傾けて、
高耶が落ちるのを待っているのだ。

だが、直江には何も出来なかった。
この竿を支えなければ、高耶は落ちる。
万が一にも、怪我をしたら…
直江は祈る思いで、ただひたすら竿を支えるしかなかった。

「おかしい…揺れが大きすぎる」
口の中で呟いて、千秋は体育教師を見つめた。
直江が支えているのに、高耶の体重でこうまで揺れるはずがない。

気付いた途端、千秋の体が動いた。

 

「肩に足を…このままでは危なすぎる…」
声を絞り出した直江の気持ちを感じながら、高耶は竿にしがみついたまま、足を
伸ばそうとしなかった。

ここで直江を頼ったら、自分の中で何かが変わってしまう。

特別に思って欲しい…
俺だけを大事にして
俺のことだけを想って
他の何よりも、俺を優先して欲しい…

そんな自分の心を、認めてしまえば、きっと歯止めが効かなくなる。

唯一、全てを欲しいと望んでしまう相手だからこそ、この歯止めだけは失えない
と、高耶は思っていた。

グラリと大きく竿が傾いだ。
「高耶! なんでもいいから飛び降りて!
 直江先生が潰れちゃうよーっ!」
下で騒ぐ声に混じって、譲の声が聞こえる。

下では千秋がよろめいた振りで、体育教師のわき腹に肘鉄をめり込ませていた。
ウッとうずくまった教師の代わりに、千秋が竿を立て直す。
既に傾いてしまった竿は、もう倒れるしかない状態だったが、これぐらいゆっくり
とした速度なら、怪我をしないで降りられる。
そこまで考えて動いた千秋だったが、さすがに竿の寿命まではわからなかった。
何年にも渡って使われてきた竿は、このとき遂に限界を越えてしまったのだ。

ミシッと音を立てて、竿が裂ける。
危ない!と思った瞬間、高耶の足は直江の肩を蹴っていた。

ふわりと風が吹いた。

バキバキに折れた竿を横たえて、直江は肩に残った感触を愛しむように、そっと
手を当てた。
高耶を運んでいった風は、直江の胸に甘い香りを残していた。

竹竿を抱えたまま、高耶は校庭の赤土にまみれて降り立った。
なんとか着地したものの、足がじんじん痺れて動けない。
一番に走ってきた矢崎が竿を下ろしてやると、高耶はホッとしたように微笑んだ。

 
 
 

「凄かったね〜高耶。
 千秋も矢崎も、やっぱ思った通り、最高のチームだったよね!
 けど竿があんなに弱ってたなんて、ホント焦ったよ〜。」

体育祭が終わった帰り道、譲の言葉に千秋はピタッと足を止めた。
「焦った…?」
心なしか声が震える。
譲は「うん」と頷いて、
「でも本当に良かったよ! 俺の人選に狂いなし。なんちゃって」
アハハと笑う背中を、千秋は少しの間、呆然と見つめてしまった。

何も知らない高耶は、今頃どうしているだろう。

「ま、あいつには直江がいるからな」
小さく呟いて、千秋は譲を追って歩き出した。

まだ青い空に、どこからか吹いてきた風は、甘い花のように優しくそよいでいた。

 

 

     4月26日

 

キリリク頂いたのは秋だったのに、お届けしたのは春という…(^^;
本当に、遅くなってすみませんでした。
この後の直江と高耶さんが、どうなったか?
うふふ。体育祭の翌日は休日なので(笑)…また書けるといいな〜♪

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