彼方からの呼び声−7

 洞窟の中は、やはり暗い。懐中電灯で照らすが、奥までは見えなかった。
「迷いそうだな。なんとか向こうから出て来ねえか?」
「うん。そう思って呼びかけてるんだけど。」
綾子が何度呼んでも、応じる気配が無いのだ。
「姉さん、白い影を思い出してみてくれ。」
高耶に言われるまま、頭の中にあの時の姿を描く。
やがて鮮明な姿が浮かんでくると、高耶も綾子に同調し、二人で霊に思念波を送り始めた。
洞窟の隅々にまで、二人の思念波が届いたころ、ついに霊が応えた。

「なぜ戻ってきたのです。あのまま逃げればよかったのに。」
霊は陽炎のような白いぼんやりとした姿で立っていた。
「本当にそう思うのか?」
問いかけたのは高耶だった。
「助けて欲しいから呼んだんだろう?お前は本当にこのままでいいのか。」
ぶっきらぼうな態度なのに、どこかいたわるような響きがあって、霊はハッと高耶を見た。
高耶はそのまま黙って霊を見つめている。
霊の目から涙がこぼれ落ちた。
くずれるように跪くと、霊は床に手をついて頭を下げた。
「お許しください。なにもかもお話します。だから、あの方を助けてください。このままではダメなんです。このままでは嫌です!」
心の底からの叫びだった。泣きながら懇願する霊に、綾子は手を差し出した。
「あなたの名前、教えてくれる?呼ぶのに困るじゃない。」
霊は綾子を見上げると、やっと小さく微笑んだ。
「もみじと申します。生前は戸隠の忍びでございました。」

 もみじは、戸隠が川中島の戦いにまきこまれ武田に攻めこまれた時に、村を守っていた仲間と共にこの洞窟に入ったところ、待ち伏せされて殺されたのだという。
 当時この洞窟は敵を追いこむ為に使われており、入り口の結界もその頃張られたもので、綾子が隠れた部屋は、敵をおびき寄せる囮になった忍びが、隠れる為に使った部屋だった。
「この洞窟のことは、一族しか知りませんでした。ここに来る道は複雑で、よそ者が入れるはずがなかったのです。」
「裏切り者がいた、ということね。」
もみじは哀しげに頷いた。
 頭領をはじめ一族の主な人々は戦に出て留守だった。
村を守っていたもみじ達の死で、村は全滅した。
「あの方は一族の頭領でした。村の全滅を知って裏切り者を殺した後、自決したのだそうです。怨念があの方を変えてしまった。今のあの方には、武田と上杉への復讐のことしか見えていない。誰よりも暖かい、思いやりのあるお方だったのに。」
 綾子には、もみじが助けてと言った意味が、やっとわかった気がした。
もみじはあの方を愛しているのだ。
愛する人が怨念に支配されて、浄化もできずに苦しんでいることが、なによりも哀しかったのに違いない。

「あの方がここに来たのは、三年ほど前でした。その時私がここにいるのを見つけて、それから何度か会いに来て下さいました。そして半月前、私にあなたに向けて思念を送るようにおっしゃったのです。」
 お許しくださいと、もみじは綾子に頭を下げた。
「あの方は、上杉をおびき寄せる手をある人に教えてもらったと言って、あなたに夢を見せる方法を、詳しく説明していきました。昨日には、もう日が無いとおっしゃって。」
それを聞いたとたん、高耶が驚いて言った。
「昨日来たって。それじゃあの方ってのは、真田幸隆と一緒に動いてるのか?」
 真田幸隆は川中島で武田側として戦った人物だ。
 戸隠を襲った仇ともいえる。なのになぜ?
「いいえ。あなた方が、真田幸隆と思っている人こそ、あの方なのです。」
もみじの言葉に、高耶と綾子は絶句した。

「あの方は生前から、真田幸隆の影武者として、川中島でも戦っていました。」
影武者といえば武田信玄で有名だが、普通は大将くらいでないと使わない。真田幸隆の影武者など、信じられない話だった。
「真田さまは信濃のおかたで、あの方は、幸隆さまなら必ずこの信濃を盛りたて守って下さると、自分から影武者をかってでたのです。」
 確かに真田幸隆は「攻め弾正」と呼ばれ、武田の三弾正として名を轟かせたほどの、凄い武将だった。しかし、戸隠を守ってはくれなかったのだ。
 当時上杉の勢力下にあった戸隠を、守れというほうが無理だったのかも知れない。
 けれど真田が武田につかなければ、上杉と武田が戦わなければ、こうはならなかった。
 戸隠にもっと力があれば、上杉も武田も寄せ付けないほどの力があれば、こうはならなかった。
 歴史に「もしも」はない。それを言い出したら、なにもかも滅茶苦茶になってしまう。
それでもそこに生きていた人間にとって、悔やんでも悔やみきれない「もしも」がある。
彼は仲間を守れなかった自分が許せなかった。戸隠を戦いに巻き込んだ上杉と武田に、復讐することで、自分の苦しさをはらそうとしているのだ。
「戦はもうとっくに終わってしまったのに、武田や上杉を倒すことに、なんの意味があるでしょう。このままでは、あの方は救われない。」
「俺達に、調伏させたいのか?」
高耶の言葉に、もみじはなにも言わなかった。
思い詰めた表情で、ただじっと前を見つめていた。

「あの方は真田幸隆になって、なにをするつもりなの?ああ〜それより、あの方ってなんかややこしい!なんて名前なのよ?」
 綾子が言うと、もみじが困ったように言った。
「なにをするのか、わたしにはわかりません。ただ、真田昌幸が来る前に、上杉を捕まえなければとおっしゃっていました。」
 やはり昌幸が関係しているらしい。
 軒猿の情報では、真田昌幸は信濃周辺の豪族たちを束ねて、現代の日本を自分達が動かそうとしているということだったが、武田とは繋がっていないと聞いていた。
 昌幸は武田の家臣だったが、信玄の死後は独自に動いていたし、どこかの配下に納まるような人物ではない。知の謀将と言われ、切れ者で知られた傑物だ。だから武田と繋がっていないと聞いても、おかしいと思わなかった。
 だが同じ理由から、武田と繋がっていても、または織田とでも、全く不思議ではない。とにかくやっかいな人物なのだ。
 それを直江にまかせて、そのうえ3日の期限を切った。
 高耶の厳しさがどれほどのものか、直江はイヤというほどわかっているはずだ。
 しかしもみじの話は、高耶の予想以上の負担を、直江にかけることになると予感させた。

 真田昌幸が日本に着くのは今夜だ。
 今頃直江は、八海たちと成田に行っているだろう。
 助けに行きたくても、ここからではもう間に合わない。
 別れ際に見た直江の後姿が、高耶の不安をかきたてる。
 直江ならできると、信じているから行かせた。だが、なにもかもが罠だったとしたら。
 考えれば考えるほど、罠だという気がしてくる。
「景虎?どうしたの。顔色が悪いわよ。」
 綾子が不安げに、高耶の顔を覗きこんだ。
 いけない。こんな顔をしてたら、姉さんまで不安にしてしまう。
 今は、この状態を乗り切るのが先決だ。道が開けることを信じるしかない。
「千秋のところに戻ろう。結界を解く方法、あいつなら見つけてくれる。」
 三人は洞窟の入り口に急いだ。

 

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