彼方からの呼び声−3

 綾子は、戸隠への道を、バイクで飛ばしていた。
 夢に出てきた声に、聞き覚えなどなかった。どこの誰かも全くわからない。
 それなのに戸隠に違いないと思うのは、夢の中で走る自分の前に見える建物が、戸隠の九頭竜神社だと気付いたからだ。
 この夢を見始めて、既に一ヶ月になる。
 最初の頃は、また美奈子の夢を見ているのだと思っていた。けれど違うと気付いた。
 その声はあきらかに、自分に向けて送られてくるシグナルだ。
 ずっと考えて、綾子はひとつの結論を出した。
 この夢はどこかの怨将のしわざに違いない。
 綾子の心に今も抜けずに刺さっている小さな棘を、知っていて狙ったものだ。
 許せない。綾子は怒りに燃えていた。

 美奈子の声は、たった一度しか聞こえなかった。
 空耳かと思うほどに小さな声で、自分にだけ助けを求めた美奈子。
 あの後、やっと会えた時には、彼女はもう何も言わなかった。
 恐怖も恨みも一切口にしなかった。
 だからよけいに、何もしなかった自分が情けなかった。
 その思いを利用した怨将。
 必ず自分の手で調伏してやる。人の弱みにつけこんだことを後悔するがいい。

 日暮れが近い頃、戸隠村に入った。
 綾子は霊査しながら、注意深く走り続けた。
 しばらく何事も無く走り、いよいよ戸隠奥社へと入っていく。
 バイクを止めて歩き出した綾子は、木立の奥から弱い霊波動を感じて立ち止まった。
 じっと目を閉じて気配を探る。悪意のない波動だ。誰かを呼んでいるような。
(夢の中の声に似ている)
 迷った挙句、木立の奥に行くことにした。
 行ってみなければ、なにもつかめない。
 綾子は全身に緊張をみなぎらせ、あたりに注意を払いながら、その場所へと近づいていった。
 波動を頼りに、木立の中を奥へ奥へと進む。
 いつしか四方を木に囲まれてしまっていることを、綾子はまだ不信に思っていなかった。

「戸隠といえば、たしか忍者の里だったな。」
 考えこんでいた高耶が、顔を上げて言った。
「戸隠流か。風魔がいるんだから、いても不思議はないけどな。
 全く次から次へと出てきやがる。いいかげんにしろってんだ。」
 千秋は腹立たしげに言うと、カーブを思いきり曲がった。
「うわっ!もっと気をつけて運転しろよ。戸隠につく前に死んじまう!」
「うるさいっしっかりつかまってろ!」
 千秋の運転で山道はつらい。運転はうまいのだが、なんといっても荒っぽいのだ。
 高耶は車の窓にゴンゴン頭をぶつけながら、シートにしがみついた。
 直江だったら、と思わず考えて、高耶は頭を振った。気が付くといつも直江のことを考えている。
 あいつは今東京にいるはずだ。力は回復したんだろうか。
 自分で行けといったくせに、ずっと側にいてくれと願っている。
 矛盾だらけの感情を抱えたまま、高耶は目を閉じた。
「このやろ、寝てんじゃねえ!こっちは徹夜で運転してんだ。しっかり霊査しろよ!」
「ばっかやろ!こんな運転で誰が寝るか!」
 千秋のおかげで物思いが吹き飛んだ。冷静に、霊査のアンテナを広げてゆく。
 まだなにも感じられない。
 車は19号線を抜け、笹平から戸隠へと向っていた。

 午前十時、東京のホテルのロビーで、直江は軒猿頭の八海と会っていた。
いかにも商談中のビジネスマンである。誰も彼らに注意を向ける者はいなかった。
「おかしいと思わないか、八海。」
直江の言葉に、八海は首をかしげた。
「なにがでしょう?」
眉を寄せて口に手を当て、直江はしばらく考えてから、もう一度言った。
「やはりおかしい。お前は気付かないか?」
端正な顔は、真剣に思い悩む姿が良く似合う。通りすがりの女性たちが振り返る。
ロビーよりも、一室を借りた方がいいかもしれないと、八海は思った。
「直江殿、場所を変えましょう。ここで長話は無理なようです。」
そういうと、カウンターにいって一室を借りてきた。これで落ち着いて話せる。

 借りた部屋で、二人は話を続けた。
「おかしいというのは、一体どういうことでしょうか。」
不思議そうな八海に、直江は言った。
「奴らの動きだ。まとまりが良すぎると思わないか?」
景虎の命を受けて、三日でカタをつける為に詳しい情報を探っていた直江は、八海の持ってきた情報にどうも腑に落ちないものを感じたのだった。
「もともと奴らは、それぞれが独立したものばかりの寄せ集めだ。
 まとめ役が日本を離れて一週間以上経つのに、こんなに団結した動きがなぜできる?
 お前達が集めた情報が間違っているとは思えないが、だとすれば、なにか見落としている事があるはずだ。」
 直江の指摘に、八海は目を見張った。そういうことは気にもしていなかった。
「そうおっしゃられると、確かに妙ですな。ほかにまとめ役がいるとも思えませんし、
 ひょっとして、よりましを変えたのでは。早速洗い直させましょう。」
 八海は素早く配下に連絡を取った。

「よりましを変えるのも手だが、もうひとつ、裏で糸を引いているものがいる可能性もある。
 この一件、やっかいだな。」
 直江は机の上に資料を広げると、ひとつひとつ検証を始めた。
 連絡を取り終えた八海も加わり、様々な可能性を考えては消去していく。
 作業を終えた頃には、既に昼を過ぎていた。ルームサービスを頼み、頭の中を整理する。
 八海の配下達の洗い直しによると、よりましを変えた様子はなかった。
 やはり、裏で糸を引くものがいる。しかもそれは、どうやら織田か武田。
 まとめ役を調伏するのは今夜だが、それだけでは済まなくなってしまった。
(三日か…難しくなったな)
 コンコンとノックの音がした。八海がドアから確認して開けた。

「ルームサービスです。」
そういって入ってきたのは、もちろんホテルの従業員だったが、後に続いてもう一人。
なんとそれは、高坂だった。
「高坂!」
驚く二人をよそに、高坂は涼しい顔で、
「御苦労」
とルームサービスに礼を言うと、部屋の中にずかずか入ってソファに座った。
「せっかくなんだから、食事をすればどうだ。話は後でゆっくりするとしよう。」
落ち着き払った態度の高坂を、きつい目で睨みつけて直江は、
「何をしに来た。俺達がここにいるとなぜわかった。」
怒りを含んで問い詰めた。

「ふっ…お前達の動きぐらい簡単に掴める。それより、困った事になっているようだが。」
高坂は意味深な笑みを浮かべると、直江を斜めに見上げた。 「お前には関係無いだろう。さっさと帰ってくれ。」
腕組して突っ立ったままの直江に対して、高坂はゆったりとソファにもたれ掛り、まるでこの部屋の主人のようだ。
「食べないと冷めてしまうぞ。なんなら私が食べてやっても良いがな。」
もはや食欲などなかったが、高坂に食べさせるのは我慢ならない。
仕方なくテーブルにつくと、八海と共にルームサービスのホットサンドを食べ始めた。
いつのまにやら高坂は、自分の分までコーヒーを頼んでいたらしく、おいしそうに飲んでいる。
八海は高坂の態度に呆れながら、
「高坂殿、わざわざここに来たのは、なにかお話があるからでは?」
と尋ねた。武田方とはいっても、高坂とは長いつきあいである。こんな形で会うのも、初めてではなかった。
「今日成田に着く予定の人物の話を、ちょっと小耳に挟んだものでな。」
八海の目が一瞬光ったが、平静な表情を保ったままで、
「そうですか。それはまたどのようなお話でしょう。」
ごく自然に問いかける。

「聞きたいか?ふふふ、聞いて損はない話だが。」
言いながら高坂は、直江をちらりと横目でみたが、直江は顔色も変えずコーヒーを飲んでいる。
それでもちゃんと聞いていることは承知しているので、高坂は話を続けた。
「奴とつるんでいる…いや、背後で操っているものが、誰か知っているか?」
八海が、そ知らぬ振りで応じる。
「背後で操るものとは、さあ、存じませぬが。」
先程までの会話を聞いていたのかと思うほどの、タイミングの良さである。
知りたいとは思ったが、高坂の言う事だ。果たして信用できるのだろうか。
「わが武田と織田…どちらだと思う?」
高坂は、今度は正面から直江の顔を見た。試しているのだ。
直江もまっすぐ高坂の目を見ると、
「お前がわざわざ言いに来るぐらいだ。武田だったんだな。」
と探るような瞳で言った。八海は仰天して、直江と高坂を交互に眺めた。
どこの世界に、自分の手の内を敵に教えに来る者がいるだろうか。
「ふっ。さすがにわかったとみえる。」
高坂は楽しげに微笑している。この二人の考えは自分にはわからぬ、と八海は思った。

「つまり、武田が裏で思い通りに動かしていたのを、横から織田にさらわれそうになってきたということか。」
「まあそういうことだ。織田の小僧がちょろちょろと。
 奴がのんきに外遊などしている間に、あの蘭丸に配下をごっそり取られてしまったらしい。
 どうせそんなに期待していたわけではないが、このままでは癪なのでな。」
直江は高坂を睨みつけたまま、黙って聞いていた。
高坂はいつものようにひょうひょうとした表情だが、目だけは真剣味を帯びている。
 ようやく直江が口を開いた。
「武田としては、こちらが奴の始末をつけるのを、奴に配下と織田の繋がりを断たせてからにして欲しいというわけか。」
「わかりが早くて助かる。お前達もその方が都合よかろう?今のままだと、せっかく頭を潰したと思ったら、別のもっと手強い頭が生えるようなものだ。」
 高坂の話は、もちろん武田方に都合の良い話である。自分達がそうしなければならない理由はない。けれど織田と繋がった敵を増やしたくないのも事実だった。
 八海はじっと直江を見つめている。
「お前の話はわかった。しかしこちらは、こちらの思うようにさせてもらう。」
直江の回答に、高坂の顔がこわばった。

「つまり、待たないというのだな。愚かなことだ。ならば、後で悔やむが良い。」
吐き捨てるように言うと、高坂はドアに向った。
 部屋を出ようとしながら、肩越しに振り返った高坂は、
「ひとつ忠告しておこう。景虎の動きに注意することだ。ふふふ、面白いことに巻き込まれているようだぞ。」
そう言うと、高笑いを残してドアの向こうに消えた。
 直江の胸に、言い知れない悪い予感が走った。高耶の身に何が起きるというのだ。
 その時八海が声をかけた。
「直江さま。高坂殿のいうように、奴に織田との繋がりを断たせた方が宜しいのでは?」
直江は顔を上げると、八海に言った。
「八海、お前なら一度見限った主人が頼んだからといって、もう一度元通りに言う事を聞くか?」
八海はハッとした。言われてみればそうだ。まんまと高坂の口車に乗るところだった。
「直江さま、さすが冷静な判断でございますな。」
だが直江は浮かない顔のままだ。
「今夜の計画は必ず実行せねばならない。しかし、あの武田がこのまま黙って見ているだろうか。
それに高坂の言う通りなら、織田も動くかもしれない。八海、もう一度手順の確認を皆に徹底させてくれ。」
「はっ。では後ほど。」
八海はすぐさま手配に走った。

ひとり残った直江は、松本の高耶を思った。
彼に限って危ういことなどあるはずが無い。
そう思っても、不安は消えなかった。
どうか無事でいてくれと祈るように願う。
まだ昼下がりの太陽が、窓から暖かい日差しを注ぐ。
裏腹に直江の胸は、暗澹たる思いに塞がれていた。

 

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