彼方からの呼び声−10

 その高耶に覆い被さるように倒れたのはもみじだった。
 消えた護身波のかわりに、もみじが身を投げ出したのだ。無残にも人のかたちすら留めず、ボロ布のようになった姿を見て、歳三は声も無くその場に膝をついた。
「う…」
失神していた高耶が気付いた。
「もみじ?なんでこんな…。」
オレをかばったのか?
「なぜだ、もみじ。おまえがどうして…」
歳三が放心したようにつぶやいた。その目は、もみじだけを見つめている。

我に返った信濃の怨将たちが、高耶たちに攻撃を始めても、歳三はその場を動かなかった。
怨将の攻撃で、もみじがこれ以上傷つかないよう、高耶はしかたなくもみじから離れた。
仁科、村上、小笠原といった怨将たちが、一斉に攻撃してくる。千秋はやっと目覚めたものの、まだいつものようには動けない。
綾子と高耶が、千秋を守りながら防戦するが、さすがに手強い。何人かは調伏したが、歳三を含めて3人が残っていた。
さっきの歳三の攻撃で傷を負った高耶は、時折苦しげに肩で息をしていた。
あたしがしっかりしなきゃ。
景虎も長秀も絶対守ってみせる。綾子は怨将を睨みつけた。

 直江は、戸隠に向って全速力で車を飛ばしていた。
 信号など目に入っていない。
それがいきなり急ブレーキをかけて止まった。
「譲さん!こんなところで何をしてるんです?」
 夜の道を譲がひとりで走っていたのだ。直江でなければ、轢いてしまうところだ。
「直江さん、ちょうど良かった。早く行かなきゃ、高耶が…。」
息をきらして譲が車に乗り込んだ。
「譲さん、走っていくつもりだったんですか?」
「ん。でも誰かがここを通る気がしたんだ。良かった、直江さんと会えて。」
譲のこういうところには、とてもかなわない。やはり常人ではないと、つくづく思う。
ともかく今は譲の力が有り難かった。戸隠の洞窟を目指し、直江はスピードを上げた。

 戸隠では、綾子の頑張りのおかげで、後は歳三を残すのみとなっていた。
 歳三はもみじの霊体を左手に抱えると、暗い瞳でこちらを見た。
「上杉、どうやって、もみじを手なずけたのだ。こんなことまでさせるとは。もみじがお前を守るなんて…」
歳三の声には、諦めとも哀しみともつかない悲痛な響きがあった。
暗い情念が、彼の体を再び陽炎のように包み始めていた。
「ほんとにばかね、あんたって人は。もみじが守りたかったのは、あんたなのよ。」
溜息をついて、綾子が言った。歳三が怪訝な顔をした。
「言ってたでしょう、元のあんたに戻ってくれって。
もみじはね、あんたがその怨念から解放されるのを、ずっと願ってたのよ。
あたしを毎晩のように夢で呼びながら、あんたを助けてってずっと言ってたんだから。」
「ばかな。おれは助けなどいらぬ。お前達を滅ぼせばそれでいいのだ。」
突き放すように言って、歳三は綾子に念を放った。
続けざまに念を撃ちながら、洞窟の中へと入って行く。高耶たちは後を追った。

歳三はもみじを抱えたまま、どんどん奥に行く。
それはあのとき、綾子ともみじが辿った道だった。この先にあるのは隠し部屋のはずだ。
「あいつ、あの部屋にいくつもりなんじゃ・・。」
 歳三は、綾子があの部屋に居たことを知らない。だが、結界があったときならともかく、今この洞窟に誘いこんで、なんの意味があるというのか。
「あの部屋からは、外に出られるのよ。」
その先は、勢い込んで出たら、崖下にまっさかさまだ。彼はそれを狙っているのか?
「その部屋、出れるんだったら、外から入るのもOKなんじゃねえか?」
やっと元気になってきた千秋が言った。
「待ち伏せって事も考えられっぞ。」
そうだ。もみじたちが殺されたのも、待ち伏せされたからだった。
そのときのことは詳しく聞かなかったが、その可能性は大きい。
奴が部屋に着く前に捕まえたいところだ。
しかしもう間に合わない。歳三は、予想どおり部屋を開けた。

「遅かったじゃないか。おかげで間に合ったけどね。」
 部屋にいたのは、蘭丸だった。
「ふふふ、僕もついさっき来たばっかりなんだ。仰木先輩、ようこそ。直江さんは成田で僕が倒したよ。」
高耶の目が冷たく光った。
「くだらないうそはやめろ。直江はお前なんかに倒されたりしない。」
「何を根拠にそんなこと言うのかな。あなただって随分弱ってるようだけど?」
蘭丸は微笑みながら、手の上に念のかたまりを造った。そしてその小さな光る球体を、野球のボールを投げるように高耶に投げつけた。
護身波で遮ったが、重い鉄球をくらったような衝撃が走る。
おそらく肋骨にひびが入っているらしい高耶の体には、かなりつらい。
「歳三、お前は本当に織田と組むのか?それでいいのか。」
そう声を掛けたのは、千秋だった。

「戸隠を、信濃を守るって言ってたそうだな。それって自分の里だけのことだったのか?
自分の里が滅んだら、あとは織田に思うようにされていいのか!お前は利用されてるだけなんだぞ!」
歳三は黙ってうつむいている。
「余計な事を言わないで欲しいな。彼は復讐したいだけなんだよ。それでいいじゃないか。」
「うるせえ、てめえに言ってんじゃねえよ!」
歳三の腕の中で、もみじが動いた。
驚く歳三に、もみじは消え入るような声で言った。
「歳三さま…どうか元の歳三さまに戻って下さい。あなたの夢をかなえて…。」
おれの夢?
歳三の胸に、昔もみじと語った頃が浮かんだ。
まだ若かった頃、信濃を自分たちで守るのだと本気で語った。
その為に、もみじと別れ家族も持たず、影武者として生きる道を選んだ。
その時の夢をかなえろというのか?

「自分の信念に従って生き、そして死ぬのが幸せなのだと、あなたはおっしゃいました。
もみじに幸せだと言って下さい。あなたの幸せだけが…」
それ以上、言う事はできなかった。もみじは歳三の腕から空気に融けて消えていった。
その思いを抱きしめるように、歳三はじっと自分の両腕を抱いた。
もみじのまごころが、胸に染みていく。
振り向いた歳三は、迷いの無い澄んだ瞳をしていた。
「蘭丸殿。済まぬが、もはや織田とは組まぬ。この場から退かれよ。」
「女ひとりに、復讐を忘れるとは。まあ、ここまでやってくれれば、もう十分ですけどね。」
不敵に微笑むと、蘭丸は高耶たちに念を放った。もう歳三など眼中にないらしい。
「退かんというのだな、蘭丸殿。」
「笑止!」
歳三の念波が、蘭丸に向って放たれた。予想以上に強い念波に、蘭丸の体が傾いだ。
すかさず蘭丸が反撃する。歳三は直撃を受けて洞窟の壁に思いきりぶつかった。
それでも重い念の塊を蘭丸に叩きこみ、さすがに蘭丸の顔色が変わった。

千秋と綾子の念が追い討ちをかける。狭い部屋の中で念が飛び交い、動きがとれない。
蘭丸がいきなり飛びあがって壁を打つと、外に通じる穴が開いた。
すかさず外に出た蘭丸は、そのまま山道を逃げていく。いつもながら逃げ足が速い。
千秋と綾子が追って走る。
部屋には、高耶と歳三が残された。
「追わぬのか?」
「…ふ、お前をほっとくわけにもいかねえだろ。」
(追いたくても、この体じゃ無理だ。)
壁に背を預けて荒い息をしながら、高耶は不遜な眼差しで答えた。

「お前の目は昔の自分を思い出させる。青い夢を本気で信じていた頃を。」
歳三は遠い過去を悼むように、静かに目を閉じた。
「もみじのところに行かせてくれるか?」
「今ならもう、自分で行けるんじゃないのか。」
高耶の言葉に歳三は一瞬驚いた顔をしたが、やがて笑みを浮かべた。
「そうだな。だがお前の手で往かせてくれ。」
頷いて、高耶はしっかりと姿勢を正すと、印を結び真言を唱えた。

調伏の言葉と共に、歳三は白い光に吸い込まれていった。
もみじの声が聞こえた気がした。
「ありがとう。」と…
憔悴しきった体で、高耶は外に向った。脂汗が滲み手足が冷たい。
外に出たところで意識が遠くなった。高耶はそのまま崖下へと落ちていった。

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