「どうでした? 会った感想は。本物は映像よりも良かったでしょう?」
見つめる瞳の奥に、どこか悲しそうな翳りを感じて、
直江はわざと軽い口調で言葉を挟んだ。
会うは別れの始まり…とは意味が違っても、
会ってしまえば、次にくるのは別れの言葉だと決まっている。
たった1日。
いやもう残る時間は半日かもしれない。
それでも、せめて今だけでも、考えないでいて欲しい。
そう思って口にした直江に、高耶から返ってきたのは、予想もしない言葉だった。
「どっちが良いって…難しいな。」
そんなことを聞かれるとは思わなかったらしく、
高耶は戸惑った顔で答えてから、直江の表情に気付いて、慌てて首を振った。
「違っ…そんな意味じゃなくて!
映画じゃ触ることもできねえんだし、本物が一番に決まって…!!」
言っているうちに恥ずかしくなって、高耶は赤くなった頬にバシャバシャ湯を跳ね上げると、
直江の腕の中で、並ぶように向きを変えた。
「映画とかドラマのおまえ、すげぇカッコよかったり、いいヤツだったりするし、
なんかホント役者って、役によってこんなに変わるんだなって…
俺の知らないおまえを見てると、もっと見たくなって…
ああもう、うまく言えねえ!」
焦れったそうに言って、高耶はもういちど直江を見上げた。
あれは演技で、本物のおまえじゃない。
でも、見てると感じるんだ。
演技の奥にある、おまえ自身を…
触れることも、話をすることもできないけど、
それでも、そこにいたのはおまえだった。
だから…
あの感覚を、あの愛しさを、
どうやって言葉にすればいいのかわからない。
今、おまえといるこの時間の、たとえようもない幸福を、
言葉にすることが出来ないように…
わかってくれよ。
と言いたげな顔に、直江は笑って高耶の体を引き寄せた。
「今のは全然フォローになってませんよ、高耶さん。
ドラマの中の私自身に嫉妬しそうだ。」
そう言う直江の顔には『わかっています』と書いている。
それでも半分本気を滲ませて、
(あなたが狂うほど本物に溺れさせてあげる)
と囁く直江に、
「ばか。勝手に嫉妬してろ。」
高耶は笑いながら肩を寄せた。
俺はとっくに溺れてる。
幻想の中に見える、ほんのひとかけらのおまえでさえ、いないと眠れないのだから…
肌に馴染んだ体温が、心の中まで浸透してくる。
その安らぎに心をゆだねて、二人はまるで糸がほぐれていくように、様々なことを話した。
「光のかけら、あのエンドロール好きなんだ。
見てると現場の空気まで思い出しちまって、だからよけいにそう思うのかもしんないけど…
演じてる時はわかんなかったものまで、伝わってくる気がする。」
温かい湯に浸って、心地よい風に吹かれて過ごす、ゆったりとした時間。
晴れていく空を二人で見ながら、直江は自分の道をようやく見つけた気がしていた。
どうして忘れていたのだろう?
演じることは、心を伝えること。
役上の人物が何を思い、何をしようとしたのか。
それを感じて伝えることが、俺たちの仕事だったのに…
あなたの演技が、見ている人の心を動かすのは、そこに本物の魂が存在したからだ。
役を演じる、あなた自身の魂が…
あなたと演じられない。
その喪失感から、俺は大事なことを見失ってしまった。
あなたと演じたい…ただそればかりを追い求めて、
俺が何をすべきなのか、考えもしなかった。
どんなに追っても、追いつける気がしない。
当たり前だ。
俺が追っていたのは、あなたが残した幻影でしかない。
本物のあなたと共にいたいなら、俺は俺の心を、あなたに届けるしかなかったのに…
あなたに満たされて、やっと気付いた。
離れていても、心は届く。
俺の心は、いつもあなたに繋がっている。
ならば俺は、あなたの隣にいてみせる。
必ず。
俺は、あなたと共にいる!
静かな決意を胸に、直江は顔を上げた。
雨の雫が落ち続けても、そこに光が射せば、
雫は光の色を変えながら、美しい虹を創り出す。
二人の瞳には、緑の竹林の間から、青い空に伸びる小さな虹が見えていた。
2006年12月25日
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