光のかけら−25

松本に着いたのは、昼をとっくに過ぎた頃だった。
途中、ドライブインで軽く食事をとっただけで、一直線にここまで来たが、平日のこの時間である。
高校生の美弥が家に帰っているはずもない。
かといって観光をする気にもなれず、二人は美弥の通う学校まで来てしまっていた。

「高耶さんも、ここだったんですか?」
「いや、俺は城北。あいつ昔からここの制服が好きでさ。合格できてホント良かった。」
車の窓を開けて、高耶は眩しそうに外を眺めた。
もう2年生なんだよなあ。制服、似合ってるだろうな。
独り言のように呟くと、ほぅっと息を吐いてシートにもたれた。
会ったら…なんと言えばいいだろう。
美弥は喜んでくれるだろうか。それとも…。

ふと直江と目が合った。
「授業は何時頃に終わるんでしょうね。ここにいて大丈夫でしょうか?」
やはりおうちの近くで待つ方が良いのでは?と問いかけるのを遮って、
「眺めのいいとこ、連れてくって約束したよな。行こう、直江。」
そう言うと、戸惑っている直江をせかして、高耶は郊外へと車を走らせた。

右に左に、高耶の指図通りに走ること、およそ1時間。
分譲住宅が立ち並ぶ開発地を過ぎて、坂道を登りきった辺りで、高耶は路肩に車を止めさせた。
「降りてこっちに来てみろよ。」
こんなところに何があるのだろうと思いながら、直江は高耶の隣に並んで立った。
「これは…」
言葉を呑んで、ゆっくりと静かに目の前を見つめた。そうしたくなる景色が、そこにあった。

「いい眺めだろ? 名所でも何でもないけど、ここからの眺めは気に入ってるんだ。」
なんの変哲もない坂道だ。
だが、そこに立って見下ろした風景は、高耶の言うとおり素晴らしい眺めだった。

遥か彼方に、青く霞む山々が広がる。
その向こうの空は、もっと青く澄んで。
山の中腹から雲が立ち昇る。
眼下に広がる町並みを、日の光がキラキラと照らしていた。

「本当に…美しい眺めですね。この景色は、あたたかい。荘厳な風景も素晴らしいけれど、
こういう優しい風景は心が和みます。」
並んで同じ景色を見る。
それが尚更この風景を、暖かい優しいものにしてくれているのだと、直江は感じていた。

「ここに来たの、何年ぶりかな。もう二度とここには来ないと思ってた。
俺一人だったら、きっと来なかった。お前が見たいって言ったから…。
ここも、俺の育ったとこだ。」

この町で家族4人が住んでいた家は、もうない。
好きだったこの場所は、痛くて苦しくて思い出したくない場所になってしまっていた。
それでも。忘れたことなどなかったのだ。
今、直江と一緒に見る景色は、あの頃とは少し違っている。
けれど、変わらず美しかった。
痛みも苦しみも、変わらずそこにあったけれど、今はもうそれだけではない。

高耶は静かに山の稜線を眺めた。
その横顔を見つめて、直江はそっと高耶の手に触れた。
瞬間、ビクンとして退きかけた手は、ためらいながら、けれど確かな意志を持って、
大きな手に包まれるままになっていた。

「そろそろ行くか。」
「ええ。もう美弥さんも帰る頃でしょう。」
名残惜しさを胸に秘めて、すっと手を離した。
できるなら、このまま抱きしめたい。何度そう思っただろう。
どんなに抑えようとしても、溢れてくる思いが止まらない。

俺はいつまで堪えられるだろう。
堪えなければ喪う。
喪ってしまう。
この手に残る温もりを…。
危なげなく車を走らせながら、直江は胸に逆巻く激しい嵐と闘っていた。

 

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