光のかけら−16

昨日に続いて、今日も病院で撮影が行われた。
朝の光が降り注ぐ庭。露の残る草のアップが、瑞々しい命を映し出す。
洋平に車椅子を押してもらって散歩する光の表情には、悲しみも喜びもなかった。
優しく言葉をかけながら歩く洋平を、見上げることもしない。
大きな楠木の横に、白いベンチがあった。光をそこに座らせて、洋平は横に並んだ。
手を繋いで座る二人は、ごく普通の穏やかな夫婦と変わりなく見える。
光の顔にも、わずかだが安らぎが感じられた。

「さすがですねえ。あれが昨夜あんなに騒いでいた人だなんて。女優って怖いなあ。」
思わずスタッフの一人が呟いた。
「しっ! 黙ってろ!」
千秋の厳しい叱責が飛んだ。
怖いほど真剣な顔で、二人の演技を見つめながらカメラや照明に指図する。
一瞬の輝きを捉えるのがカメラなら、シーンを繋げて全体の流れを作りあげるのが監督だ。
どんな美しい映像も音楽も、監督が悪ければドラマにならない。
その点、千秋の感覚は素晴らしかった。

一見どうということのないものが、出来あがってみると胸に迫るシーンの数々に変わる。
時にマジックと評されるその作品は、いつもこんな張り詰めた空気の中で生まれる。
じっと俳優の表情を見つめて、流れる風を読む。
ふいに上がる手。指先が動き出すと、まるで指揮者のように彼の手が語り始める。
助監督をはじめ周りのスタッフは、その合図を細心の注意で待つ。
そうして出来あがる作品を、誰よりも楽しみにしているのは彼らかもしれなかった。
今、目の前で見ているこの景色が、放映される時にはどんなドラマになっているのか。

「いよっしゃあ。休憩にすっかな。」
う〜んと伸びをして、千秋が立ちあがった。
「イイ感じになってるぞ、光。やっぱ飲みすぎないうちに教えてやって正解だったな。」
駆けよってきた綾子に声をかけると、彼女は嬉しそうに笑った。
「どうせなら、あの子潰してからにして欲しかったなあ。ん〜もうちょっとだったのに〜。」
「やはり酔い潰すつもりだったか。」
苦笑しながら色部が歩いて来た。

「かなり酔っていたから直江くんに送らせたんだが…今日はまだ来ていないようだな。」
心配そうにあたりを見まわした色部は、少し離れた木のかげに二人を見つけた。
「ああ、あんなところにいた。何をしているのかな。」
「ちょっと遠いな。おい、ちょっとそのカメラ貸してくれ。」
手近のカメラを借りると、さっそくズームアップして覗き込んだ。
「…いい表情してる。ったく。撮ってないときに限ってこうなんだよな。」
高耶と初めて会ったときを思い出した。素の彼が見せるふとした表情に、胸が熱くなる。
そのまま直江に目を移した千秋は、真剣な顔で録画し始めた。

木を見上げて手を伸ばす高耶の後ろから、直江が枝に手を伸ばした。
細い枝が揺れ、はらりと木の葉が舞い落ちる。
白い紙飛行機を手にした直江が、背中から抱きしめるようにして、高耶の手の中に置いた。
笑顔で応えて、高耶は横で待っていた子供に紙飛行機を渡した。
喜んで駆けていった子供が、立ち止まって手を振る。
見送る高耶の髪から木の葉をさりげなく取って、直江は上着の内ポケットにそっと入れた。

その一部始終をカメラに収めて、千秋はゆっくりと息を吐き出した。
「いい絵が撮れたみたいね。」
綾子の言葉に、ふっと目を細めて俯いた。
「まあな。けど…これは誰かに見せるっつうもんじゃねえかも…な。」
口の中で呟きながら、向うの二人に目をやる。
「あら、あたしたちにも見せないつもり?」
不満そうに口を尖らせたものの、どうやら千秋の答は予想していたらしい。
直江もあんな顔するのね…と言うと、そのまま黙って二人を見た。

この距離だ。綾子や色部に、細かい表情までは見えない。
ただ、二人の間に流れる柔らかい空気に、なぜかじんわり涙が出そうになった。
暖かい安らぎと、せつなさが入り混じった思いが、胸の奥に湧いてくる。
3人は、言葉にならない思いを抱いたまま、静かにふたりを見つめていた。

 

 

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