ある日のことでした。
高耶がバイトから戻ると、美弥が膝の上に一冊の本を広げて、熱心に見ていました。
「何やってんだ?」
ヒョイと覗くと、それは見たことのない立派な装丁の絵本でした。
「図書館で借りたのか?」
と尋ねると、美弥は首を振って、
「ううん。ベランダで見つけたの。不思議なんだよ、この本。絵が動いてるの!」
どうやら直江の忘れ物です。
高耶は心を鬼にして、楽しそうな美弥から本を取り上げました。
「ヤダ!返してよお!」
「美弥の本じゃないだろ。」
絵本とはいえ、魔法が絡んだ本を美弥が読むのは、マズイ気がしたのです。
その勘は大当たりでした。
高耶と美弥の手が開いた本の両端を掴んだ瞬間、バチバチッと静電気のような火花が散り、二人の姿がアッという間に消えました。
なんと二人は、絵本の中に吸い込まれてしまったのです。
気が付くと、暗い森の中でした。
「ここ、どこ?」
美弥が心細い声で高耶の手を握りました。
いつのまにか美弥の服は、アニメのハイジのような格好に変わっています。
妹ながら、とても可愛い姿です。
(…ってことは、俺は…)
想像するのが怖かったので、高耶はブンと頭を振って周りを見回しました。
どこかで遠吠えのような音がします。
犬? もしかして狼?
どこか安全な場所へ行かなければ…
高耶は美弥の手をしっかり握ると、僅かな月明かりを頼りに歩き出しました。
さて直江の方でも、無くした絵本を探して、あちこちを飛び回っていました。
あの絵本には、今ちょっと厄介なモノが入っているのです。
まさか…と思いながら、直江は高耶の家にも行ってみましたが、誰もいないようでした。
けれど絵本の中では、高耶と美弥は森をさまよい、
ようやく見つけた一軒の家の前で、思い悩んでいたのです。
この絵本の題名は『ヘンデルとグレーテル』
そう、二人の目の前には、かの有名なお菓子の家が建っていました。
艶々したチョコレートの屋根、壁は可愛らしいマカロンやクッキーで飾られ、
色とりどりのキャンディーやドーナツの花が咲く庭に造られた小さな噴水からは、
清々しい香りの水が湧き出ています。
夢のような光景に、思わず吸い寄せられるように手を伸ばしかけた二人でしたが、
高校2年と中学1年ともなれば、さすがにもう小さな子供ではありません。
勝手に他人の家を食べちゃいけないという分別くらい、ちゃんと持ち合わせています。
それでも、出口の見えない真っ暗な森を歩き回って、不安と疲労でヘトヘトだった二人にとって、
この光景はあまりに強烈な誘惑でした。
食うべきか、食わざるべきか…
ハムレットみたいに悩んでいると、
「食わぬのか? ここまで来て、お菓子の家に手を出さないとは、ずいぶんと珍しい子供だな。」
突然の声に、高耶は驚いて振り返りました。
美弥が目を丸くして肩越しに見上げています。
いつのまに現れたのか、そこには超絶美形の青年が、薄い笑みを浮かべていました。
肩まで流れる艶やかな黒髪、あでやかな赤い唇、
抜けるような白い肌に妖艶な黒い瞳が、どこかエキゾチックな雰囲気を感じさせます。
青年は、お菓子の家の持ち主で、高坂ダンジョーと名乗りました。
「遠慮せずとも、あれは食べても減らないように出来ている。
毒も入っていないし、安心して好きなだけ食べるがいい。」
上から目線の言葉と偉そうな態度、しかも子供と言われて大いに不満を感じつつ、
高耶は美味しそうな匂いに負けて、差し出された窓枠のパイを受け取ってしまいました。
「うまッ!」
「ん〜♪美味しい。」
美弥もブラウニーを頬張って幸せそうに目を輝かせています。
そうして食べている間に、二人はすっかり警戒心を失っていました。
2009年12月12日
絵本の中に入ってしまった二人。危ない雰囲気が漂ってますが、どうなっちゃうのやら…(^^; 背景の壁紙は、こちらからお借りしました。→
■→
小説のコーナーに戻る
TOPに戻る