言いようの無い虚しさが、胸を支配してゆく。
崩れ落ちそうになった体を掠めて、高耶がボールを追って飛んだ。
無意識に追いかけた視線の先に、忘れるはずのないあの瞳が見えた。
高耶の瞳が、一心にボールを見つめている。
その瞬間。頼竜の中で、何かが弾けた。
ボールを掴んだ高耶に、やっと追いついた蘭丸がシュートを阻む。
苦し紛れに出したパスが、直江の前にワンバウンドで落ちた。飛び出した直江より早く、
頼竜がボールを捕らえて蘭丸にパスを送った。
おまえがその瞳でボールを追うなら、俺は何度でもボールを取ってやる。
あと2点。だが簡単に終わらせてはやらぬ。
この試合が終わるまで、ずっと俺を追わせてやる。
違う形で執拗さを増した頼竜は、今まで以上に手強い敵になった。
たった2点を残して、試合は当初の千秋の予想どおり、大乱戦に突入していた。
出しても出してもパスが通らない。
シュートしようにも、思うように動きがとれない。
叩きつける雨の中、激しく動き回る彼らの体から、白い湯気が立っていた。
「休憩を! このままでは、また誰かが倒れてしまう。」
中川が叫びながら止めに入ったが、邪魔だとばかりに跳ね除けられ、しりもちをついた。
「なんでそこまでするがです! これは試合じゃち、言うとったでしょうが!」
それでも食い下がる中川を、嶺次郎がとめた。
「やっと本物の試合になったき、やめとうないんじゃろう。思うようにやらせてやれ。
すまんが倒れたら面倒みてやってくれ。の、中川。」
そうなるのが辛いから止めたいんだ…と言いたいのを、中川はグッとこらえた。
(早く…早く決着がついてくれ…)
中川の祈るような思いをよそに、試合は益々白熱していった。
いつのまにか、雨は止んでいた。
空を覆っていた黒い雲が消え、厚い雲の層を通して夕日が薄い茜を映す。
8対4は、信長たちの追い上げで、8対6になっていた。
ゴールに綺麗な放物線を描いて飛んだ蘭丸のシュートを、千秋が寸前で叩き落とした。
それを拾った直江が高耶に出したパスは通らず、頼竜が捕ってシュートに向かったものの、
またしても千秋に遮られ、蘭丸は悔しげに千秋を睨みつけた。
「だからあんたは嫌いなんだよ! 安田長秀!」
「奇遇だな。俺もだ。」
言いながらドリブルからシュートに移った千秋を、信長が高いジャンプで威圧する。
「くそっ! ったくどこまでしつこいんだ! いいかげん諦めて負けちまえ!」
思わず漏らした言葉に、信長がにやりと笑った。
「おまえたちがそれを言うのか? いつも諦めが悪いのはどっちだ。」
まるで、日頃自分達が信長の思い通りにならないことを、喜んでいるかのような表情に、
千秋は一瞬驚いた顔になって、またスッと目を細めた。
「そうだな。諦めるなんて似合わねえ。んじゃ、キッチリ勝たせてもらうぜ!」
ポンと一回ボールをついて、もう一度ジャンプした千秋は、ガードに飛んだ信長を避けて、
ひょいと斜め後ろにフェイントを落とした。
絶妙のタイミングで高耶が受ける。
ボディプレスをかけてきた頼竜の脇下から、腕を伸ばして上に放ったボールは、
すかさずジャンプした直江の手に渡り、そのままダンクでゴールに叩き込まれた。
「やったぞ! あと一点!」
疲れを感じさせない動きだが、もういつ誰が倒れてもおかしくないほど消耗している。
今彼らを動かしているのは、尋常ではない精神力だけだった。
「高耶…もう少しだ! 終わったらすぐにこの葉を飲ませてやるからな!」
汗を滴らせ、肩で息をしながら、高耶は譲に目で笑った。
「ハハ、も…俺は勘弁…」
「なんだよぉ」
と口を尖らせた譲は、すぐにまた試合に集中した高耶の背中を、心配そうに見つめた。
(倒れるなよ。おまえの倒れるとこなんて、見たくないんだからな)
激しく競り合って、7点目をゴールに押し込んだあと、着地した信長の体がグラッと揺れ、
ついにそのまま地面に倒れ臥した。
「殿ッ!!!」
駆け寄った蘭丸が抱き起こす。
「…やはりこの体では無理がきかぬ…」
苦笑交じりに呟いた信長は、
「帰るぞ、お蘭。ヘリを戻せ。」
と蘭丸の肩を借りて立ち上がった。
まだ…この宿体を喪うわけにはいかぬ。
そんな心の声が聞こえたのか、蘭丸は信長の目をみつめて小さく頷いた。
「なんだと! ここまできて帰るというのか! 試合はどうなる? 許さぬぞ、信長!」
血相を変えて怒鳴る頼竜に、信長は平然と答えた。
「遊びは終わりだ。なかなか楽しかったぞ。」
「そういうことなんで。頼竜殿、あとはご自由に。」
どこに待機していたのか、あっというまに到着したヘリから屈強な男が走ってきた。
ガシッと信長を抱えて、男はまた一目散にヘリに向かって走っていく。
「じゃあまた。次は戦場かな。」
にっこり笑って手を振ると、蘭丸もすぐにあとを追う。
呆気にとられて見送った一同の耳に、残された頼竜の憤怒の叫びをかき消して飛ぶヘリの音が、
うるさく響いていた。
中川に疲労回復の薬を渡された頼竜は、腑抜けたようになってどこかに去っていった。
「終わったのう…」
「ほんに、嵐のような人たちじゃった…」
ヘリが消え去ってから、見ていた赤鯨衆の間で溜息と共に、そんな会話が交された。
ついさっきまで、あんなに熱中して戦っていたのに、信じられない引き際の早さだった。
最後まで戦っていかなかったのが理解できない。
だが誰ひとりとして、もの足りないとは思わなかった。
嬉しそうに走ってきた譲が、
「俺はいいから…千秋と直江に…」
じたばたする高耶を捕まえて、無理やり口を開かせる。
「信長のやつ、やっぱ負けないで行っちまったな。」
ニッと笑った千秋に頷いたとたん、高耶はゴクンと汁を飲み込んで顔をしかめた。
「さすがに体が限界だったんだろう。あんなことを言っていたが、顔が真っ青だった。」
座って汗を拭きながら、直江は信長の表情を思い出していた。
数時間だったが、信長は本当に楽しかったのかもしれない。
「あなたが言ったとおり、ゲームになりましたね。いい試合でした。」
直江の言葉に頷いて、高耶は空を見上げた。
茜から紫に色を変えてゆく雲が、まもなく来る夜の訪れを告げる。
熱くなった体を、水気を含んだ風が心地よく撫でていった。