『直高の鉢かつぎ』

 

それは昔むかし、まだこの都に鬼やアヤカシが大勢いて、摩訶不思議な出来事が普通だった頃のこと。
とある貴族の息子、直江は供を連れて今宵を約束した女の屋敷に向かっていました。
月が陰り、林の木々が急にザザァと音を立てた時です。
いきなり目の前に怪しい男たちが現れ、金品を置いていけと迫りました。

「冗談ではない。誰が言うとおりにするものか。」
スラリと刀を抜いた直江でしたが、供は悲鳴を上げて震えるばかり。
多勢に無勢、しかも供を庇って戦うのでは、さすがに少々動きが鈍ります。
直江は次第に押され気味になり、とうとう囲まれてしまいました。

その時、どこからか石が飛んできて、次々と男たちの頭や腕に当ったのです。
「ちくしょう!誰だ!」
「いてっ!痛い、痛いっ!やめろっ!」
「このやろう、出てきやがれ!」

驚き、怒り狂った男たちは、直江そっちのけで闇雲に刀を振り回し、茂みに投げたり突き刺したり。
けれど何の効果もありませんでした。
勢いの衰えない石で、顔や手足に傷が増えるばかりです。

「バカが。これ以上やられたくなかったら、とっとと退け。」
凛とした声が、木立の間から響きました。

姿を現したのは、椀を伏せたような形の、見たこともないほど大きな鉢。
それが暗い茂みの中に浮かんで、ガサガサと音を立てながら近づいて来ます。

グェッと息を呑んで、男たちが我先に逃げていくなか、直江は急いで黒く光る鉢に近寄りました。
たとえ妖怪でも、助けてもらった礼をせねばと思ったのです。
鉢は一瞬びっくりしたように動きを止め、けれどすぐにクルリと向きを変えて一目散に走り出しました。

「待って…!逃げないで下さい。」

伸ばした手が、何かを掴みかけて空を切りました。
やわらかな皮膚を思わせる感触。
掴もうとした瞬間に、直江の手を振り払うようにして逃れたそれは、きっと鉢の腕に違いありません。
直江は鉢を追って走りながら、腕を狙って懸命に手を伸ばしました。

ようやく掴んだ腕は、意外に細くて、温かさも人間と変わらないようです。
やがて雲から顔を出した月の明かりに照らし出されたのは、
なぜか頭に大きな鉢を被った、ほっそりとした青年の姿でした。

礼など要らないと嫌がる青年を説き伏せて、半ば強引に屋敷に連れ帰った直江は、
さっそく風呂を焚かせ、ごちそうを用意させて、もてなそうとしました。
ところが彼は頭に鉢を被ったまま、ちっとも外そうとしないのです。
これでは風呂も食事も存分に味わってもらえません。

「お願いです。どうか私を信じて、その鉢を外して下さい。」

「信じる、信じないじゃない。出来ないんだ。これは誰もいないところじゃないと外せない。」

しかたなく直江は、言われるまま青年をひとり残して部屋を出ました。
いつか青年が、自分の前で鉢を外してくれることを願って…

青年は高耶と名乗った以外、自分のことを何も語ろうとせず、
鉢を被っているわけも、どこで生まれたのかも、まるで分かりませんでした。
けれどその立ち居振る舞いは、粗野ながら不思議と気品に溢れ、
馬も弓も、その辺の貴族たちより、よほど良い腕前です。
そんな高耶に、あれこれと世話を焼くのも楽しくて、
いつしか直江は、暇さえあれば高耶と一緒にいるようになりました。

なにげない毎日を語り合う楽しさ、
鳥の声も、空の色も、
高耶と一緒だと、何もかもが新鮮で美しく、
時に不思議なほど胸を締め付けられるのです。

直江は高耶が好きでした。
鉢で顔が見えなくても、
高耶の優しさも、寂しさを隠す強がりも、
ひたむきで純情な可愛らしさも、傍にいれば見えてきます。

知れば知るほど好きになり、それが恋だと気づいた頃には、
もうどうすることもできないほどに、直江は高耶に惹かれていました。

 
 

背景の壁紙は、こちらからお借りしました。→

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