優しい雨−7

「今のはなんだ!」
爆音と地響きは山頂の砦にも伝わっていた。
砦から下を見下ろすが、そこからでは何が起きたかわからない。
外に出て周囲を見て廻った二人は、白い煙が上がっているのを見つけた。
「あれは三の谷じゃないか?」
「崖崩れか!」
平四郎の報告では、三の谷では兵頭班が爆薬によるトラップを仕掛けていたはずだ。
爆発の規模が大き過ぎて道が崩れたと考えられる。
「もしトラップのせいなら、武藤班が通っていたはずだ。まさか崖崩れで…」
高耶の顔は真っ青だった。嶺次郎の肩が震えている。
「あいつらを信じろ!こんなところで死んだりせん!」
苦しい表情のまま、自分に言い聞かせるように嶺次郎が言った。
高耶は黙って拳を握り締めた。

 その頃中川と直江は、山頂に向って車を走らせていた。
この山は元々みかん山なので、途中までは車でも登れるのだ。
数々のトラップも既に踏破された後なので、ほとんど問題なく中腹まで来たところで、捕虜を連れている中田たちと出会った。
怪我をしている木村を乗せて走り出そうとしたとき、インカムでなにか話していた中田が血相を変えて走ってきた。

「中川先生!お願いじゃ。わしらも乗せてください!」
「何を言ってる。お前達は紅白戦の最中だ。そんなことできるわけないだろう。」
そう言った直江に、中田がくってかかった。
「そんなこと言うとられんがじゃ!道が崩れたら大変なんじゃ!」
話を聞いてふたりは顔を見合わせた。直江が先に口を開いた。
「わかった。すぐ三の谷に向おう。だがお前達を乗せるわけにはいかない。訓練はまだ終わっていない。」
「けんど・・けんど・・。」
中川は中田たちを見つめて言った。
「私達はどちらか一方の手助けはできん。今車に乗ったらこの戦いには戻れない。仲間の苦労も無駄になるんだぞ。それでもええのか。ひとりになっても最後まで戦うのが赤鯨衆じゃないのか!」

意外なほど強い口調だった。普段は穏やかなこの男の熱さが彼らを打った。
「中川先生。わしらは自分らで行きますき。すみませんでした!」
頭を下げると中田たちは走り出した。しっかりと前を向きひたすら道を急ぐ彼らを追い抜いて車は走った。
いきなりドオンと大きな音がした。続いてバキバキと木が折れるような音と共に、地響きが聞こえてきた。
「橘さん!今のは・・!」
「崩れたな…とにかく急ごう!」
山道を飛ぶように走って行ける所まで登った。

三の谷まであと少しのところで車を止めると、車内に木村を残して二人は走った。
「あれを!」
もうもうと土砂が舞う中、続いていたはずの道が無くなっている。
かろうじて山肌に残った部分にしがみつくようにして、二人の男がうずくまっていた。
「大丈夫か!じっとしてろ。今助けてやる!」
とは言ったものの、助けようにもどうすればいいのか…。
そのとき、頭上から声がした。
「おーい。今ロープ下ろすから、しっかり掴まれ!」
ロープが降りてきた。だが上手く掴めない。よく見ると一人はぐったりして動けないらしい。
もう一人がしっかりと抱えているが、そのせいで手が伸ばせないのだ。
誰かが行って手助けしてやらないとダメだ。

 直江は辺りを見まわした。下方は土砂がまだずるずると滑り落ちている。
どうやらあの場所に行くには、一旦崖の上に登ってからロープで降りるしかないようだ。
「どうやって登りましょうか。」
中川も考えは同じらしい。とにかく登ってみようと手近なとっかかりに手を掛けた。
なんとか少しは登れたが、この急斜面ではこれ以上無理だ。
となると別の方法を考えるしかない。
「別のルートで向う側に廻るしかないな。時間がかかるがやむをえない。車に戻ろう。」
そう言って戻りかけた直江が、はっと足を止めて振りかえった。

「兵頭?あれは兵頭じゃないか?」
直江の視線の先を追って、中川も驚きの声を上げた。
「兵頭さん! あんなところに?」
なんと彼は対岸からロープを伝って渡って来たらしい。しかも今はそのロープにもうひとつロープを掛け、取り残された二人のいる場所に降りようとしていた。
「いい方法だ。あれならなんとかできるだろう。」
まるでレインジャー部隊だ。
こんなに長いロープを持っていた用意の良さにも感心する。
昔と違い今は軽くて丈夫なワイヤーロープではあるが、やはり荷物になるのは必至だ。
事実今回の参加者の中でもロープを用意していたのは、兵頭と広瀬と中田の三人だけだった。
だがそれよりも宮路がカギ縄を持っていたことの方がもっと驚きなのだが、直江も中川もそんなことまでは知らない。
これであの二人はもう大丈夫だろう。直江達は車に戻った。
 この先に上るには別のルートを辿るしかない。この山にきた本来の目的を果たす為に、直江は車をUターンさせてもうひとつの道に急いだ。

 崖に取り残されていたのは、村松と谷口のふたりだけだった。
まだ土煙と爆炎ではっきり見渡す事ができないが、どんなに呼びかけても応える声は聞こえなかった。
「崖崩れに捲き込まれたんじゃろうか。」
平田の言葉に、寺内が崩れるように座り込んだ。
「そんなはずない。そんなはずあるか!」
谷口は村松の手当にかかりきりで、潮たちのことは何も語らない。
兵頭は視界の悪い崖下を、なにひとつ見逃さないように、鷹のような目で何度も何度も見まわしていた。
対岸からロープを伝ってくる間も、ずっと廻りを見渡しながら渡ってきた。だが取り残された二人以外、だれの姿も見つからない。
土砂に捲き込まれたとしたら、もう生きてはいまい。
 元が怨霊なのだから、宿体が死んでもそれで消えてしまうわけではないのに、こんなにまで心臓が絞めつけられるのは、あくまでも命にこだわる高耶の影響なのだろうか。
 生きていてくれと願っている自分に気付いて、兵頭は内心驚いていた。以前ならこんな気持ちになるなど、考えられなかった。まして武藤を殺そうとしたことまであったのに。
「もういちど降りてみる。それで見つからなければ訓練に戻る。」
そう言うと兵頭はロープを使って降りていった。

 対岸にいた広瀬たちは、兵頭だけを残して山頂に向っていた。
「俺達も助けに行こう!」
あのとき崖崩れを目の当たりにして、全員の気持ちは同じだった。早く助けなければ!
だが兵頭が制止した。
「紅白戦といってもこれは戦いだ。ここで勝負を捨てるのか。これが本物の戦だったらどうする。西野を残して来たのはなぜだ!始めから覚悟してここにきたんじゃないがか!」
それに…と兵頭が続けた。
「あの武藤が、むざむざと崖崩れに捲き込まれてしまうと思うか?」
その一言で気持ちが変わった。
「そうじゃ。もしかしたら、もうやり過ごして上に向うとるかもしれん!」
「広瀬のロープは、もう向うに渡した。あっちには俺が行く。」
兵頭の言葉に頷いて、広瀬たちは山頂に向った。山頂で武藤たちと戦えることを信じて。

 見送りもせず、兵頭はすぐさまロープに飛びついた。
彼らにはああ言ったが、いくら武藤でも無傷でやり過ごすなど考えられない。
だがここでやめたら訓練は失敗だ。最後まで戦ってこそ紅白戦なのだ。
実戦の厳しさを教える為の戦いは、予期したものと違う意味でも、関わった全ての者に厳しさを思い知らせていた。

 

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