PROJECT
T-2
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challenger

〜武元智徳の挑戦〜

2005年天草サイクルマラソン

第1章 生い立ち

一応生まれたところは大阪市になっているが、
物心ついた時から第1チェックポイントから5分も離れていないところで、
高校3年までを過ごす。
通学に使っていたこと以外は特に自転車との関わり合いはなかったが、
家には自動車というものがなかったので、
徒歩や自転車で行動することに対して、嫌悪感は少なかったかもしれない。
ただ、あまり大勢で騒ぐことが好きな方ではなかったので、ぼんやりと自転車でウロウロすることは多かったかも知れない。

それから、うちの母は、私が生まれるずっと以前、まだ彼女が独身だったころ、
自転車のサドルの製造ラインに立っていたということを聞いたような気がする。
まあ、それと、今の私が自転車に乗ることを趣味としていることとは関係ない話ではあるが・・・。

第2章       きっかけ

刑務官という職業についてからすでに10年以上になるが、その間、平成10年から約3年間天草の支所で勤務していた時代がある。

天草へ転勤後の私は、みるみる体重が増加し、3桁に限りなく近くなっていた。これは何とかしなければ・・・。という思いと、今も乗っているエスティマでの通勤はガソリン代がかかるし一人で乗るにはもったいない、しかも環境汚染につながる・・・その他いろんな思いから、ATBと称する1万円くらいの自転車を買って通勤することになった。自分から意識して自転車に乗り始めたきっかけはそういうこと。

そして、ロードレーサーを欲しいと思ったきっかけは・・・。

毎年国際トライアスロンが行われていることもあって、
週末ともなると、ロードレーサーで練習する人が多くいたが、
非番で疲れ切って帰っている横を、スーと追い抜かれることが常であった。
今思えば身の程知らずも甚だしいが、当時は、この差は脚力の差ではなく、
自転車の性能の差に他ならないと本気で思っていた。
「せめて同じ土俵で勝負したい。」この勘違いがなければ、
一生ロードレーサーには乗らなかっただろう。
ちょうどそのころ、どちらが先だったかは忘れたが、2年連続で、
国体と高校総体のロードレースが自宅前の国道を舞台として行われ、
間近に本格的なレースを見ることができたことも一つのきっかけだったかも知れない。