めざせ!…大島トライアスロン完全ゴール!
岩崎 英喜
なぜ…どうして…完走できない…のだろう?
今回で大島トライアストン大会の挑戦は5回目になりますが、信じられないことに、これまで一度もオリンピック・ディスタンスの距離で完走したことがありません。
この大会の初挑戦は、私のトライアスロンのデビューの年である第7回大会でした。泳力のなさで海の流れの速さに勝てず、タイムオーバーのため自分の意に反して船に収容されたため、しつこいぐらいレース継続をお願いしたにもかかわらず、あえなくリタイアをさせられてしまいました。
そのときの屈辱感は非常に強く、それ以来リベンジをするための気持ちが燃え上がってきたわけであります。ただ、なぜか大島大会ではツキに見放され、完全な形でゴールをしたことがなく、消化不良感が強く残ったままで、満足感や充実感を味わったことはいまだにありません。
宮古島大会、アイアンマン・ジャパンと全て完走してきたのに、この大会はなぜ相性が合わないのか不思議でなりません。
第8回大会は、リベンジのための満足できるトレーニングを積んでいたので、必死に泳いでスイムは無事ゴール、「よしこれで完走できるぞ」とばかり、次のバイクではガンガン飛ばし、登りの一番きつい坂道でも数人を追い越しましたが、頂上までにあと2人ほど抜けなかったので、ヘヤピンカーブの下りで前のバイクを追い越したとたん、バランスを失いコントロールが利かずに、バイクもろともアスファルトに叩きつけられてしまいました。(出場経験のある人はどの辺りか想像できるでしょう…・そう、その辺ですヨ!)
バイクは見事にパンク。WOのタイヤのため、すぐにチューブを交換しましたが、タイヤが破れていたためチューブが一部タイヤからはみ出る状態でした。何とかゴールしたいとの気持ちで一生懸命バイクを調整していましたら、マーシャルが近づいて来られ、「怪我がひどくて血だらけだから、ここで止めたほうがいいすよ」と言われてしまいました。
それを聞きわれに返って身体を確認すると、太ももにかけて一部肉がとれ、ほか左肩、腕は擦過傷がひどく、血だらけになっていましたが、「いまさら止められるもんですか」と返事をして、バイクに再び乗って、遅れを取り戻すべくガンガン踏み込んでいると、島の人から「あんた怪我のひどかヨ!!」という声を横に頑張っていました。そのうち再びパンクをしてしまい、替えのチュウ―ブの持ち合わせはなくなっていたので、そこで本日はあえなく万事休す。
救急車で運ばれ、大島町立病院で緊急治療をしていただき、肩・左腕・左足はほとんど包帯でぐるぐる巻きにされ、トライアスリートのさえない姿に恥ずかしいの何の。レース終了後、リズムティームの焼肉ビーチパーティが開かれていましたので、参加をさせていただき、腹は減りのどは渇いていましたので、たらふくビールを飲み、焼肉はしっかり食べて帰りはしましたが……。
次の日は、業界の公務出張で北海道に行き、翌日はゴルフコンペに出場をして、風呂場では、私の傷を見た周りの人たちに、「この傷でゴルフ?あんたは異常だと」驚かれていしまった次第です。