旧制第一高等学校寮歌解説

春長江の

明治38年第15回紀念祭寮歌 中寮

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1、春長江のをたけびや   堤萬朶の花ふるひ
  秋南濱の鬨の聲      暮潮怒りて雲を衝く
  尚武のほまれ香陵の   健兒の劍氣敵もなし

4、護國の旗を先立てゝ    金鼓の響共同の
  駒の足掻の砂煙      奸臣蠹賊屠りつゝ
  健兒一千とこしへに    鞭打つ方は自治の星









 作詞の山本倍三は、「嗚呼玉杯」の作詞矢野勘治の実弟。
6段2小節の3連符は、平成16年寮歌集添付の原譜では、八分音符の2連符。

調・拍子は、ホ長調・4分の2拍子は変わらない。平成10年寮歌集で、次のとおりに変更された。

1、「しゃうぶの」(5段1小節)  
 レーレレーレとタータタータ(付点8分音符と16分音符の繰り返し)のリズムに変更され、「しょーうぶの」が「しょおぶーの」と歌うように改まった。
2、その他リズムの変更
 タタ(連続8分音符)のリズムは、すべてタータ(付点8分音符と16分音符)に変更された。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
春長江のをたけびや 堤萬朶の花ふるひ 秋南濱の鬨の聲 暮潮怒りて雲を衝く 尚武のほまれ香陵の 健兒の劍氣敵もなし 1番歌詞 春の東都の名物であった対高商ボートレースで6連勝した時の一高端艇部の雄叫びで、墨堤の満開の桜は吹雪となって舞った。秋の横浜外人クラブとの野球戦でものの見事に完封勝ちした時の一高野球部の勝鬨は、まるで夕方の満ち潮が怒濤の如く荒れ狂って天まで響き渡るようであった。向ヶ丘の一高健児の武を尊ぶ心は誉れ高く、剣の殺気に刃向う者は誰ひとりいない。

「春長江のをたけびや」
 明治20年から32年の間、隅田川で行なわれた東都の名物・対高商ボートレースで6連勝したこと。「長江」は普通、中国の揚子江のことだが、ここでは隅田川。
 「隅田川原の勝歌や 南の濱の鬨の聲」(明治36年「彌生が岡に地を占めて」2番)

「堤萬朶の花ふるひ」
 隅田川東岸(墨堤)は古来より桜の名所。今、墨田公園がある。

「秋南濱の鬨の聲」
 横浜アマチュアクラブ・米国軍艦勢との野球戦。明治29年から37年まで戦い、一高の11勝2敗。ただし、実際の試合は、秋ではなく5月から7月に行なわれた。
 最後の試合は、明治37年6月4日於横浜公園、8-0で勝利。観覧希望者を予約募集し、新橋駅から臨時汽車を出した。

「暮潮怒りて」
 「暮潮」は、夕方の満ちてくる潮。勝鬨の聲のすさまじさをいうもの。
 葦應物 『酬柳郎中春日歸揚州南郭月別之作』唐詩選下P159
 「廣陵三月花正開 花裏逢君醉一廻 南北相過殊不遠 暮潮歸去早潮來」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)

「尚武のほまれ香陵の 健兒の劔氣敵もなし」
 勤儉尚武・質実剛健の精神と戦いに臨む氣魂をいう。実際に剣を振り回したわけではない。「香陵」は「向陵」、一高のこと。「劔氣」は剣の殺気。「劔」は、遅くも大正7年寮歌集で「劍」に変更。
 
行く手遙けき沙河の岸  正義の太刀に屠るべき 夷狄の數は五十萬 血潮銀沙を染めん時 十年の恨雲晴れて 光はそはん大八洲 2番歌詞 遠く幾萬里を離れた極寒の満洲沙河の陣で対峙する日露両軍、正義の太刀に切り捨てるべき野蛮な魯狄の兵は50万。胡沙吹く沙漠の砂を魯狄の血で染める時、捲土重来を誓い臥薪嘗胆した三国干渉以来の10年の我らが恨みは晴れ、勝利の光榮は我が日本国のものである。

「沙河の岸」
 明治37年10月の沙河会戦の後、翌年の2月まで、日露両軍は沙河をはさんで長期の対陣。沙河は奉天(現瀋陽)南方約15キロのところ、日本軍は旅順で弾薬を使い果たし、露軍を追撃出来ず、真冬厳寒の地で塹壕を掘って越冬した。奉天会戦は、旅順陥落後、3月1日から10日。

「夷狄の數は五十萬」
 「夷狄」は野蛮な異民族。ここではロシアのこと。沙河会戦の日本軍の参加兵力は12万8千人。一方、ロシア軍の参加兵力は22万1600人である。旅順要塞の攻防戦も含めての数か。

「十年の恨」
 明治28年、下関条約条約直後、露仏独の三国干渉により日清戦争でせっかく獲得した遼東半島を清国に返還せざるを得なかった恨み。日本は臥薪嘗胆をモットーにロシアに復讐すべく軍備の増強に努めてきた。

「大八洲」
 日本国の古称。
その大八洲興すべき 吾等そ招く自治の星 尚武の弓に弦を張り 勤儉の矢をたばさみて 胡地にのり入る一千騎 太刀に冴あり十五年 3番歌詞 その日本国の興隆のため、自治の星が吾等一高生を戦地に招いている。尚武の弓に弦を張り、勤倹の矢を束にして何時でも戦地に乗り込まんと、一高生1000人の心は、ロシアを相手に将兵と共に戦っているのである。自治寮15年の歴史は、武士の心の光り輝く立派なものであった。

「吾等そ」
 昭和10年寮歌集で「吾等を」に訂正(関東大震災で復刊された寮歌集でも、昭和3年の寮歌集でも「吾等そ」。「そ(ぞ)」は強く指示指定する助詞とすれば、一概に誤植ともいえないが、「吾等を」として訳した。

「尚武の弓に弦を張り 勤儉の矢をたばさみて」
 護國旗の旗の下、戦意高揚した一高生の心。臨戦態勢にあるかの如くである。「尚武」は武を尊ぶ心。「勤儉」は、勤勉で倹約の心。「勤儉尚武」といって、いずれも一高の伝統精神である。

「胡地にのり入る一千騎」
 「一千騎」は、一高生1000人。戦意昂ぶる気持ちの上のことで、一高生が実際に満洲の蛮地に乗り込んだわけではない。
護國の旗を先立てゝ 金鼓の響共同の 駒の足掻の砂煙 奸臣蠹賊屠りつゝ 健兒一千とこしへに 鞭打つ方は自治の星

4番歌詞 校旗・護国旗を先頭に捧げて、自治を邪魔し刃向う魔軍勢を屠るために、自治共同の進軍の金鼓(かねたいこ)を鳴らし、砂煙を上げて駒を飛ばし戦ってきた。一高健児一千は、永久に理想の自治を目指して懸命に馬を進めるのである。

「護國の旗」
 一高の校旗。柏葉橄欖の校章の真ん中に「國」の字が入る。

「金鼓」
 陣鉦(じんがね)と陣太鼓、陣中の号令に用いるもの。
 「王師の金鼓地を搖れば」(明治38年「王師の金鼓」1番)

「駒の足搔きの砂煙」
 「足搔き」は、馬などが前足で地面を掻いで進むこと。

「奸臣蠹賊」
 心の正しくない家来と物事をそこない害する者。蠹賊の蠹は、木食虫の意。勤儉尚武の籠城主義に反対する軟弱な校風、個人主義論者をいう。

「鞭打つ方」
 目指す方向。
胡沙吹く風に日は落ちぬ 寄せよ妖凶闇の夜を 吾れに正義の弓矢あり 百練の太刀腰にあり 戰はん哉弦絶えて 千口の太刀の折れんまで 5番歌詞 真っ赤な夕日が西の空に落ちて、やがて夜が蛮地の沙漠に訪れ、腥風が吹いてくる。闇に蠢く魔軍よ、自治の城に寄せなば寄せて見よ。吾には正義の弓矢があり、腰にはよく鍛えた太刀がある。弓の弦が切れ、寮生千人の太刀が折れるまで、自治を守るためため戦うことであろう。

「寄せよ妖凶闇の夜を 吾れに正義の弓矢あり 百練の太刀腰にあり 戰はん哉弦絶えて 千口の太刀の折れんまで」
 「妖凶」は、悪魔。自治を破壊し、あるいは邪魔する者。
 「寄せなば寄せよ我城に 千張の弓の張れるあり 魔神の楯も防ぎ得じ 射るは正義の征矢なれば」、「腰に自由の太刀佩きて」(明治35年「混濁の浪」2・5番) 
「百練の太刀」は、何度も焼きを入れ鍛えたよく切れる太刀。「百練」は「百錬」の意。「千口」は、1年から3年まで、全一高生1000人の千。
龍駒一千嘶けば 胡地の夜闇を霧晴れて 簫條千里風もなく 紫微いや近し自治の里 健兒の太刀に響あり 護國の旗に光あり 6番歌詞 駿馬のような優れた一高健児千人が嘯けば、北の蛮地の夜の闇は霧晴れて、何処からともなく妙なる簫の笛の音が聞こえて、千里風もない。自治の里向ヶ丘は、宮城のごく近くで、国を護るという健兒の魂と魂が触れ合い、光を受け校旗護國旗は翻る。

龍駒(りょうく)一千嘶けば」
 駿馬ような一高生千人が嘶けば。「龍駒」は、駿馬。天才少年。素質の非常にすぐれた少年。一高生のこと。 

「胡地」
 蛮地、外国の土地。ここでは日露戦争の戦場、満洲。

「簫條」
 簫の笛の音。昭和50年寮歌集で、ものさびしいさまの意の「蕭條」に変更。「霧晴れて 蕭條千里の風もなく」は、ものさびしいさまといえるか。

「紫微いや近し自治の里」
 皇居のすぐ近く(帝都)にある向陵の意。だから、「紫微」は、古代中国の天文学で、北斗星の北にあり、天帝の居所とされた星座。転じて、天子・天位に喩える。ここでは宮城。皇居。
                       

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