旧制第一高等学校寮歌解説

花は櫻と

明治45年第22回紀念祭寄贈歌 京大

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1、花は櫻とうたひけむ     をの子のかずに生れ來て
  
はたちとなればゆるされて かの向陵にのぼりけり

2、うれしかりしよその日より  若くをゝしき此國の
  一千の兒はほゝゑみて   われをむかへぬわが友と

3、寮のいらかの星うつり    三とせもゆめとすぎぬれば
  つひにわかれの日なりけり  あゝわがおかよわが友よ
*「おか」は昭和10年寮歌集で「をか」に変更された。

5、かうべめぐらす向陵は    むなしく立てリ新緑に
  されどもわれは其時よ    わすれぬ影を見たる哉
昭和10年寮歌集でニ短調からロ短調に移調されているが、メロディーはこの原譜と全く同じで変りはない。3度キーが低くなり、歌いやすくなった。 初めて、ローマ字の速度記号(Andante.)を使用


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
花は櫻とうたひけむ おの子のかずに生れ來て はたちとなればゆるされて かの向陵にのぼりけり 1番歌詞 花は桜が一番と歌うように、男子の1人として生まれてきたからには誰しも憬れる、天下第一の秀才の集まる第一高等学校に20歳となって許されて入学した。

「花は櫻とうたいけむ」
 端艇部部歌「花は櫻木 人は武士」は、一高の寮歌第1号で、「ボート歌、凱歌、後には端艇部部歌と呼ばれ、実に二十年余にわたって、後年の玉杯のような締めくくりの歌としての栄誉を担った」(奥田教久大先輩「嗚呼玉杯考」から
 一休禅師、仮名手本忠臣蔵に「花は櫻木 人は武士」の原典を求める人が多い。
 「人は武士 柱は檜 魚は鯛 小袖は紅梅 花はみよしの」等。
 本居宣長 「敷島の大和心を人問はば朝日に匂ふ山桜花」
うれしかりしよその日より  若くおゝしき此國の 一千の兒はほゝゑみて われをむかへぬわが友と 2番歌詞 嬉しかった。入寮のその日から、若くて雄々しい一千の秀麗の健児が微笑んで我を友として迎えてくれた。

「われをむかへぬわが友と」
 一高生は全員三年間、入学と同時に寄宿寮に入った。一高生は全員が寮生であり、友となる。
寮のいらかの星うつり 三とせもゆめとすぎぬれば つひにわかれの日なりけり  あゝわがおかよわが友よ 3番歌詞 寄宿寮生活も日を重ね三年が夢のようにあっという間に過ぎたので、ついに友との別れの日が来た。あゝ懐かしき我が向ヶ丘よ、我が友よ。

「寮のいらかの星うつり」
 寄宿寮生活の時の経過をいう。

「わがおかよわが友よ」
 高校生活三年が終わると、各地の帝大に進学のため、寮を出て、友と別れ離れになる。「おか」は向ヶ丘。昭和10年寮歌集で「をか」に変更された。
こゝろ戰きさけぶらく わすられにけりおかのべに よゝの寶はひめたるを 君しれ人とよばれんや 4番歌詞 声を振るかせて叫ばなくてはならないのは、向ヶ丘には伝えの自治という宝があることを世間の人は忘れてしまっていることだ。君は、世間の人から愚か者だと呼ばれるだろうか。決して呼ばれることはない。世間の中傷など気にすることはない。
 一高および一高生への、世間のあらぬ中傷を踏まえるか。例えば、
 明治45年2月11日、雑誌『日本及日本人』に、最近の一高生の堕落ぶりを述べ、「その責は新渡戸校長と谷山舎監に帰せざるを得ず」という「一高生の現状」という記事が出た。

「さけぶらく」
 今でも残っている「いわく」「恐らく」と同じ「ク語法」。「らく」は文法的は活用形の未然形につくので、「さけばらく」が本来の用法(同旨、一高同窓会「一高寮歌解説書」)。
 「梢の星の嘆ずらく」(大正4年「あゝ新緑の」1番)

「おかのべに」
 大正14年寮歌集で「おかのへに」に、昭和10年寮歌集で「をかのへに」に変更された。

「よゝの寶」
 代々の寶。伝えの自治。「よゝ」は、世々、代々。長い年月。

「しれ人」
 愚か者。
 
かうべめぐらす向陵は むなしく立てリ新緑に されどもわれは其時よ わすれぬ影を見たる哉 5番歌詞 後ろを振り返って見ると、向ヶ丘は新緑の中にむなしく立っていた。しかし我はその時、希望の光を見たのを忘れない。

「かうべめぐらす向陵は」
 後ろを振り返って見る向ヶ丘は。「かうべ」は頭。「めぐらす」は、ぐるりとまわす。

「わすれぬ影を見たる哉」
 「影」は、光。希望の光。自治の光。
                        

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