旧制第一高等学校寮歌解説

天龍眠る

明治45年第22回紀念祭寮歌 北寮

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1、天龍眠る富士の峰      地虬(ちきゅう)嘯く刀根の水
  秀麗茲に地を占めて     敢爲の旗を翻し 
  六樓高く雲を衝く        これ向陵の自治の城。


2、春は櫻の彩霞(いろがすみ)        秋は紅葉の綾錦
  
文にも武にも超然と      操は堅し巖より
  氣は一世を蓋ふべき     千餘の健兒こゝにあり
。 

*各番末尾の句点は、大正14年寮歌集で削除された。
6段2小節2音は4分音符であったが、平成16年寮歌集添付の原譜の付点4分音符に訂正した。拍子が4拍子から2拍子に、曲の途中で拍子の変る最初の寮歌である.(現譜では明治38年南寮々歌「平沙の北に」があるが、もともとの平沙の北は、最初から最後まで4拍子であった)。

譜は大正14年寮歌集で全ての小節といっていい程、大幅に変更され、現在のメロディーとなった。その後、昭和10年寮歌集で、①ト長調からニ長調に移調し、②1段4小節がソーーミに変更(音の変更は1箇所)、③大正14年で変更されたコブシ部分にスラーを付し、④4か所にブレスを置く変更を行った。

譜の変更箇所があまりにも多く、一一の説明は出来ないが、例えば、出だしはドーードーレー ドードードーラ(低)ーと童謡「夕焼け小焼けの」に似たものであったが、ドーードーミー ドーードーソ(低)ーとなった。またリズムは基本的にタタからタータのリズムになっている。現在は、全くといってほど歌われることのない寮歌だが、これほど大幅な変更があったということは、昔は相当に歌われたか、関東大震災後の寮歌集復刊の過程で譜面担当者が音楽的に不十分な箇所に手を加えたか、どちらかであろう。メロディーは全く異なるが、この寮歌を歌うたびに、NHKラジオで市丸が歌っていた「天龍下れば」という昔の歌を思い出す。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
天龍眠る富士の峰 地虬(ちきゅう)嘯く刀根の水 秀麗茲に地を占めて 敢爲の旗を翻し 六樓高く雲を衝く これ向陵の自治の城。 1番歌詞 天の龍が眠る富士の嶺、龍の子が吼える利根川。ここ武蔵野の向ヶ丘に、眉目秀麗の一高生が、信念を貫き、どんな困難・反対をも押し切って行うと護國旗に誓って、六寮に籠城している。その意気たるや雲をも突かんとする高さである。これが向ヶ丘の自治の城である。

「天龍眠る富士の峰」
 天の龍が眠る富士の峰。天龍とは、[仏]八部衆のうちの諸天と龍神。天宮を守る龍 。富士山に昇る雲の姿が龍に見えることがある。

地虬(ちきゅう)嘯く刀根の水」
 地虬(ちきゅう)は、みずち。龍の子で、二つの角がある想像上の動物。虬は俗字で、虯が本字(大修館・新漢和辞典)。富士山の「天龍]に対し、「地虬」といった。

敢爲(かんい)の旗」
 「敢為」は、信念を貫き反対・困難などをおしきって行うこと。

「秀麗茲に地を占めて」
 「秀麗の地に健兒あり」(明治34年「春爛漫の」3番)

「六樓高く雲を衝く」
 六樓は一高の六寮(東・西・南・北・中・朶)。3階建てないし2階建て。三層樓などと称した。高層の建物というより、一高生の意気の高さをいう。
 「向ヶ岡にそゝりたつ 五寮の健兒意氣高し」(明治35年「嗚呼玉杯に」1番)

「向陵の自治の城」
 「向陵」は、向ヶ丘の美称。一高健児は俗塵を避けるため自治を許されて、全員、向ヶ丘の寄宿寮に入寮し、三年間、寮生活を送った。これを籠城と称し、寄宿寮を自治の城と呼んだ。
春は櫻の彩霞(いろがすみ) 秋は紅葉の綾錦 文にも武にも超然と 操は堅し巖より 氣は一世を蓋ふべき 千餘の健兒こゝにあり。   2番歌詞 春は、桜に霞がかかり美しい花霞となり、秋は錦織り成す紅葉となる向ヶ丘。文武両道にかけ離れて抜きん出て、志操は巌より固く、気力は宏大な一高健児千余人がここ向ヶ丘にあり。

「櫻の彩霞」
 桜色に霞む花霞。

「紅葉の綾錦」
 錦織りなす奇麗な紅葉。単色で斜めに織り筋を出したのが綾、金糸や銀糸を用いた多色絹織物が錦である。
 
「氣は一世を蓋ふべき」
 気力の宏大なこと。
史記 項羽紀「力抜山兮氣蓋世」
嗚呼星移り物換り 日に文弱に流れ行く 浮華の嵐吹き荒び 正義の道は埋れて 富者は貧者の血を(すゝ)り 強者は弱者の肉をはむ。 3番歌詞 時移り、また、物質的に豊かになって、世の中は、日に日に軟弱な個人主義が流行り、はかない栄耀栄華を競って求めている。正義の道は廃れ、富者は貧者から恣に搾取し、弱者を滅ぼして強者が栄える弱肉強食の悲惨な世の中となった。

「星移り物換り」
 「物換り」は、資本主義の発展により物質的に豊かになったこと。反面、貧しい労働者階級が発生し、救済が叫ばれ出した。
 明治44年2月11日 貧民救済に関する勅語発布、同5月30日、恩賜財団済生会が設立された。
「日に文弱に流れ行く 浮華の嵐吹き荒び」
 校風問題ではなく、世の中一般の風潮をいう。
 「文弱」は、武士の魂は失われ、軟弱な個人主義が流行っていること。「浮華」は、うわべだけ派手で実質のないこと。はかない栄耀栄華を競って求める風潮をいう。

「富者は貧者の地を歠り 強者は弱者の肉をはむ」
 「まづしきものゝ血をすゝり、肉をはむてふ鬼ぞすむ」(明治41年「紫あわく」2番)
 
蝉の翼は重くして 大呂は輕く兎の毛より 燕雀ひとり跋扈(はびこ)りて 三槐あはれ光なく 萬里を翔る鴻鵠も 搏空(はばた)きすべき力なし。 4番歌詞 蝉の羽は重く、大きな鐘は兎の毛より軽いかのように、世の中の価値判断は全く間違っている。小人物がひとりのさばり蔓延って、尊ばれるべき立派な人物が闇に埋もれている。一搏萬里を翔けるという鴻鵠も羽を搏つ力がない。すなわち、今のおかしな世の中では、大人物も世に出て活躍すべき術がない。


「蝉の翼は重くして 大呂は輕く兎の毛より」
 世の逆転した価値判断。軽いものが重く、重いものが軽いという。
「蝉翼」は、蝉の羽、転じて、軽い・美しいさまのたとえ。「大呂」は、周代の大きな鐘の名。転じて、重いものの意。

「燕雀ひとり跋扈(はびこ)りて」
 小人物がひとり、のさばり蔓延っている。「燕雀」は、小人物の喩え。
 「雲に消えたる荒鷲の 羽音なき間を小雀の もゝさへづりのかしましさ」(明治41年「彌生ヶ岡の」3番)
 「大鵬翼若うして 燕雀獨り騒めけば」(野球部新部歌「嵐が丘に」1番)


「三槐あはれ光なく」
 「三槐」 周代、朝廷に植えた三本の(えんじゅ)の木。三公がこれに向かってすわったことから、三公をいう.。ここでは、「燕雀」(小人物)に対する貴人、立派な人物の意。

「萬里を翔る鴻鵠」
 鴻鵠は大人物のたとえ。
 荘子 逍遥遊篇 「鵬之徒於南冥也 水撃三千里 搏扶搖而上者九萬里」
世は妖雲に鎖されぬ 曲學阿世の(ともがら)が (まん)尾の毒を()き流し 黄河の水のそれならで 澄むべき時はいつなるぞ 起てよ健兒よ起てよ同胞(とも) 5番歌詞 世は大逆事件で妖しい雲におおわれたままだ。真実を曲げて時世におもねる学者等が、世に害毒をまき散らしている。常に黄色く濁っている黄河の水は、百年待っても清くならないというが、世の中がきれいに澄む時があるのだろうか。起てよ、健兒、起てよ、わが(ともがら)よ。

「世は妖雲に鎖されぬ」
 所謂「南北朝正閏問題」(後述)をいう。

「曲學阿世の(ともがら)が (まん)尾の毒を()き流し」
 「曲學阿世」は、眞理を曲げて、時世におもねる(世間に迎合する)こと。阿は、おもねる。
 史記 儒林伝 「無曲學以阿世」(キョクガクしてもって、よにおもねることなかれ)。
 美濃部達吉の「憲法講話」が明治45年3月1日に発刊され、上杉慎吉とのあいだに憲法論争が始まったのは、紀念祭の後であり、美濃部の天皇機関説が国体に反するとして糾弾されたのは、時代が下って、昭和10年のことである。
 「曲學阿世の輩」とは、歴史教育と歴史研究を国体論によって抑圧した第二次桂内閣、その桂内閣の責任を世論を背景に追及した犬養毅ら立憲国民党、穂積八束ら学者・文化人をいうと解する。
 喜田貞吉が執筆した明治44年1月の国定教科書「尋常小学日本歴史」が、当時の実証的な歴史研究に基づき南北朝並立の立場をとっていた。これを読売新聞が批判したのを発端に、野党の立憲国民党の犬養毅らが大逆事件と結びつけて(「今の天子」は南朝から三種の神器と帝位を奪った北朝の天子であるとの法廷での幸徳の主張をいう)、政府の責任を追及して、世論も沸騰した。野党の追及と世論に押され、時の桂首相は天皇に上奏して南朝を正統とし、文部省は2月27日に執筆者の喜田貞吉編修官を休職処分(喜田は職を辞した)にするとともに、南朝を”吉野の朝廷”と改めた(「南北朝正閏問題」)。なお、史料編纂掛主任兼東京帝大教授田中義成は、この後も南北朝並立論の立場を変えず、吉野朝の表記に反対した。
 「蠆尾の毒」の「蠆」は、さそりの一種。毒虫で、長い尾のものを(たい)といい、短い尾のものを(けつ)という。ルビは、昭和50年寮歌集で「たいび」と変更された。
 客観的であるべき学問にイデオロギー(国体論)を持ち込んだこと。明治維新に活躍した所謂”志士”(多くは政府の要職を占めた)は、南朝正統論であり、北朝の血を引く公家は当然に北朝正統論に立っていた。

「黄河の水のそれならで」
 常に黄色く濁っている黄河の水ではないが。「で」は、打消しの助詞。
 左伝 襄公8年「百年河清を俟つ」-黄河が澄むのを待っても、望の達せられないこと。
二十二年の其間 蛍を集め雪を積み 柏の蔭に培ひし 意氣を示さば忽に 魑魅魍魎の影消えて 東の空に月澄まん。 6番歌詞 二十二年の間、一高生は、理想の自治を求め、自治の礎を築き、強化してきた。向ヶ丘で培った自治を守るという高い意気を示せば、自治を邪魔する魑魅魍魎の魔群など、たちまちに退散する。魑魅魍魎が消えた夜空には、満月の月が東の空に出て、澄んだ光でこの世の闇を照らす。

「二十二年の其間」
 22年は寄宿寮開寮22年をいう。

「螢を集め雪を積み」
 辛苦して学問をすること。ここでは、理想の自治を求め自治の礎を築き、強化してきた。
蒙求 「孫康映雪 車胤聚螢」

「柏の蔭に培ひし」
 一高寄宿寮で培った。柏の葉は一高の武の象徴。柏の蔭は一高寄宿寮、あるいは向ヶ丘。
 「柏蔭に憩ひし男の子」(昭和12年「新墾の」3番)

「魑魅魍魎の影消えて」
 魑魅魍魎は、山の怪物や川の怪物。さまざまの化物。「魑」は虎の形をした山神、「魅」は猪頭人形の沢神、「魍魎」は、すだま、木石の精気から出る怪物。三歳くらいの幼児に似て、色は浅黒く、耳が長く目が赤くて、よく人の声を真似て人を騙すといわれる。ここでは、一高生の自治を邪魔する魔軍のことである。
 「魑魅魍魎も影ひそめ 金波銀波の海静か」(明治35年「嗚呼玉杯」5番)

「東の空に月澄まん」
 魑魅魍魎などの妖怪が出るのは闇夜である。その闇夜を満月の月が、光(真理)を照らして衆生の迷妄を破る。東の空に出た月は、ものの眞実の姿を照らす、所謂真如の月である。
                        

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