旧制第一高等学校寮歌解説

雲や紫

明治44年第21回紀念祭寄贈歌 福岡大

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1、雲や紫背振山       其(たてがみ)をふり別けて
  雨となりける夜半の空   晴れてあしたの眺かな
*「其」は昭和50年寮歌集で「其の」に変更。

3、白蛇ならびていや遠く   八重の潮路におどり入る
  猛き姿よ玄海の       千尋の底は闇にして
*「おどり入る」は昭和50年寮歌集で「をどり入る」に変更。

4、荒津の山の花曇      流れにさすや水馴棹
  散り來る櫻舟うけて     彌生が岡を思ふかな
原譜のイ長調はあまりにも高すぎる。五線譜に直す時に、1オクターブ低くすべきであったかも知れない。実際、この高い音程では寮生が歌うのは無理である。

イ長調からハ長調に移調したほかは、譜に変更はない。


語句の説明・解釈

明治44年、京都帝國大學福岡醫科大學は、前年に創設された九州帝國大學に併合されたが、紀念祭の時点では福岡醫科大學であったのだろう。翌年の紀念祭から九州帝國大學寄贈歌となる。

語句 箇所 説明・解釈
雲や紫背振山 其(たてがみ)をふり別けて 雨となりける夜半の空 晴れてあしたの眺かな 1番歌詞 その昔、紫雲棚引く背振山の嶽上に天竺の王子(あるいは弁財天女)が龍馬に乗って飛来した。その龍馬が背を振ったことから、この山は背振山と名づけられたという。その背振山に、龍神を呼ぶという紫色の雲がかかった。夜半、気が付くと、龍の背のタテガミを振り分けるように、尾根の左右に雨が降り出していた。明日の朝は、雨が上がって、背振山からいい眺めを楽しむことができたらいいなあ、と思う。

「雲や紫」
 紫雲はめでたい雲。霊山背振山に龍神を呼ぶ雨雲である。

「背振山」
 福岡県と佐賀県の境に位置する標高1055mの山。龍が背を振ったことからその名が付けられたという伝説がある。背振山の龍伝説には、天竺の王子の他に、弁財天女が百済から、乙護法師が天竺から飛龍に乗り天下ったとされる話もある。かっては山岳仏教が盛んであった。今は九州自然歩道の一部となっており、ハイキングや登山者が多い。一高同窓会「一高寮歌解説書」で、背振山を「筑紫の富士と呼ばれる。」とあるは、間違いである。

「雨となりける夜半の空」
 夜には雨が降り出していた。「ける」は、回想の助動詞「けり」の連体形。「そういう事態なんだと気が付いた」の意。

「其の鬣をふり別けて」
 龍の鬣をふり別けて。「鬣」は、尾根の左右に降る雨筋をタテガミに喩える。「ふり別け」(振り分け)は、童男・童女の髪形のことで、8歳頃まで髪を左右に振り分けて垂らし、肩のあたりで先を切り揃えた。タテガミは、童の髪形のように首筋で左右に分かれる。
 本寮歌は背振山縦走登山途中の渓流や滝の様子、尾根や眺望の名所唐人の舞などから鳥瞰する福岡平野、博多湾、そこを流れる那珂川や室見川の光景を詠ったものと解して、以下説明する。
霞がくれの瀧津瀬も 香蘭の水の清らかに 分かれて白し二條の 流れは野邊を下りて行く 2番歌詞 花崗岩の大岩の上を山頂から、白いしぶきを上げて激しく流れ落ちる渓流や滝は、水しぶきに煙っているが、蘭のように美しい清流である。大小の多くの渓流は、やがて那珂川と室見川の白い二つの流となって、福岡平野を蛇行しながら降りていく。

「瀧津瀬」
 水の激しく流れる瀬。滾つ瀬。背振山周辺で有名な滝としては、坊主ヶ滝、荒瀬の滝などがあるが、それ以外にも方々に花崗岩質の大岩の上を白いしぶきを上げて、迸るようにして流れる大小の渓流が見られる。

「香蘭の水」
 美しい渓流の流れ。「香」は、美しい意。

「分れて白し二條の 流れは野邊を下りていく」
 背振山系を南東に下りていく那珂川(後、流れを変えて北流)、一方、ほぼ北流して下りていくのは室見川。この二つの川は、背振山の尾根から鳥瞰すれば、白い二つの條となって福岡平野を蛇行しながら下りていく。
 前述のとおり、この年、福岡醫科大學は九州帝國大學工科大學と合併し、九州帝國大學醫科大學となった。「白し二條」、次節の「白蛇」は、二つの川の流れをいうと同時に、醫科大學と工科大學を暗に意味する。校舎の色は確かめようもないが、大正3年九州大學寄贈歌「まだうらわかき」2番には「白き校舎をまもりたつ」とある。
 「白し二條」そして次句の「白蛇ならびて」を二条の白線帽、また白蛇伝説と解する説もある。
 「『白蛇並びて』は、玄界灘にまつわる伝説によるか。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「一高の制帽または護国旗の『二条の白線』を指すと考える。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
白蛇ならびていや遠く  八重の潮路におどり入る 猛き姿よ玄海の 千尋の底は闇にして 3番歌詞 那珂川と室見川の二つの川は、二匹の白蛇が並んだように、延々と福岡平野を下って、それぞれ玄海の荒々しい海に注ぐ。なんと猛々しい姿であるか。玄海の海の底は、計り知れないほど深く、闇であるのに。すなわち、醫科大學と工科大学が統合して誕生した新しい九州帝國大學の前途には、どのような困難が待ち受けているかもしれないが、新帝国大学は、玄海の荒波に向け勇ましく船出した。

「白蛇ならびていや遠く 八重の潮路にをどり入る」
 背振山系に水源をもつ那珂川と室見川の二つの川は、延々と福岡平野を下って、それぞれ玄海の荒々しい海に注ぐ。「白蛇」は、那珂川と室見川の流れ。同時にこの年、合併した醫科大學と工科大學を暗喩する。
 「『白蛇ならびて』も、・・・『二条の白線』を指し、一高の卒業生が勇んで大学(九大)に進学するさまを『いや遠く八重の潮路にをどり入る猛き姿』に喩えているのではないか。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「玄海の千尋の底は闇にして」
 玄海の海の底は、計り知れないほど深く、暗い。具体的には、新設の九州帝國大學の前途には、どのような困難が待ち受けているかもしれないが。
荒津の山の花曇 流れにさすや水馴棹 散り來る櫻舟うけて 彌生が岡を思ふかな 4番歌詞 大堀(現大濠公園)に舟を浮かべ、花曇りに煙った満開の荒津の山の桜を見る。桜の花びらが一片風に吹かれ、我が舟に落ちた。その花びらを見て、彌生が岡の桜は咲いただろうかと、故郷のことを懐かしく思い出す。

「荒津の山の花曇」
 櫻の名所荒津の山の花曇。荒津の山は現在の福岡市西公園。日本さくらの名所100選に入る桜の名所。明治18年に桜・モミジを植栽とあるから、この頃は見ごろになっていたのだろう。「花曇」は、桜の咲く季節に空一面が薄ぼんやりと曇り、景色などが煙って、のどかに見えること。西公園上には黒田如水・長政親子を祀る光雲神社がある。

「水馴棹」
 水底にさして、船を進める竿。現在の大濠公園(昭和4年に開園、この頃は博多湾の入海で、福岡城の大堀のまま)辺りに船を浮かべ、荒津の山の花見をしたのであろう。

「彌生が岡」
 一高は昭和10年駒場に移転するまで本郷区向ヶ丘彌生町にあった。
                        
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