旧制第一高等学校寮歌解説

雪こそよけれ

明治44年第21回紀念祭寄贈歌 京大

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1、雲こそよけれ此の(さと)は    北山つヾき常冬(とこふゆ)
  白絹(しらぎぬ)ひきて丈夫(ますらを)が       清き心をつゝむなり

2、雪消(ゆきげ)の水のよどみなく     ながれて()まぬ加茂川や
  流轉(るてん)の色を瞻(まも)りつゝ      かの北嶺を仰ぐかな

4、友呼ぶ聲の聞こえけむ    今日歸り()し紀念祭
  ゆかしき園ゆ東風(こち)吹かば   梅の(かをり)をつたへかし
昭和10年寮歌集で、1段2小節に2箇所、2段2小節に2箇所それぞれスラーを付けたのみで、譜の変更はないといっていい。
この寮歌は、初めと終わりの小節が不完全小節の弱起(アウフタクト)の曲である。


語句の説明・解釈

菅原道真の『東風吹かば匂ひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ』は、道真が京都を離れる時に作った歌である。明治45年九大寄贈歌「筑紫の富士に」の引用が余りに有名であるが、本寮歌はその前年に京都大学から寄贈された。

語句 箇所 説明・解釈
雲こそよけれ此の(さと)は 北山つヾき常冬(とこふゆ)の 白絹(しらぎぬ)ひきて丈夫(ますらを)が 清き心をつゝむなり 1番歌詞 昔、宇多天皇が夏に雪景色が見たいと言って、京都・北山の衣笠山に白絹を山にかけ渡させたという。衣笠山にかけ渡したという真白な白絹が、一高で培った私の清い心を包み守ってくれる。

「雪こそよけれ此の郷は」
 昔、宇多天皇が夏に雪景色が見たいといって、北山の衣笠山に白絹を山にかけ渡させたという言い伝えを踏まえる。

「北山つゞき常冬の白絹ひきて丈夫が 清き心をつゝむなり」
 「北山」は、京都北方の船岡山・衣笠山・岩倉山などの諸山の総称。宇多天皇が白衣をかけ渡させたとの伝えのある山は衣笠山。「白絹ひきて丈夫が清き心をつゝむなり」は、京都に来ても、宇多天皇が北山にかけ渡したという真っ白な白絹が一高で培った清き心を包み守ってくれる。
 「清き心の益良雄が」(明治35年「嗚呼玉杯に」2番)
雪消(ゆきげ)の水のよどみなく  ながれて()まぬ加茂川や  流轉(るてん)の色を(まも)りつゝ かの北嶺を仰ぐかな 2番歌詞 北山の雪解け水は、雲ヶ畑附近から加茂川となって京都の街をとうとうと流れ下る。加茂川の流れを眺めていると、鴨長明が方丈記に書いているように、流れる川の水は同じように見えて、しかも同じでない。絶えず変化している。しかし、自分は、何時までも、一高の時の清い心でいたいと、あの北山を仰いで思うのである。

「加茂川」
 京都市街東部を貫流する川。京都・北山の雲ヶ畑附近(桟敷ヶ嶽とも)に源を発し、高野川を合せて南流し(合流点から下流を鴨川と書く)、桂川に合流する。

「流轉の色を(まも)りつゝ」
 鴨長明が方丈記でいったように、川の流れは、同じように見えて、しかも、もとの水ではない。世の中のものは全て常というものはなく、移り変わる。加茂川の流れを眺めていると、つくづくそう思う。「瞻る」は、見る、眺める。
 鴨長明 方丈記 「ゆく川のながれは絶えずして、しかももとの水にあらず。」

「かの北嶺を仰ぐかな」
 「かの北嶺」は、一般的に南山(高野山)に対し比叡山(一高同窓会「一高寮歌解説書」)をいうが、ここでは京都の北に連なる山々「北山」、特に、前述の宇多天皇の白絹伝説をもつ衣笠山と解したい。何時までも、北山の「白絹をひきて清き心をつつんでいたい」と思うのである。
彌生が岡の朝夕に 友と學びしみ教えも 別れて今は西東(にしひがし) 語りかはさん由も無し 3番歌詞 彌生が岡で恩師から一緒に学んだ友も、今は各地の帝大に進学して西に東に離ればなれになったので、昔のように語り合うことも出来ない。

「彌生が岡」
 本郷一高は、本郷区向ヶ丘彌生町にあった。向ヶ丘と同じ意味に使う。

「友と學びしみ教え」
 四綱領ではなく、恩師の教え一般と解したい。

「わかれて今は西東」
 一高を卒業すると、それぞれ全国の帝大(東大・京大・東北大・九大)に進学する。
友呼ぶ聲の聞こえけむ  今日(けふ)歸り()し紀念祭 ゆかしき園ゆ東風(こち)吹かば 梅の(かをり)をつたへかし 4番歌詞 懐かしい友の呼ぶ声が聞こえて来たようだ。今年もまた、紀念祭が廻って来た。しかし、自分は京都にいて紀念祭には行くことが出来ない。東風が吹けば、懐かしい向ヶ丘から梅の香を風にのせて、京都の私のところに運んできて欲しい。

「聞こえけむ」
 「けむ」は、過去の事態に関する不確実な想像・推量を表す。従って、「聞こえて来たようだった」と訳すべきところ、ここでは「聞こえて来たようだ」と今も聞こえている意と解した。

「今日歸り來し紀念祭」
 紀念祭が今日帰ってきた。紀念祭がまた今年も巡って来た。

「ゆかしき園ゆ東風吹かば 梅の香をつたへかし」
 東風が吹いたら、懐かしい向ヶ丘から梅の香を風にのせて京都の私のところへ運んできて欲しい。梅の香は本郷向ヶ丘の香であり、自治寮の香、友垣を結んだ花の香である。
 「ゆかしき園ゆ」は、向ヶ丘から。「ゆかしき」は、見たい、行きたい。「ゆ」は、起点をいう。・・・から。
 「春や昔の花の香に 結び置きけん友垣や」(明治44年「仇浪騒ぐ」1番)
 「高き啓示ぞ梅の花 花さく迄はちりだもいとふ 向陵三とせ千餘人 蕾に清き友垣の」(明治40年「思ふ昔の」5番)
 菅原道真 「東風吹かば匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春な忘れそ」(初出の拾遺1006では、「春をわするな」)
                        


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