旧制第一高等学校寮歌解説

雲巻き雲舒ぶ

明治44年第21回紀念祭寄贈歌 東大

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1、雲()き雲()ぶ天外に    朝暉夕陰(てうきゆういん)變れども
  榮辱(えいじょく)胸に留らねば      石上樂しむ碁一局(ごいっきょく)
  清泉綠卉(せいせんりょくき)美しき       (おか)の昔を思ふかな

2、疎竹(そちく)を渡る風の音      やがて過ぐれば聲()めず
  遠く(へだ)てゝ此の日頃     思ひ(ばか)りぞ(かけ)りたり
  歸へる故郷(こけふ)の窓の()に   躍る心を知るや君

4、花散りかゝる春の夜の    心の春の燭火(ともしび)
  (あか)(おもて)を照しつゝ      談り明さんこの一夜(ひとよ)
  胸の歌草秘(うたぐさひ)むなかれ    君と我とのなかなれば
5段4小節の音符は付点8分音符であったが、誤植と判断し、付点4分音符に訂正した

譜の変更は1箇所、4段3・4小節の「ごーいっきょ く」の「いっきょ く」。大正14年寮歌集で、「ラード ソーー」に、昭和10年寮歌集で、これを1オクターブ低く改めた。その他スラー・タイ(5箇所)は省略。


語句の説明・解釈

一高寮歌で「囲碁」が出てくるのは、この寮歌だけである。ただし、「石上樂しむ碁一局」は、典拠「神仙傳」の「博奕」を「囲碁」に置き換えたものであるという。

語句 箇所 説明・解釈
()き雲()ぶ天外に 朝暉夕陰(てうきゆういん)變れども 榮辱(えいじょく)胸に留らねば 石上樂しむ碁一局(ごいっきょく) 清泉綠卉(せいせんりょくき)美しき (おか)の昔を思ふかな 1番歌詞 天高く雲を巻いたり、伸ばしたり、すなわち空が晴れたり曇ったり、朝日の光が射す朝から夕暮れまで、辺りの様子が変っていくが、名誉とか恥辱など世俗のことに無頓着な自分は、一日中、ゆったりと石の上で碁を楽しむ。清い泉と緑の草の美しい向ヶ丘で過ごした日々が懐かしい。

「雲巻き雲舒ぶ」
 雲が太陽に絡まったり、広がったりすること、すなわち空が曇ったり晴れたりすること。巻は集める、軸にからみつく。舒はのびひろがること。

「天外」
 天の外。きわめて高い、また遠いところ。

朝暉夕陰(ちょうきゆういん)」
 朝と夕。「朝暉」は、朝日の光。暉は日光。「夕陰」は、ゆうぐれ。日暮れどきのくらやみ。

「栄辱胸に留まねば」
 名誉とか恥辱など世俗的なことに無頓着なので。

「清泉綠卉」
 清い泉と緑の草。

「丘の昔」
 向陵で過ごした昔のこと。一高は全寮制で、高校生活三年を向ヶ丘の寄宿寮で過ごした。
疎竹(そちく)を渡る風の音 やがて過ぐれば聲()めず 遠く(へだ)てゝ此の日頃 思ひ(ばか)りぞ(かけ)りたり 歸へる故郷(こけふ)の窓の()に  躍る心を知るや君 2番歌詞 疎らに生えた竹藪を渡る一陣の風の音、やがて風が通り過ぎるとざわめきは止み静かとなる。遠く離れているので、紀念祭近くとなった今は、故郷の向ヶ丘に帰りたい気持ちにかられる。紀念祭で帰る一高寄宿寮の窓辺の灯を遠く眺めては、待ちどおしくて心を躍らせている自分を君は知っているだろうか。

「遠く隔てゝ」
 本郷・一高と東大は隣接、言問い通り一本隔てるのみである。ここは心理的な距離をいう。

「歸へる故郷の窓の燭に 躍る心を知るや君」
 帰る一高寄宿寮の窓辺の灯を遠く眺めては、心を躍らせている自分を君は知っているだろうか。
(かほ)りゆかしき橄欖の 若葉さゆらぐ花のかげ さまよひ歌ふ一曲は 素琴弦無(そきんつるな)調(しらべ)あり あゝ(すさま)じき世を外に 月傾きぬ花の宴 3番歌詞 懐かしい香りを放って橄欖の若葉が風にそよぐ一高寄宿寮。向ヶ丘をさ迷い歩いて、寮歌を歌うと、弦も飾りもない心の琴が調べを奏でる。世間では、大逆事件の幸徳秋水らが死刑になって、荒んだ世相となっているが、世間と隔離された別天地の向ヶ丘では、月が西の空に沈もうとする夜明けまで紀念祭を楽しんでいる。


「薫りゆかしき橄欖の 若葉さゆらぐ花のかげ」
 「ゆかしき」は、逢いたい見たい行ってみたいの意。「橄欖」は一高の文の象徴。「花のかげ」は、仮寝の場所、すなわち寄宿寮。
 平忠度 「行き暮れて木の下蔭を宿とせば 花や今宵のあるじならまし」

「素琴弦無く調あり」
 心の琴を奏でているのであろう。素琴は、飾りのない白木のままの琴。現代流にいえば、エアー・ギターを静かに奏でるということ。

「あゝ慘じき世を外に」
 「慘じき」は、殺風景な、さめた、恐怖でぞっとする意。幸徳秋水らが死刑になった大逆事件を踏まえる。「外に」は、世間と隔離された別天地の向ヶ丘では。
 明治44年1月18日 大審院、大逆事件の被告24人に死刑判決。
          24日 幸徳秋水ら11人死刑執行。

「月傾きぬ花の宴」
 月が西の空に沈もうとする夜明けまで楽しむ紀念祭。
花散りかゝる春の夜の  心の春の燭火(ともしび)に (あか)(おもて)を照しつゝ 談り明さんこの一夜(ひとよ) 胸の歌草秘(うたぐさひ)むなかれ 君と我とのなかなれば 4番歌詞 桜の花が散りかかる春の夜に、青春の火と燃える血潮で、頬紅の顔をさらに赤く染めながら、紀念祭の一夜を語り明かそう。君と我との仲なではないか、胸にしまっているいろいろな思いを聞かせてくれ。

「心の春の燭火」
 青春の火と燃える血潮。

「胸の歌草」
 胸にしまっているいろいろな思い。「歌草」の意を広く解した。
 「歌の草稿、詩稿、歌を書きとめたノート」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
高き理想を忘れずに 清き心は白糸の (まこと)(こゝろ)友の(じやう) 織り出したる護國旗に (あした)の風の(おと)なへば 又も別れとなるなれば 5番歌詞 高い理想を忘れずに、まだ染めていない白糸のように清い心と誠の心で結びついた熱き友情で織り成した唐紅の護國旗。その護國旗が朝の風にはためいて音を立てれば、名残は尽きないが、紀念祭も終わったので、向ヶ丘と別れなければならない。
「護國旗」
 一高の校旗。護国は一高の建学精神である。唐紅のたぎる血潮の火と燃える校旗である。

「音なへば」
 音がするので。

「又も別れとなるなれば」
 久しぶりに訪れた向ヶ丘に名残は尽きないが、朝となったので、もう去らねばならないの意。
                        


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