旧制第一高等学校寮歌解説

光まばゆき

明治44年第21回紀念祭寮歌 朶寮

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1、光まばゆき春なれど      道ゆく人の面を見よ
  あはき憂の身にしみて     旅の疲れに辿りゆく
  思へば若き命こそ        我等がつきぬ誇なれ

3、夜六寮に灯は消えて      星影靑くまたゝけど
  思はおなじあひよりて      こゝろごゝろにくみかはし
  胸にあふるゝ感激の       涙は頬を傳ふかな

4、三年の春は過ぎ易し       花くれなゐの(かんばせ)
  いま別れてはいつか見む    この世の旅は長けれど
  橄欖の花散る下に        再び語ることやある

6段3小節2音ドは、平成16年寮歌集原譜では1オクターブ高いが、大正7年寮歌集も低いドなので、そのままとした(恐らく誤植)。拍子は4分の3となっていたが、明らかに誤記であるので、4分の2と表記した(大正14年寮歌集で訂正)。強弱記号は、昭和10年寮歌集で削除された

昭和10年寮歌集で、譜は大幅に変わった。譜全体の音を3度下げ(例えばドをラに、ミをドに、ソをミに。和音でいえばドミソをラドミに)、ハ長調をイ短調に移調し、また実際に歌われているようにメロディーを改めた。主な変更箇所は次のとおりである。

原則として3度下げた現在の譜に合わせて説明する。( )内は3度下げない原譜の音。スラーの変更は省略。
1、「まばゆき」(1段2小節) 大正14年寮歌集で「ファーラ(ラード)」に変更。
2、「みちゆく」(2段1小節) 昭和10年寮歌集で「ミーミミーミ」に変更、しかし平成16年寮歌集で原譜の「ファーミファーミ(ラーソラーソ)に戻った。」
3、「ひとの」(2段2小節)  昭和10年寮歌集で「ドードミー(ミーミソー)」に変更。
4、「うれいの」(3段2小節) 昭和10年寮歌集で「ドードミーミ(ミーミソーソ)」に変更。
5、「たーびの」(4段1小節) 昭和10年寮歌集で「シーラファーラ(レードラード)」に変更。
6、「つかれに」(4段2小節) 大正14年寮歌集で「ミーミミーラ(ソーソソード)」に変更したが、昭和10年寮歌集で原譜の「ミーミミーミ(ソーソソーソ)」に戻った。
7、「おもへば」(5段1小節) 昭和10年寮歌集で「ドーシラード(ミーレドーミ)」に変更。
8、「われらが つきぬ ほこりな れ」(6段全小節) 昭和10年寮歌集で「ミーミファーファ ミーミラー ラーシドード シー(ソーソラーラ ソーソドー ドーレミーミ レー) 

 最終小節はどちらかというと一律に3度下げず、原譜「ラードレード ドー」から現譜「ラーシドード シー」とメロディーを変えるに留めている。そのため、「ほこりなれ」は、相対的により高音となり、サビ部分として一層の盛り上がりを演出することが出来た。その他、「みちゆくひとの」の「ひと」、および「われらがつきぬ」の「つき」をタタのリズムからタータのリズム(連続8分音符を付点8分音符と16分音符)に変え、曲全体をタータのリズムに統一した。曲の抒情性がこの部分で途切れることなく、継続してスムーズに流れるようになった。
 以上、基本的に音を3度下げて短調のメロディーに変えること等により、この寮歌は歌詞にふさわしく極めて感傷的で悲壮感溢れる曲となった。これも寮生がこの歌を上手に歌い崩した結果であろう。


語句の説明・解釈

この寮歌(あるいは「仇浪騒ぐ」)と三高を代表する寮歌「行春哀歌」の関係をご存じであろうか。曲(「思へば遠し」)の他に歌詞の上でも、関係深い。少し長いが、三高「神陵史」から関係個所を抜粋紹介する。
 「(一高を退学し、三高に再入学した)鯖瀬が、大正二年の終わりごろ、矢野(行春哀歌の作詞者)に、『一高では、玉杯を放歌高吟するかたわら、柳沢 健(「光まばゆき」の作詞者)の『友のうれひにわれはなき』に始まる感傷的な歌を微吟するのが例になっているが、君もひとつ、あのようなものを書いてみてはどうか』と勧めた。・・・矢野は、意気昂然の歌のほかに、『青春の去りゆくを惜しむ、哀調を奏でた一曲があってもよさそうに思われたので』、鯖瀬の進めを容れて、作詞にとりかかった。」

 「友のうれいひにわれはなき」は「仇浪騒ぐ」の歌詞で柳沢 健の作詞ではないが、「光まばゆき」や「仇浪騒ぐ」の一高寮歌が三高「行春哀歌」誕生のきっかけとなったことは確かである。護国調の「嗚呼玉杯」から友情をテーマにした「仇浪騒ぐ」へ、さらに「光まばゆき」で極致にまで高められた抒情哀調の調は、やがて来る大正ロマンの潮にのって、全国の旧制高校寮歌へと広がっていった。

語句 箇所 説明・解釈
光まばゆき春なれど 道ゆく人の面を見よ あはき憂の身にしみて 旅の疲れに辿りゆく 思へば若き命こそ 我等がつきぬ誇なれ 1番歌詞 暖かい光がまばゆい春となったが、人生の旅を行く一高生の顔を見て見よ。淡い憂が身に染みついて、どこまで行っても解き得ぬ真理探究の旅に疲れ切っている。それでも、なお真理を探究し続ける若い命こそ、我等一高生の誇りである。

「道ゆく人」
 一高生。人生の旅の途中、3年の間、向陵に起伏して、真理の追究と人間修養に励む。その旅の途中の道行きである。

「旅の疲れ」
 理の追究と人間修養に励む。その旅の疲れである。

「若き命」
 若さ。青春。具体的には、真理を探究する若き情熱、力、エネルギー。
夕暮の星輝けば 六寮にてる燈火に かゞやく瞳うるませて 友も歌へば我も和し 若き命のよろこびは この唇にあふるかな 2番歌詞 日が暮れて、夜空に宵の明星が輝く頃、六つの一高寄宿寮に燈火がともる。その燈火に潤んだ目を輝かせて、友が寮歌を歌えば、それに合わせて我も一緒に歌う。寄宿寮での青春の喜びは、友と寮歌を歌うこの唇に溢れている。

「夕暮の星」
 宵の明星。

「六寮にてる燈火に」
 当時の一寄宿寮は、東・西・南・北・中・朶の六寮あった。
夜六寮に灯は消えて 星影靑くまたゝけど 思はおなじあひよりて こゝろごゝろにくみかはし  胸にあふるゝ感激の 涙は頬を傳ふかな 3番歌詞 消灯時間がきて六寮の灯は消えた。ほの暗い星の光をたよりに、誘うともなく友と窓辺に相寄りそい、同じ思いに心と心を通い合わせ、語り合う。感激が胸にこみあげ、涙は頬を伝うのである。

「星影青くまたゝけど」
 消灯時間も過ぎて、ほのぐらい星の光をたよりに窓辺に寄り添ったのであろう。「青く」は夜の色。ほの暗くと訳した。

「こゝろごゝろにくみかはし」
 心と心をかよいあわせ、語り合い。酒を酌み交すのではない。
三年の春は過ぎ易し 花くれなゐの(かんばせ)も いま別れてはいつか見む この世の旅は長けれど 橄欖の花散る下に 再び語ることやある 4番歌詞 向ヶ丘の三年は、あっという間に過ぎ去ってしまう。桜花のように頬紅の若々しい顔も、今別れては、何時また、会うことがあるだろうか。この世の人生は、まだまだ長いが、橄欖の花散る懐かしい向ヶ丘で、再び語ることが出来るだろうか。是非、そうありたいものだ。

「三年の春は過ぎ易し」
 (夢のように楽しい)向陵の3年は、あっという間に過ぎてしまう。
 「三年の春は過ぎ易く 再びめぐり來るなし」(姫路高「花に醉へるか」6番)

「花くれなゐの顔も」
 頬くれないに輝いた若々しい顔。

「橄欖の花散る下に 再び語ることやある」
 この懐かしい向陵で、再び会って語り合うことができるだろうか。是非、そうありたい。橄欖は一高の文の象徴。
丘の若草香にいでゝ うす紅にけぶりけり しらべもきよくうら若き 思を抱く友と友 あかく輝く自治燈の 光うれしき今宵かな 5番歌詞 向ヶ丘の若草が色美しく萌え出でて、うす紅色にぼうっと霞んで見える。その若草のように、うら若く、清い心を持った友と友が集まって、紅く輝く自治燈の光もうれしい紀念祭を祝う今宵である。

「うす紅にけぶりけり」
 「けぶり」は、ほのかに芽を吹く。ほんのりと匂いやかに見える。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
井上司朗大先輩 青春のよろこびと誇りとを担う若い命が相集って共に語り共にうたう三年の寮生活の感激を表現してあます処がない。特に第一節の末尾二行から始まり、第二節の寮生活の華やかな夕暮、第三節の消灯後の窓から星を仰いでの寮友との人生物語り等、眼に見えるようだが、特に第四節の『三年の春はすぎ易し 花くれないの顔も いま別れてはいつか見む この世の旅は長けれど、橄欖の花散る下に 再び語ることやある』の章は、寮歌の青春性をたたえた永遠性をもっている。 第五節も高い詩的表現で、終止形にした第二行をうけた清冽な第三行など甚だ効果的である。私達がこの純美な寮生活の抒情詩に始めて接した時の感動は、今も忘れることができない。吾々はこの寮歌によって、改めて寮生活の一つの意義を知らされる思いであった。 「一高寮歌私観」から
園部達郎大先輩 『解説』(一高寮歌解説書)は『仇浪騒ぐ』を『友情を主軸とした青春の哀歓で一貫しており』とし、更に『本寮歌は終始涙もろい感傷性をもって一貫している」と述べてをり、そのとおりだが、柳沢健さん(明44)の抒情さもあるが、僅か四年の歳月が、早や大正ロマンシズムを開花させたような驚きを感じさせる。殊に、三番の『三年の春は過ぎ易し・・・』を静かに歌い出ると、今でも、寮窓を想い、若くして散った友を想い『再び語ること』なき友に語りかけるのである。 「寮歌こぼればなし」から


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