旧制第一高等学校寮歌解説

八島を洗ふ

明治44年第21回紀念祭寮歌 中寮

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、八島を洗ふ南海の    (うしほ)も凍る二月(きさらぎ)
  ()まひしかねつ冬籠り  夢酣の野や山に
  音飄々と高鳴(たかな)りて     向が陵の春の風
 
2、曇れば(まん)字に雲しとヾ   霽るれば霜に冱え返る
  空しき(あま)の戸に映えて   彩なす色を(なつか)しみ
  あくがれ來ればさきくらに 向が陵の春の花

*「雲しとヾ」は平成16年寮歌集で「しどろ」に変更。
譜は全く変更なし。原譜のまま、現在に至っている。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
八島を洗ふ南海の (うしほ)も凍る二月(きさらぎ)よ ()まひしかねつ冬籠り 夢酣の野や山に 音飄々と高鳴(たかな)りて 向が陵の春の風 1番歌詞 日本列島の太平洋岸をを南から北上する暖かい黒潮も凍ってしまいそうな二月の寒さよ。野の草や、山の木は、この厳しい寒さのために、芽も出ず、花芽も付けることが出来ず、冬ごもりのままだ。向ヶ丘には、ピュウピュウと高い音を立てて、冷たい春の強い風が吹き荒れている。
すなわち、具体的には、大逆事件で幸徳秋水らに死刑の判決が出て、死刑が執行された。2月1日、徳富蘆花を一高に招いて「謀反論」と題する講演会を開いた。徳富蘆花は、幸徳秋水の処刑を批判したが、これが「畏れ多くも皇室に對して不敬の言あり」として問題となり、新渡戸校長、畔柳辯論部長が文部省から譴責処分を受けた。

「八島」
 多くの島の意で、日本の国。

「南海の潮も凍る二月よ」
 弁論部が招いた徳富蘆花は、「謀反論」と題する講演で、大逆事件の幸徳秋水らが死刑になったことを批判した。そのため新渡戸校長らが文部省から問責され譴責処分となったことをいう。「南海の潮」は、日本列島の太平洋岸を北上する黒潮と解す。

 明治44年1月18日 大審院、大逆事件の被告24人に死刑判決。
          24日 幸徳ら11人の死刑執行。
              大逆事件の死刑執行に対し各国社会主義者による抗議集中。
         2月1日 徳富蘆花、弁論部の大会で「謀反論」と題して講演、幸徳秋水
              らの処刑を批判。第一教場に溢れた聴衆は、深く感銘。
              直ちに文部省に伝わり物議をかもす。
         2月8日 新渡戸校長と弁論部長畔柳都太郎教授、譴責処分。
 「辯論部は2月1日徳富健次郎氏を請ひ來りて演説会を開けり。氏は『謀反論』なる題の下に過般死刑に處せられし幸徳秋水等を論じ、政府の處置を攻撃し遂に畏れ多くも皇室に對して不敬の言あり。校長は此席に非りき。此事早くも黨局耳に達し校長文部省に招致せらる。3日校長は生徒を倫理講堂に集めて諄々諭す所あり。『身を以て責任を負ふべし、諸子乞ふ意を安んじて學業に就かれよ』と結ばる。事辯論部に属すと雖も委員の意安からず。委員は校長を訪ひて責を先生に及ぼしたる寮生の罪を謝し、併せて一千の寮生は思想上何らの影響を受けざりしを述べて安心を請へり。更に小松原文部大臣を其官邸に訪ひ、事件の顛末を述べて罪を謝し、又感化を受けざりしを述べ更に斯る事件の爲めに良校長を失ふなからんことを請へり。越えて8日校長及畔柳辯論部長は單に譴責に處せられて此問題は落着を告げたり。」(明治44年「向陵誌」)
 「・・・『謀反論』と題して水も洩さぬ大演説をなし、窓にすがり壇上辯士の後方にまで踞座せる満場の聽衆をして咳嗽一つ發せしめず、演説終りて數秒始めて迅雷の如き拍手第一教場の薄暗を破りぬ。吾人未だ嘗て斯の如き雄辯を聞かず。」(同「辯論部部史」)

「笑まひしかねつ冬籠り」
 「笑ふ」は、比喩的に、普通は蕾が開くことであるが、冬籠りとあるので、若葉を芽吹いたり、花芽を付けることが出来ないままでいると解した。具体的には、新渡戸校長が文部省から責任を問われ、寮生は、とても浮かれた春の気分になれないことをいう。
 「春になったことを悦び笑うにはまだ至らない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「夢酣の野や山に」
 暖かい春が来ないので、冬眠から目覚めることが出来ず、ぐっすり眠っている野や山をいう。
曇れば(まん)字に雲しとヾ 霽るれば霜に冱え返る 空しき(あま)の戸に映えて 彩なす色を(なつか)しみ あくがれ來ればさきくらに 向が陵の春の花 2番歌詞 曇れば縦横に雨が降りしきり、びしょ濡れとなる。雨が晴れると、霜となって冷えわたるが、澄み渡った大空には、七色の鮮やかな虹がかかる。この虹の綺麗な色を懐かしく思い出し、向ヶ丘の草木は春に目覚め、競って春の花をつけるのである。
 すなわち、徳富蘆花の「謀反論」講演事件(雲しとヾ)に対する新渡戸校長らの処分(霜)は、譴責と軽くすみ、一件落着した。寮生(春の花)に笑みがもどり、紀念祭に向け争って準備を始めるのである。

「卍字に雲しとゞ」
 縦横に雨が降りしきり。「卍字」は、縦横に入り乱れる。「雲しとヾ」は、雨降り。しとヾは、ひどく濡れるさま。徳富蘆花の「謀反論」講演事件をいう。平成16年寮歌集の「雲しどろ」は誤植であろう。それ以前の寮歌集(大正10年、大正14年、昭和10年、昭和50年など全ての寮歌集は「雲しとヾ」である。かつそれで意味が通じる。

「霽るれば霜に冴え返る」
 雨が晴れると、霜となって冷えわたる。「霽」は晴。「冴」は寒い、さえわたる。「謀反論」講演事件が一件落着し(霽)、新渡戸校長に処分(霜)が下った。

「空しき天の戸に映えて 彩なす色」
 大空にかかる虹の鮮やかな色を懐かしく思い出し、向ヶ丘の草木は春に目覚め、競って春の花をつけるのである。「空しき天の戸」は天と地との間のむなしいところ。大空、虚空。「彩なす色」は、七色の虹。校長らの処分が軽くすみ、前途に希望(虹)が湧き、笑みが戻った寮生(春の花)は、紀念祭に向け、一斉に準備にかかるのである。
 「雲のさまざまな彩りが、天に通ずる戸のように見える、というのであろう。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「さきくらに」
 先をあらそって咲く。笑みが戻った寮生は、一斉に紀念祭の準備にかかるのである。
春の(さきがけ)なす者は 何に譬へむ南より 北より注ぐ美酒(うまざけ)の (かめ)に契を汲み(かは)し 燃ゆる息吹(いぶき)に空呼べば 虹散亂(さんらん)の眺かな 3番歌詞 都に春を告げる紀念祭を祝う一高生は、何に喩えたらいいのだろうか。春告鳥の鶯のようだ。日本各地から集まった秀才たちが酒を酌み交し、友の契りを結ぶ。熱き青春の感激に、空に向かって、大きな声で叫べば、七色の虹が奇麗に見える。

「春の魁なす者は」
 春一番に紀念祭を祝う者は。都に春を告げる紀念祭を祝う一高生は。

「何に譬へむ」
 何に譬えようか。春告鳥の鶯を暗喩するか。
 古今14「鶯の谷より出づる声なくは 春 来ることを誰か知らまし」
 
「南より北より注ぐ」
 日本各地から来た一高生が注ぐの意。(地酒を持ち寄ってなら、なおよし)
 「あゝ東よりはた西ゆ 柏の森に集ひ來て」(大正6年「櫻眞白く」3番)

「美酒の甕に契を汲み交わし」
 酒を酌み交わし、友の契りを結ぶ。

「燃ゆる息吹に空呼べば」
 熱き青春の感激に空に向かって大きな声で叫べば。

「虹散亂の眺めかな」
 七色の虹が奇麗に見える。「散亂」は、この場合は「燦爛」の意。虹は、大気中に浮遊している水滴に日光があたり光の分散が生じたもの。虹の散乱の様子が見える、すなわち七色の虹が奇麗に見えるの意であろう。
 
眞如の月の隈もなく 有象(うしやう)を照らす久方は 高きに進む我が心 棚引く雲の安らけく 外山にかゝる野末やも  博きに及ふ我が(なさけ) 4番歌詞 名月の月は、隈もなく形あるものを照らしだして真実の姿を見せてくれる。智惠を働かせ真理を探究して、高い境地に進むのが我が希望である。野の端の山に薄く横に長く引いて漂っている、ゆったりとした雲のように、我が情は、ゆったりとして広い。

「眞如の月の隈もなく 有象を照らす久方は」
 名月の月は、隈もなく形あるものを照らしだして真実の姿を見せてくれる、その月は。
 「真如」とは、ものの真実の姿。真如の理が衆生の迷妄をやぶることを、名月が夜の闇を照らすのにたとえていう。「久方」とは、日・月・曇・都などの称。

「棚引く雲」
 薄く横に長く引いて漂っている雲。

「外山にかかる野末やも」
 野の端の山。「外山」は、人里に近い山。端の山。深山に対する。
 古今1077「深山にはあられ降るらしとやまなる まさ木のかづら色づきにけり」
(なさけ)と智惠とを身に占めて 歩めばさわれ岩が根に 後れ先つ憾あり おどろの下も百錬の 劍の霜を拂ひなば 誰か(はゞ)まむ我が行手 5番歌詞 長い人生の中には、大きな困難にぶち当たることもあろう。その時、身に持った「情」と「智惠」のどちらを重んじて解決を図るべきか、よく考えて対処しないと後悔を残すことになる。草木のひどく生い茂ったようなところは、百錬の剣を抜き放てば、すなわち、日頃鍛えた尚武の心を奮い立たせれば、誰が我が行く手を阻む者などいようか。

「情と智惠とを身に占めて 歩めばさわれ岩が根に 後れ先つ憾あり」
 長い人生の中には、大きな困難にぶち当たることもあろう。その時、身に持った情と智惠のどちらを重んじて解決を図るべきか、よく考えて対処しないと後悔を残すことになる。
 「岩が根」は、土の中深く根を張った大岩。障害物、困難の意。
 「歩めば」は昭和10年寮歌集で「歩まば」に、「さわれ」は昭和50年寮歌集で「さはれ」に変更された。「先つ」は昭和10年寮歌集で「先だつ」に変更された。
 夏目漱石 草枕に働けばかどが立つ。じょうさおさせば流される。意地をとおせば窮屈きゅうくつだ。とかくに人の世は住みにくい。」
 大学 「知先後、則近道矣。」(何を先にし、何を後にすべきか知ることが大切である)

「百錬の劍の霜を拂ひなば 誰か徂まむ我が行手」
 よく鍛えた剣を抜き放てば、誰が我が行く手を阻もうとするのか。誰もいない。「百錬」は、幾回となく錬り鍛えた。「劍の霜を拂ふ」は、キラリと剣を抜き放つ。「徂まむ」は昭和50年寮歌集で「阻まむ」に変更された。
 「行途を拒むものあらば 斬りて捨つるに何かある 破邪の劍を抜き持ちて」(明治35年「嗚呼玉杯に」5番)
あゝ穹窿に風きほひ 海潮音(かいちゃうおん)(とヾろき)や 今ぞ時なる龍雛(りゅうすう)の 波紋(なび)けて天翅(あまがけ)り 翅り向ふが陵の上に 幾萬歳の榮あれ 6番歌詞 あゝ大空に風が競って吹き、海に潮騒の轟きが聞こえる。今こそ、池の中の蛟が龍となって水面に波紋を描きながら天に昇って翔ける時だ。翔け行く先は向ヶ丘の空の上。幾久しく向ヶ丘に栄えあれ。

「あゝ穹窿に風きほひ」
 大空に風が競って吹き。穹窿はおおぞら。

「海潮音」
 潮騒の漢語的表現。

「龍雛」
 鵬雛。蛟。やがては大人物となる年少の者。一高生のこと。
 呉志 周瑜伝 「蛟龍得雲雨

「波紋靡けて天翅り 翅り向ふが陵の上に」
 「靡けて」は昭和10年寮歌集で「靡きて」に、「翅」は大正14年寮歌集で「翔」に変更された。「向ふ」は、「翅り向ふ」と「向ふが陵」の掛詞。
                        

解説書トップ   明治の寮歌