旧制第一高等学校寮歌解説

妖雲瘴霧

明治44年第21回紀念祭寮歌 北寮

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1、妖雲瘴霧むらむらと   世は渾沌の暗の中
  天のみ鋒のしたゝりに  光はこゝに生れたり
  太平洋の波の上      建ちしは瑞穂うまし國

2、三千年は唯瞬時     歴史が作りし日本國
  世紀の舒集めては     宇内に覇たる運命(さだめ)あり
  東洋人種の争ひは    治めば變る四海一
*「舒」は大正7年寮歌集の字、この寮歌集では私の辞書(大修館・新漢和辞典)
にない「ごんべん」。もちろんパソコンにもない。昭和50年寮歌集では「矜」と変更。
拍子は4/1とあったが、誤記とみて4分の2拍子に訂正した。6段2小節4音および7段3小節4音は、8分音符であったが、誤植とみて16音符に訂正した(大正14年寮歌集に同じ)。

譜はヘ長調・4分の2拍子は変わらず。その他、譜の変更は、昭和10年寮歌集で、タタ(連続する8分音符)のリズムを全てタータ(付点8分音符・16分音符)のリズムに変更した。また、2箇所(「あまのみほこ」の前、および「ひかりはここに」の前)にブレスを指定した。滑らかなメロディーとなったが、あまり歌われなかったようである。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
妖雲瘴霧むらむらと 世は渾沌の暗の中 天のみ鋒のしたゝりに 光はこゝに生れたり 太平洋の波の上 建ちしは瑞穂うまし國 1番歌詞 妖しげな雲が立ち込め、山川の毒気が蔓延し、世は混沌として闇の中にある。伊邪那岐・伊邪那美の二神が天浮橋(あめのうきはし)に立って、天の沼矛で渾沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものから淤能碁呂島が生じ、ここに光が生まれ世の中が明るくなった。太平洋の波の上に、稲が豊かに実り栄える国、日本の国が建国された。

「妖雲瘴霧むらむらと」
 大逆事件を起した幸徳秋水ら11人の死刑が執行されたこと。
 「瘴」とは、山川に生ずる毒気。瘴気。特に中国南方地方の川や湖沼に辺に多いという。 その毒気にあたって起こると考えられた熱病をいう。
 一高寮歌解説書は、「政情の不安を喩えていう」とあり、井下一高先輩「一高寮歌メモ」は、具体的に「大逆事件の幸徳秋水死刑執行を指すか」とする。
  明治44年1月18日 大審院、大逆事件の被告24人に死刑判決
           19日 12人を無期に減刑
           24日 幸徳ら11人死刑執行(各国社会主義者の抗議集中)

   明治44年2月1日 徳富蘆花、弁論部の大会で「謀反論」と題して講演、
               幸徳秋水らの死刑を批判。 第一大教場に溢れた聴衆、
               深く感銘。校長は不在。直ちに文部省に伝わり物議を
               かもす。
            8日 新渡戸校長と弁論部畦柳都太郎教授、譴責処分。

「世は渾沌の闇の中」
 渾沌の闇の中は、「渾沌」は、カオスの世界。「妖雲瘴霧むらむらと」を承け、また「天のみ鋒のしたゝりに」に懸る。

「天のみ鋒のしたゝりに」
 国造り神話。「天のみ鋒」は、天の沼矛(ぬほこ)
 伊邪那岐(いざなぎ)伊邪那美(いざなみ)の二柱の神は、天の諸神から漂っていた大地を造り固めよと命じられ、天沼矛を与えられた。伊邪那岐・伊邪那美は、天浮橋(あめのうきはし)に立って、天沼矛で、渾沌とした大地をかき混ぜたところ、矛から滴り落ちたものが積もって、淤能碁呂島(おのごろじま)となった。伊邪那岐・伊邪那美は淤能碁呂島に降り立ち、そこに天御柱を建て、大八島(日本列島)と神々を生んだ。

「瑞穂うまし國」
 「瑞穂」は、生命力ある、めでたい稲の穂。よい稲のたくさんとれる国。日本をさす。
 古事記神代 「この豊葦原の瑞穂の国は、(いまし)知らさむ国そ」
三千年は唯瞬時 歴史が作りし日本國 世紀の舒集めては 宇内に覇たる運命(さだめ)あり 東洋人種の争ひは 治めば變る四海一 2番歌詞 日本は天壌無窮の皇統の下、未来永劫栄えゆくので、それから見れば、今までの皇紀三千年の歴史等、ほんの一瞬の短い間である。日本が東亜の盟主となったのは、歴史がそうさせたのである。日本は、世界中の畏敬を一身に集めて、世界の盟主となる運命にあるのだ。日韓併合で、朝鮮の民族主義者が騒いでいるが、実際に日本の統治となり国が一つになれば、天下は泰平となる。

「三千年は唯瞬時」
 少し端折って皇紀三千年(実際は2571年)。日本はこれから永久に栄えるので、三千年など短い間のことである。

「世紀の舒を集めては」
 世界中の畏敬を一身に集めてはの意か。「舒」の字は、昭和50年寮歌集で「矜」に改められた。大正10年寮歌集では、言偏に(つくり)は予であるが、私の大修館・新漢和辞典にない字。大正7年・14年寮歌集は「舒」であるので誤植であろう

「宇内に覇たる運命あり」
 宇内は天下。日本は、世界の盟主となる運命にある。
史記秦始皇帝本紀 「皇帝明徳、経理宇内、視聴不怠」

「東洋人種の争ひは 治めば變る四海一」
 明治43年8月22日 韓国併合に関する日韓条約調印
    44年1月 1日 朝鮮で民族主義者大検挙(安岳事件)
 日韓併合で、朝鮮の民族主義者が騒いでいるが、実際に日本の統治となり国が一つになれば、天下は泰平となる。
 (安岳事件)
  寺内総督暗殺未遂事件が発生、安明根(伊藤博文暗殺の安重根の従弟)や金九・李承薫・安泰国など160余名が逮捕される。
思へウラルの山風を 西に驅けるは百万騎 馬頭に高し北斗星 天二日なく地に一王 世界を統べんその心 今我胸に傳はれり 3番歌詞 アジア民族がウラル山脈を越えて、ヨーロッパに攻め込んだモンゴルの征西を思い出せ。総大将バトゥを先頭に百万騎のモンゴル騎兵が空高く北斗の星を仰ぎながら、ブルガール、ルーシ、カフカース、クリミアに侵攻、キエフを攻略し、41年にはポーランド・ドイツ騎士団連合軍を撃破する一方、ハンガリーを蹂躙した。天に二つの太陽がないように、地にも王は1人でなければならない。世界制覇を目指すモンゴルの勇図は、今、我が胸に甦った。

「思へウラルの山風を 西に驅けるは百万騎 馬頭に高し北斗星」
 バトゥのモンゴル征西をさす。
 初代チンギス・カンは1219~25年にオトラル事件を理由にホラズム・シャー朝へ征西し、ジェペ、スベエデイ指揮下の別働隊はクリミア、ヴォルガ川中流域まで達した。第2代オゴデイ治世の36年には、バトウを総大将とする征西を開始。ブルガール、ルーシ、カフカース、クリミアに侵攻、キエフを攻略し、41年にはポーランド・ドイツ騎士団連合軍を撃破する一方、ハンガリーを蹂躙した。
 「馬頭に高し」は、総大将「バトゥ」の名にかけたものであろう。
 「ウラル山脈」は、ヨーロッパ・ロシアとシベリアの境界をなす、南北2000km以上の山脈。
 
「天二日なく地に一王」
 天に二つの太陽がないように、地にも王は一人でなければならない。
 礼記 「天に二日無し 土に二王無し」
陸を浮かべし大瀛の 水を通ずる一運河 開かば波瀾湧き出てゝ あゝ乾坤の一雄圖 機先を執るの時は今 眠れる獅子よいざさめよ  4番歌詞 南北アメリカ大陸により隔てられた太平洋と大西洋を結ぶパナマ運河の建設がアメリカの手によって進められている。運河が開通すれば、両洋がつながり、海水が運河に入ってくる。すなわち、西洋列強の船舶は航海の難所マゼラン海峡を迂回しないで、安全に、かつ迅速に大西洋から太平洋に直接、通行可能となる。あゝ、なんという雄大な計画であることか。西欧列強は、この運河の開通によりアジアに対し、一層攻勢をかけてくるだろう。パナマ運河が開通する前に、先手をとって対策を講じなくてはならない。半植民地となって列強の餌食となっている眠れる獅子の中国よ、目覚めよ。

「陸を浮べし大瀛の」
 大瀛は大海。瀛は海。
 「大瀛の水精こりて ここ敷島のもとかたく」(明治42年学習院寮歌「大瀛の水」1番)

「水を通ずる一運河」
 パナマ運河のこと。最初、スエズ運河を建設したレセップスにより1881年に建設に着手したが、失敗。その後、パナマから運河地帯を租借したアメリカにより1904年(明治37年)に建設が始まり、1914年(大正3年)に供用が開始された。

「開かば波瀾湧き出てゝ」
 「波瀾」は、大小の波。パナマ運河開通すれば、太平洋と大西洋がつながり、その海水が運河に入ってくる。一般的に運河の開通により、難所のマゼラン海峡を迂回する必要がなくなる。特にアメリカにとっては東海岸から西海岸への物資の輸送が陸路から海路となり、量的にも時間的にも輸送力は大幅に増強されることになる。
「出てゝ」は、大正14年寮歌集で「出でゝ」、さらに昭和50年寮歌集で「出でて」に変更された。

「あゝ乾坤の一勇圖」
 あゝ、なんという雄大な計画であることか。「乾坤」は、乾坤一擲で、運命を賭した。のるかそるかの勝負をすること。大プロジェクトの意。

「機先を執るの時は今 眠れる獅子よいざさめよ」
 パナマ運河が開通する前に、先手を取るのは今だ。半植民地となって列強の餌食となっている中国よ、目覚めよ。「眠れる獅子」は中国。運河開通により、西洋列強は今まで以上に食指を伸ばしてくる。その対策が必要であるという。日露の満洲権益独占に反対のアメリカに対し、日本自身も十分に注意しなければならない。「眠れる獅子」を日本と解することも可能である。
國を思ひて君王の 御前(みまえ)につどふ國民(くにたみ)は 學の道に心して 忘るゝ勿れ護國旗を 見よ春風に翻り 橄欖香る武香陵 5番歌詞 国を思いながら宮城近くの寄宿寮で生活する一高生は、学問の道に精進すると共に、護国の心を大切にしなければならない。橄欖の香る向ヶ丘に、春風に翻っている護國旗を見よ。すなわち、向ヶ丘に集う一高健児には、勤儉尚武と護国の心が満ち満ちている。

「護國旗」
 一高の校旗。護国は、一高の建学精神。

「橄欖香る武香陵」
 橄欖は一高を象徴する。武香陵は向ヶ丘の美称。実際に橄欖の花の香が漂っているという意味ではなく、勤儉尚武などの一高精神が満ちているの意。
                        


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