旧制第一高等学校寮歌解説

春の朧の

明治43年第12回紀念祭寄贈歌 福岡醫科大學

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春の朧のよひにして    轉寝すらむ雅び男の
薫ずる袖は長くとも

星はかくれつ風なぎつ   博多の海の波枕
千鳥の夢は深くとも

「きたひし腕」忘れんや    みどり色こき香陵の
柏の蔭の其香

「みがきし劍」うせなんや  根ざしそ堅き櫻花
彌生が岡の其光
各段4小節の音符は2分音符であったが、付点2分音符に訂正した。(平成16寮歌集添付の原譜に同じ)。2段3・4小節3番歌詞「こうりやうや」は、「こうりやうの」の間違いだが、そのままとした。

昭和10年寮歌集で、変ホ短調からハ短調に移調し、3度キーを下げた。その他、次のように変更された。下線はスラー。

1、「はるの おぼろの」(1段1・2小節) ラーーファーミー ラーーシドーラ
2、「うたゝね(2段1小節)」  ミーーラシーラー
3、「みやびお」(2段3小節)  ファーーラシラファラ
4、「くんずる」(3段1小節)  シーーラファーラー
5、「ながくと」(3段3小節)  ミーラシドーーシ 
6、「すーらん」(2段2小節)、「そーでは」(3段2小節)にスラー。


語句の説明・解釈

平成16年寮歌集に「明治43年九大」とあるは、正しくは、「明治43年(京都帝國大學)福岡醫科大學」であることは既述。
この寮歌は、寮の風呂に入りながら、よく歌われたという。

語句 箇所 説明・解釈
春の朧のよひにして 轉寝すらむ雅び男の 薫ずる袖は長くとも 1番歌詞 霞がかかってぼんやりとした春の日、終日(ひねもす)、のんびりと転寝をしている公卿のように、香を薫じた袖は長くとも。すなわち、博多で文弱の者のような日々を送っているが。3・4番に続く。

「よひ」
 「夜日」(日夜、あけくれ)か「宵」(日が暮れて暗くなってから)か。どちらに解してもよいが、「転寝」を夜に限定する必要はなく、「夜日」とした。「転寝」は、ころび寝。寝るつもりはないのに、ついうとうとと眠ってしまうこと。
 「風光明媚な博多湾の春の宵に」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「春の宵に博多の海辺で転寝しながら向陵の夢を見ているさまを歌う」(森下達朗「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「轉寝すらむ雅び男の」
 「雅び男」は、風雅の子。風流人。故郷を遠く離れて異郷に学ぶ遊子。
 俗人か作者本人か。本人と解する。故郷の向陵を遠く離れ博多に遊学し、のんびり過ごしている自分を自嘲気味に公卿に喩えた。

「薫ずる袖は長くとも」
 「長袖」は、武士が鎧を着るとき、袖をくくって短くしたのに対し、常に袖くくりをしないで長袖を着る公卿・僧侶・学者などにいう。文弱の者としてあざけっていうのに使われることが多い。
星はかくれつ風なぎつ 博多の海の波枕 千鳥の夢は深くとも 2番歌詞 夜が明けて星は消え、朝凪で風が止んだ。凪で穏やかな博多の海の浜辺で群れながらチチと鳴きかわす千鳥を見ると、向陵への郷愁に強く誘われ、博多での学生生活は、地に足がつかず、千鳥足でフラフラと過ごしているが。3・4番に続く。
 
「星はかくれつ風なぎつ」
 夜が明けて星が消えて、朝凪となった。

「博多の海の波枕」
 「波枕」は日を重ねる船路の旅。福岡醫科大學に遊学中の博多での生活。

「千鳥の夢は深くとも」
 千鳥はチチと鳴いて群れをなして飛ぶ。また酒に酔った人がフラフラと歩く様を千鳥足という。「千鳥の夢」は向陵への強い郷愁をいう。すなわち、紀念祭に参加して、自分も懐かしい同胞と一緒に寮歌を歌い、語りあいたい。しかし身ははるか遠く九州にあり、それはかなわぬ夢である。向陵への強い郷愁を抱きながら、博多でフラフラと過ごす作者を千鳥に喩える。
 「歡呼の浪の岸を打ち 千鳥友よぶ自治の海」(明治43年「新草萠ゆる」2番)
 「立つ白波に友千鳥 心へだてず聲かはす」(明治36年「筑波根あたり」7番)
「きたひし腕」忘れんや   みどり色こき香陵の 柏の蔭の其香 3番歌詞 (1・2番から続く。)
「向ヶ丘で鍛えた尚武の心」をどうして忘れようか。その昔、綠もぞ濃き向ヶ丘の寄宿寮で鍛えられた尚武の心を忘れることなどない。

「きたひし腕」
 一高で鍛えた尚武の心。
 「双腕の力を誰か知る」(明治39年「波は逆巻き」3番)

「みどり色こき香陵の」
 綠もぞ濃き向ヶ丘の。「香陵」は、向ヶ丘の美称。武香陵の約。
 「綠もぞ濃き柏葉の 蔭を今宵の宿りにて」(明治36年「綠もぞ濃き」1番)

「柏の陰のその昔」
 一高寄宿寮で起居を共にした3年間。柏葉は一高の武の象徴。「其香」は、尚武の心。
 「柏蔭に憩ひし男の子 立て歩め光の中を」(昭和12年「新墾の」3番)
「みがきし劍」うせなんや 根ざしそ堅き櫻花 彌生が岡の其光 4番歌詞 (1・2番から続く。)
「磨いた破邪の剣」をどうして失くすことなどあろうか。自治の根ざしが堅い桜花さく彌生が岡に燦然と輝く自治の光を、消してしまうことなどない。

「みがきし劍」
 破邪の剣。自治を邪魔し、害する者を切り捨てる剣。自治の危機があれば、破邪の剣を持って、ただちに向ヶ丘にかけつけるぐらいの意か。
 「破邪の劍を抜き持ちて」(昭和35年「嗚呼玉杯に」5番)

「根ざしそ堅き櫻花 彌生が岡の其光」
 櫻花は、一高寄宿寮の自治。「其光」は、自治の光。彌が岡は向ヶ丘。本郷一高は、本郷区向ヶ岡彌生町にあったので、一高キャンパスを彌生が岡ともいった。
 「櫻も今は丈のびて 若き二十となりにけり」(明治43年「藝文の花」15番)
 「若木のさくら十七の 歴史の影は長くして」(明治40年「紫金の彩羽」1番)
                        
先輩名 説明・解釈 出典
 園部達郎大先輩 九大の寄贈歌、由来、九大のは、落ち着いた、向陵を偲ぶ歌が多く、寮窓やそぞろ歩きによく歌われたのが多い。これはその走りのような歌。この頃から、「朧」がよくでてくる。・・・愛唱歌としては、之が最初。・・・最初の「柏の下葉」から数えて十九回あるが、・・・十四回が明治末期から大正中期に謳われている。勇ましい寮歌からの変化、大正ロマンチシズムの開花に、この『月の朧』が寮生の心を打つようになったのだろう。世の移りに敏感な寮生は逸早く寮歌に表現し始めたと重く受けとめる
                                             
「寮歌こぼればなし」から。


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