旧制第一高等学校寮歌解説
武蔵野分きて |
明治43年第20回紀念祭寄贈歌 京大
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1、武藏野分きて吹き荒む 嵐に散るや花吹雪 香陵の春今夢か 比叡の麓に風和ぎて 霞にこめし平安の 思 2、奇をあさり行くざれ人に 加茂のながれはふりにけり ゆかしき跡をたづぬれば とはの命ぞひそみたる 古き泉に新しき 心を汲まむよしもがな 3、 山河けじかく睦みては 學びの窓をたづねつゝ |
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昭和10年寮歌集で、6箇所スラーが付されたのみ、その他はこの原譜と同じで変更はない。 |
語句の説明・解釈
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
武藏野分きて吹き荒む 嵐に散るや花吹雪 香陵の春今夢か 比叡の麓に風和ぎて 霞にこめし平安の 思 |
1番歌詞 | 武蔵野の草を分けて吹き荒れる嵐に桜の花が花吹雪となった向ヶ丘の春の紀念祭も、遠い日の夢のような気がする。京都は、武蔵野と違い比叡山の麓の風穏やかなところで、春霞がかかった奥深くて物静かな風景を楽しんでいる。 「香陵の春今夢か」 向陵の春の紀念祭も、今となっては遠い日の夢のようだ。香陵は向ヶ丘の美称。 「霞にこめし平安の思幽なる眺かな」 春霞がかかった奥深くてもの静かな眺めである。「嵐に散るや花吹雪」の武蔵野から、今は「比叡の麓に風和ぎて 霞にこめし平安」の京都に暮らす。「平安」は、物静かと京都をかける。 |
奇をあさり行くざれ人に 加茂のながれはふりにたり ゆかしき跡をたづぬれば とはの命ぞひそみたる 古き泉に新しき 心を汲まむよしもがな | 2番歌詞 | 珍しいものを求め、あちこち尋ねまわるる風流人の私は、加茂の流れも見馴れ、すっかり京都に落ち着いた。心がひかれる旧跡を訪ねてみると、いずれも不滅の文化的・芸術的価値を秘めていることが分かる。この跡から今も通用する新しい心を会得する方法があればいいなあ、と思う。 「奇をあさり行くざれ人に」 珍しいものをあちこち訪ねまわる風流人の私に。「奇」は、奇観、綺麗の奇。「ざれ人」は、洒落れ人で、風流心がある人、作者のことと解す。作者は、後に美術史の専門家となり、文化財専門審議会専門委員となった。学生の頃から文化財に興味があったのだろう。著書に「絵巻物概説」がある。 「加茂のながれはふりにたり」 加茂の流れは新鮮でなくなった。もう京都に充分馴染んだ。「加茂のながれ」は、京都を象徴する。「ふり」は「古り」で、新鮮でなくなる。見馴れたと訳した。 「にたり」(連語)は、完了の助動詞ヌの連用形ニと、完了の助動詞タリとの複合したもので、・・・してしまっている。 「ゆかしき跡をたづぬれば」 心がひかれる旧跡を訪ねてみると。「ゆかし」は、行キの形容詞形、よいことが期待されるところへ行きたいの意。 「とはの命ぞひそみたる」 |
3番歌詞 | 先ず平安文化に直に接し、その心を知ってから、書物による学問を始めるべきだ。京都の風物を詠んだ古今集や新古今集などの詩の心は、意味深いものであるが、大学で学びながら詩の舞台となった近くの山や川の自然に慣れ親しむことにより、おぼろげながらも詩の心を理解することが出来た。 「藝術の門を過ぎてこそ 知識の國に入るべけれ」 神社仏閣、絵画、和歌などの平安文化に直に接し、その心を知ってから、書物による学問を始めるべきだ。ここに、「藝術」は文化。「知識の國」は書物による学問。 「詩の心ふかけれど」 詩の心というものは意味深く、なかなか理解しがたいものであるが。詩は、古今集や新古今集などの平安朝の京都を舞台に詠んだ和歌のことであろう。 「山川けじかく睦みては 學びの窓をたづねつゝ」 (その詩を詠んだ)山や川がすぐ近くにあるので、大学で学びながら、山川に通い親しんで、詩の心をおぼろげながらも知ることができた。 「けじかく」は「けぢかく」で、「気近く」。 「睦み(び)」は、慣れ親しむ。 「今越えくれば山深く 谷せまり巌こヾし」(明治41年「いざ行かむ」1番) |
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思ふ母校の紀念祭 今顧る |
4番歌詞 | 母校一高の紀念祭は、懐かしい。顧みれば、一高寄宿寮の歴史は長く、20年の自治の実績は、自治を守る一高健児の志を貫徹する上で、大きな力となろう。さあ、紀念祭を祝って寮歌を歌いながら、寄宿寮の幾久しい彌栄を祈ろう。 「若人の胸に貫く力なれ」 健兒の志を貫く上で、大きな力となろう。 |