旧制第一高等学校寮歌解説

春の臺の

明治43年第20回紀念祭寮歌 朶寮

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、春の(うてな)の曙に        希望(のぞみ)を照らす星一つ
  自治の流は絶えずして   護國の旗の威は高く
  橄欖若葉さし添へば     胸の小琴は躍る哉

2、治平の世にも武を鍛ふ   志士溝壑の覺悟ある
  向が陵の健男子       (あした)上野の鐘を聴き
  夕柏の蔭にねて        偲ぶか遠き(はえ)の跡

3、首陽の(みね)の蕨狩       柴桑(さひそう)時は長閑(のど)けくも
  幾代の春は經廻りて     賤の苧環(をだまき)繰り返し
  奎文(ふみ)(わだち)は進み行く    さらば吾友心せよ

4、南柯紫紺の假枕       林梢そよとゆらぐ時
  孤帳寒檠露繁く        霽雲未央(びわう)苔蒸すも
  遠し理想の堂奥(どうおう)は      いざや勵まん吾友よ

5、今宵二十の紀念祭      血汐ぞ染むる尚方の
  氷刀辟閭影冴へて      昔ながらの月影に
  健兒が擧げん凱歌(かつうた)を      知らじ洛陽(みやこ)の人の子は
5段2小節5音ミは1オクターブ高いと思うが、そのままとする(誤植とも思われるが大正7年・同14年・昭和3年も同じミ)。昭和10年寮歌集で、1オクターブ低いミと訂正。その他、昭和10年寮歌集で、イ長調からキーを落としてト長調に変更し、音符歌詞下歌詞で、「-」の部分にスラーを付したが、メロディーそのもに変りはない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
春の(うてな)の曙に 希望(のぞみ)を照らす星一つ 自治の流は絶えずして 護國の旗の威は高く 橄欖若葉さし添へば 胸の小琴は躍る哉 1番歌詞 春、夜がほのかに明けようとする頃、希望の星が一つ向ヶ丘を照らす。一高寄宿寮の自治の流は、絶えることなく今日まで連綿として伝えられてきた。護国旗の威厳は高く、一高生が護国旗を仰ぐ時、護国の心に胸が高鳴るのである。

「春の䑓の曙に」
 「䑓」は、向ヶ丘。四方を観望できるように作った高い土壇・建物。高殿。「曙」は、夜がほのかに明けようとして、次第に物の見分けられるようになる頃。
 枕草子 「春はあけぼの。・・・秋は夕ぐれ。」

「希望を照らす星一つ」
 星は、明けの明星。自治の光を暗示する。
 「自治の光は常暗の 國を照せる北斗星」(明治34年「春爛漫」6番)

「護國の旗」
 一高の校旗・護国旗。護国が一高の建学精神。

「橄欖若葉さし添へば」
 一高生が護国旗を仰げば。「橄欖」は、一高の文の象徴。
治平の世にも武を鍛ふ 志士溝壑の覺悟ある  向が陵の健男子 (あした)上野の鐘を聴き 夕柏の蔭にねて 偲ぶか遠き(はえ)の跡 2番歌詞 太平の世にあっても武を鍛えることは大切である。志のある者は、一身を賭しても志を貫く覚悟が必要である。向ヶ丘の一高健児は、朝に、上野寛永寺の鐘の音で目を醒まし、夕、柏の蔭に寝て、一高寄宿寮20年の輝かしい歴史を偲ぶ。

「志士溝壑の覺悟ある」
 志ある者は、危険・困難な境遇に遭遇することを覚悟している。
 「溝壑(こうがく)」とは、谷。谷間。谷あい。壑は、たに。危険または困難な場所・境遇のたとえ。

「柏の陰に寝て」
 「柏の陰」は、一高寄宿寮のこと。柏葉は一高の武の象徴。
 「柏蔭に憩ひし男の子」(昭和12年「新墾の」3番)

「上野の鐘を聴き」
 「上野の鐘」は、東叡山寛永寺の鐘。上野公園のレストラン精養軒入り口左側の樹間にある。一高寮歌で「上野」の地名が出てくる寮歌は次のとおり。
 「上野の森の白雪に」(明治32年「武成の昔」4番)
 「上野の森の白雪や」(明治37年「思ひ出づれば」第一の7番)
 「上野の森はほのかにて」(明治42年「若草もえて」2番)
 芭蕉 「花の雲鐘は上野か浅草か」

「偲ぶか遠き榮の跡」
 一高寄宿寮20年の輝かしい歴史を偲ぶ。
首陽の(みね)の蕨狩 柴桑(さひそう)時は長閑(のど)けくも 幾代の春は經廻りて 賤の苧環(をだまき)繰り返し 奎文(ふみ)(わだち)は進み行く さらば吾友心せよ 3番歌詞 周の武王を諌めて伯夷・叔斉が隠棲し蕨狩りをした首陽の山や、陶淵明が隠棲した柴桑の地は、のどかで、時の歩みはのんびりしていたが、幾春が過ぎてみると、同じようなことを繰り返しているように見えても、学問の車は着実に進んでいる。そうであるから、一高生よ、油断することなく学問に励まなくてはならない。

「首陽の峯の蕨狩」
 「首陽」は、中国山西省の西南部にある山。周の武王をいさめた伯夷・叔斉が隠棲し餓死した山として知られる。
 「周が殷の紂王を討つと伯夷・叔斉の兄弟が周粟を食むを恥じて首陽山に隠れ蕨を採って生活し餓死した」(史記本伝 井下一高先輩「一高寮歌メモ」)

「柴桑時は長閑けくも」
 「柴桑」は、江西省の県名、また廬山の麓の小村。現在の九江付近。陶淵明の家があり、ここで死去した(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)。

(しず)苧環(をだまき)繰り返し」
 (しず)苧環(をだまき)は多く、「()り」、「(いや)し」などの序詞として用いられる。
 「しず」は、穀・麻などの緯糸を青・赤などで染め、乱れ模様に織り出した布。「おだまきは、つむいだ麻糸を、中が空洞になるように円く巻きつけたもの
 「賤のをだまきくりかえし 昔がたりにあたらしき」(明治39年「柏の下葉」9番)

「奎文の轍」
 「奎文」は学問・文物をいう。「奎」は星宿の名。二十八宿一つで、西方にあり十六星ある。文章をつかさどるという。「轍」は、車が通って道に残した車輪の跡、転じて通過する車の輪。
南柯紫紺の假枕 林梢そよとゆらぐ時 孤帳寒檠露繁く  齊雲未央(びわう)苔蒸すも 遠し理想の堂奥(どうおう)は  いざや勵まん吾友よ

4番歌詞 ひとり灯火の下で露の結ぶ深夜まで学問に励んでも、また雲を突くような漢の宮城未央宮が苔むすまで長い期間をかけて学問に励んでも、南柯の夢の槐の木の枝がそよと揺れた短い間の努力に過ぎず、学問の奥義を究めるには不足だ。我が友よ、もっともっと学問に励もう。

「南柯紫紺の假枕」
 「南柯夢(なんかのゆめ)
 唐の惇于棼(じゅんうふん)(えんじゅ)の木の南柯(枝)の下に寝て、夢に槐安国(かいあんこく)に至り、大いに出世して栄華をきわめたが、夢がさめてから、その国が蟻の穴(巣)であることを知ったという故事。夢のこと、また、はかないことのたとえにいう。
 「紫紺」
 高貴な地位を象徴する色である。

「孤帳寒檠露繁く」
 露が結ぶ深夜まで、ひとり灯火の下、学問に励んでも(奥義を極めるのは難しい)。檠は灯火台。

「齊雲未央(びわう)苔蒸すも」
 雲に聳える漢の宮城未央宮が苔むすまで長い期間をかけても(学問の奥義を極めるのは難しい)。「齊雲」は、雲と等しい。雲を突くように高い。「未央」は漢の宮殿の名。漢の高祖が竜首山上に造営。唐代にも修復。

「遠し理想の堂奥(どうおう)は」
 「堂奥」は、学問などの奥まった所。奥義。
今宵二十の紀念祭 血汐ぞ染むる尚方の 氷刀辟閭影冴へて 昔ながらの月影に 健兒が擧げん凱歌(かつうた)を  知らじ洛陽(みやこ)の人の子は 5番歌詞 今宵は、第20回紀念祭。その昔、佞臣の首を切ったという尚方、氷のように研ぎ澄まされた辟閭の伝説の名剣がキラリと冴える。昔ながらの月が知っているように、延長戦を戦えば、この名剣でバッサリと三高を切り捨て、一高の勝ちであったのに、三高は戦おうとしなかった。

「尚方の氷刀辟閭」
 「尚方(しゃうはう)」「辟閭(へきりょ)」はいずれも中国古代の伝説的名剣。「尚方剣」は「尚方斬馬剣」とも称された。「尚方」は、秦・漢代、天子の佩剣、服御の器物制作を司った所。「辟閭」は「湛露(たんろ)」とも呼ばれる名剣。「氷刀」は氷のようにとぎすました刀。一高生の尚武の心、野球部のすぐれた実力を喩える。

「昔ながらの月影に」
 古今 在原業平「月やあらぬ春や昔の春ならむ 我が身一つはもとの身にして」

「健兒が擧げん凱歌(かちうた)を 知らじ洛陽(みやこ)の人の子は」
 戦えば一高の勝に決まっているのに、三高は戦おうとしなかった。
明治42年4月8日の対三高野球戦は、三高が一高先輩(小西善次郎)の審判の判定に不満を表明して延長戦に入ることを拒否、1-1の引き分け。この審判判定問題が尾を引き、43年4月の試合は見送りの形で中止となった。洛陽は京都、三高。               
                        


解説書トップ   明治の寮歌