旧制第一高等学校寮歌解説

新草萠ゆる

明治43年第20回紀念祭寮歌 南寮

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1、新草萠ゆる淺みどり    裾野にせまる曉の
  紅霞淡靄たなびけば    富士の高嶺は若やぎて
  秋津島根に春來る

2、花吹ききそふ微風(そよかぜ)に   そヾろときめく雄心(をごゝろ)
  若き血潮の高鳴りて    歡呼の浪の岸を打ち
  千鳥友よぶ自治の海

4、青葉城下の夕月夜     胸の恨みも今晴れて   
  奮都の春の曙を      箙にかざす花の色
  歴史はとはに榮あり

*「恨み」は昭和10年寮歌集で寮歌集で「恨」に改訂。  
調・拍子とも変更はなく、その他譜の変更も微少である。昭和10年寮歌集の変更箇所は次のとおり。

1、「にひくさもゆる」(1段1小節)の「もゆ」  「ソソ」を「ソーソ」に変更。
2、「こーかーたんあい」(3段1小節)の「あい」  「ドー」(4分音符)を「ド(あ)ド(い)」(二つの8分音符)に変更。
3、「ふじのたかねは」(4段1小節)の「かね」 「ドーレ」を「ドレ」に変更。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
新草萠ゆる淺みどり 裾野にせまる曉の 紅霞淡靄たなびけば 富士の高嶺は若やぎて 秋津島根に春來る 1番歌詞 山頂から夜が明けてゆき、新草が浅茅色に芽生えた裾野にまで迫った。霞が朝日に赤く映え、裾野に棚引くと、富士山は頬に紅を刷いたように若やぐ。この日本に春が来た。

「紅霞淡靄」
 「紅霞」は、暁時であるから、朝日に映えて赤く染まった霞。「淡靄」は、うすもや。霞は春に、靄は季節を問わず使われる。ここでは特に区別する必要はない。ちなみに霧は秋の季節にいう。

「秋津島根」
 日本国の異称。
花吹ききそふ微風(そよかぜ)に そヾろときめく雄心(をごゝろ)や 若き血潮の高鳴りて 歡呼の浪の岸を打ち 千鳥友よぶ自治の海 2番歌詞 そよ風に桜の花びらが散って、雄々しい心がときめくのを止めようもない。若い胸は高鳴って、紀念祭を祝い喜ぶ歓声が上がる。千鳥がチチと鳴いて友を呼ぶように、多くの人で賑わう紀念祭。

「歓呼の浪」
 紀念祭を祝い喜ぶ声。

「千鳥友よぶ」
 寮生はじめ多くの人が紀念祭に訪れて。千鳥は海や川の水辺にすみ、ちちと鳴いて群をなして飛ぶ。
 「夕濱千鳥なれもまた 友よぶこゑのしげきかな」(明治42年「天路のかぎり」2番)
 「博多の海の浪枕 千鳥の夢は深くとも」(明治43年「春の朧の」2番)
 「立つ白波に友千鳥 心へだてず聲かはす」(明治36年「筑波根あたり」7番)
自治の光のあかねさす 日出づる國の護りとて 武香が陵の高樓(たかどの)に 二十年(はたち)かづらの長き夜を 思ひ出多き紀念祭 3番歌詞 国を照らし国を護る自治の光は、向ヶ丘の一高寄宿寮に20年の長きにわたって、先人から連綿と今日まで引き継がれてきた。今夜は、寄宿寮の20回目の紀念祭である。今宵、長い一夜を思い出多い寄宿寮の出来事を語り明かそう。、

「日出づる國の護りとて」
 「日出づる國」は、日本国。「國の護りとて」は、一高の校旗は護國旗。護国は一高の建学精神である。
 隋書 倭国伝「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙なきや」
 「自治の光は常闇の 國をも照す北斗星」(明治34年「春爛漫の」6番)

「あかねさす」
 (枕詞)東の空があかね色に映える意から昇る太陽を連想し、美しく輝くのをほめて、「日」、「昼」、「紫」、「君」にかかる。
 万葉20 額田王「あかねさす紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖振る」
 
「武香が陵の高樓」
 向ヶ丘の一高寄宿寮。

二十年(はたち)かづらの長き夜」
 つる草がすくすくと伸びていくように、寄宿寮も開寮以来20年を迎えた。その紀念の祭の長き夜、これまでの寮の歴史・思い出を語り明かそう。「かづら」は無事に20周年を迎えた寮の長い歴史と紀念祭の長い夜をかける。
 「『二十年かづら』とは、真菰の根に生ずる竹の子状の『菰角』のこと。黒穂菌の胞子の成熟した黒い灰状のもので、真菰の根茎を焼いたものとともに油をまぜて、白髪染め、鉄漿、眉墨等に用いた。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)
青葉城下の夕月夜 胸の恨みも今晴れて 奮都の春の曙を 箙にかざす花の色 歴史はとはに榮あり 4番歌詞 11年前、対二高柔道戦で雪辱を果たし、青葉城下の夕月夜に、長い間の胸の恨みも今晴れたと感涙にむせんだように、今度の対二高柔道戦でも絶対に負けてはならない。一昨年の春、初征西した対三高野球戦は、坂東武者の白旗・一高が平家の赤旗・三高を降し恨みを晴らした。宇治川の先陣争いで佐々木高綱に不覚をとった梶原影季が、生田の森の源平合戦で、箙に梅の花を挿して平家を蹴散らし、「梶原の二度懸け」と呼ばれた奮戦をみせたのと似ている。一高の歴史には、常に栄光がある。

「青葉城下の夕月夜 胸の恨も今晴れて」
 明治32年対二高柔道戦説と、明治39年対二高撃剣戦の二つの説がある。私見は、多少の疑問を残しつも、「思へばこぞの秋のくれ 北仙臺のますらをと 戰ふうはさ聞きしとき われ等が血潮躍りにき」(明治41年「としはや已に」2番)と、噂の段階から寮歌に歌われ、11年振りの戦に全寮が燃えて必勝を期した対二高柔道戦をいうと解する。
 1.対二高柔道戦説
  明治31年の試合に敗れた雪辱を果たした翌32年4月11日の対二高柔道戦(於二高講堂)とする。43年4月予定の試合でも、11年前の試合同様に、仙台の豎子を叩き潰せという。しかし、試合が行われた年は、あまりにも古く、疑問を呈する人もいる。
 「11年前の明治32年4月、仙台で行われた対二高柔道戦で勝利し前年敗北の雪辱を遂げたこと以外には見当たらず、確実なことは未詳。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 2.対二高撃剣戦説
  明治37年4月3日の有志試合で一高が敗れた雪辱を果たした明治39年4月4日の第1回対二高撃剣試合(仙台遠征)とする。撃剣部部史に「斯の前後二囘の有志試合(1勝1敗)は、箇箇に三本勝負を決するのみにて、未だ團体として勝負を定むるに至らざりき」とあるように、敗れた試合は有志試合であったこと、3年も前の試合であることが問題となる。
 「明治39年4月には撃剣部が 仙台で行われた対二高戦で勝利している。・・・個人一騎打ちの三本勝負で戦われたもので、勝ち抜き戦ではなかったが、二高の5勝3敗2引分けで(「向陵誌」では、4勝3敗3引分)二高が優勢であったことから見れば、明治39年の仙台での試合(勝ち抜き戦)で、一高が大将・副将の二人を残して勝利したことにより、雪辱を果たしたとみることが出来よう。」(森下達朗東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「奮都の春の曙を 箙にかざす花の色」
 明治41年4月9日、三高校庭で行なわれた対三高野球戦は、2A-1で勝利、前年負けの雪辱を果たした。舊都は、京都。 箙は、矢を入れて携帯する容器。
 「箙にかざす花の色」は、生田の森の源平の戦で、梶原源太影季が箙に梅の花を挿して奮戦した「箙の梅」の故事を踏まえる。梶原影季は、有名な宇治川の先陣争いで、惜しくも佐々木高綱に敗れた。生田の森の源平合戦で、後に「梶原の二度懸け」と言われた奮戦を見せ、戦功をあげ名誉を挽回した。
(はへ)の歴史のニ千年 父祖建業の跡如何に 勇圖の(ぺーじ)くりかへし 計るは(うみ)の西東 健兒そゝろに胸おどる 5番歌詞 我国の栄光の歴史2000年の中、特に、明治維新で国を開き、文明開化によって新しい国作りに励み、国力を増進した。ついには日清・日露の両戦争に勝利して、列強の仲間入りを果たした。先人の功績はきわめて大きい。これからは、洋の東西を問わず、世界が我々の活躍の舞台だ。それを思うだけで、一高健児の胸は躍る。

「榮の歴史の二千年」
 明治43年は皇紀2570年、西暦1910年。我国2000年余の栄光の歴史。

「父祖建業の跡如何に 雄圖の頁くりかえし」
 明治の維新、文明開化によって新しい国作りに励み、国力を増進し、ついには日清日露の戦争に勝利して、列強の仲間入りを果たした先人の功績を讃える。「勇圖」は雄大な計画。

「計るは洋の西東」
 これからは世界が我々の活躍の舞台だ。
思ふむかしはイオニヤの 藻潮にゑがく(ぶん)(あや) ヒマラヤ山の杜影や 千草の徑を分け下る 教の泉玉清水   6番歌詞 古代ギリシャのイオニア地方にホメロス作と伝えるギリシャ最古で最大の叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」が吟遊詩人により口誦され、またミレトスにギリシャ最初の哲学者タレスが出て、海辺に藻潮を焼く煙が立ち上るように文運の花が咲いた。インドのヒマラヤ山の麓では、ボードガヤーの菩提樹の下でブッダが悟りを開いた。インド哲学が起こり、それから多くの学問・宗教が分れて発達した。我々は、東西両文化から多くのものを学ぶことが出来る。

「イオニヤの藻塩にゑがく文の彩」
 ホメロスの叙事詩のことか。哲学ではタレスとも考えられる。さらに広く、西洋文化の意。
 イオニア(イオニヤ)は、エーゲ海に面した現トルコ共和国アナトリアの南西部の地方。ギリシャ人の一派イオニア人がミレトス以下多くの都市を建設した。オリエント先進地帯との交流が盛んで、イオニヤには、早くから文化が興り、哲学・文学・美術に多くの人材を輩出した。哲学ではギリシャ最初の哲学者といわれ、イオニア自然哲学の道を開いたミレトスのタレス。文学ではギリシャ最古で最大の叙事詩「イリアス」「オデュッセイア」の作者とされる吟遊詩人ホメロスもこの地の出身とされる。
 「藻潮にゑがく文の彩」は、イオニアの海辺に藻潮を焼く煙が立ち上るように文運の花が咲いた。「藻潮」は、昔、海草に海水を注ぎ、これを焼いて水に溶かし、うわずみを取って煮詰めて製塩した。その海水を藻潮という。「藻潮を焼く」から、藻潮には憬れの意を含む。

「ヒマラヤ山の杜影」
 悟りを得ようと瞑想し修行するブッダ(釈迦)のことか。ブッダはヒマラヤ山脈が聳えるネパールとインドの国境の地で生れ、修行した。ボードガヤーの菩提樹の木の下で悟りを開き、ガンジス川中流域で教化活動をおこなった。インド哲学。さらに広く東洋文化の意。
 
調べゆかしき兩洋の 文化の流れ一つにして こゝに(きざ)さん新世(あらたよ)の 文華眺めむものや誰れ 希望の影に立てよ友 7番歌詞 それぞれに特色があって異なる東洋・西洋の両文化を融合発展させて、新しい日本の未来を築くのは誰か。それは一高生をおいて他にいない。希望を持って、起とうではないか。

「兩洋の文化の流れ一にして」
 西洋東洋の文化を融合発展させて。
籠城主義を東洋文化(木下校長、狩野校長)、ソシアリテーを西洋文化(新渡戸校長)とし、二つの統合発展を含むとも考えられないこともない。

新世(あらたよ)の文華眺めむものや誰れ」
 輝かしい日本の未来を築くのは誰か。一高生をおいて他にない。
                        


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