旧制第一高等学校寮歌解説

笛の音迷ふ

明治43年第20回紀念祭寮歌 東寮

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1、笛の音迷ふ波の上      綠の海に浮びたる
  草(やは)らけきグリイスよ     藝術(たくみ)の神の住ふ國
  それにも似たる日の本の  我等の筆に光あり

3、斷雲飛べば岡の上      廢墟の雨は怨あり
  月寒草(かんそう)を照しては       藝術(たくみ)の跡に涙あり
  されど我劍わが筆は     永劫(とは)に亡びぬ運命(さだめ)あり

4、白山白野(はくさんびゃくや)聲なくて        陰雲こもる島がくれ
  太平洋の荒波に         驚き醒めし我が祖先
  建國こゝに三千年       國を護りて我等あり
昭和10年寮歌集で、リズムをタタからタータに、またその逆に変更した箇所があるが、メロディー的にはほぼ同じであ
 
 基本的なリズム「タータ タタ」の間に、適宜、「ター タタ」あるいは「タータ ター」等のリズムを挿入し、変化を付け、軽快なリズムとなっている。メロディー構成は、1・2段がAメロ、3・4段がBメロ、5・6段がCメロでクライマッククスの3部形式である。軽快なリズムに乗ってAメロのソーソドレ ミーレドミは一層爽やかである。低く出るのがいい。これを受けたBメロも、最後の締めくくりCメロも素晴らしいクライマックスを演出し、ど素人の私が評するのは烏滸がましいが、歌曲としては完ぺきな出来であろう。しかし、素人の一般寮生が歌うには、特にクライマックスを始動する「それにも似たる」はト調ではあまりに高音で、声を出し辛い。そのためか、実際にはキーを相当に下げて歌われていたのだろう。昭和10年寮歌集でト長調からハ長調に調を変更、キーを5度さげたのは、的を得た措置と思料する。

1「まーよふ」(1段2小節)  「まーよ」にスラーを付けた。
2、「らけき」(3段2小節)の「けき」  ラーソからラソに リズムをタータからタタに変更。
3、「にたる」(5段2小節)の「にた」  前項変更とは逆に「ドラ」を「ドーラ」とタタのリズムをタータに変更。
 ここに、タタとは連続する8分音符、タータとは付点8分音符と16分音符のリズムのことである。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
笛の音迷ふ波の上 綠の海に浮びたる 草(やは)らけきグリイスよ 藝術(たくみ)の神の住ふ國 それにも似たる日の本の 我等の筆に光あり 1番歌詞 何処からともなく羊飼いの笛の音が波間に聞こえてくる。紺碧のエーゲ海に面した、草が柔らかく牧畜が盛んだった古代ギリシャに、学藝の神アポロンと、アポロンの主宰下にあったミューズの神々が文運の華を咲かせた。古代ギリシャでは、ホメロス作と伝えるギリシャ最古最大の叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」がイオニア地方に口誦され、ミレトスにはギリシャ最初の哲学者ターレスが出て、イオニア自然哲学の道を切り開いた。アテネ・スパルタ連合軍が大国ペルシャを打ち破ってからは、ギリシャの覇権を握ったアテネを中心にギリシャ哲学や科学などが隆盛を極めた。アポロンやミューズの神々が住む古代ギリシャに似て、我が日本の国の文運は光輝いている。

「笛の音迷ふ」
 何処からか羊飼いの音が聞こえてくる。

「綠の海に浮びたる」
 紺碧のエーゲ海に面した。「綠」は深い藍色。海の色にいう。「浮びたる」は、水面の上にある。ここでは、海に面した意。

「草軟らけき」
 牧畜に適した柔らかい草。

「グリイス」
 古代ギリシャ。紀元前8世紀頃に古代ギリシャ文明が急速に開花し、アテネ、スパルタ等の都市国家(ポリス)が成立した。ペルシャ戦争(前500年から前449年)では、各都市国家はデロス同盟を結びペルシャと戦い、アテネ・スパルタ連合軍を中心に、大国ペルシャを打ち破った。この戦いの過程でアテネが抬頭し、ギリシャの覇権を握った。ペリクレスの指導の下、民主政治を実現し、文運の華を咲かせた。ギリシャ哲学や科学が発達したのはこの時代である。次いでペロポネソス戦争(前431年から前404年)でアテネとスパルタが戦い、スパルタが勝利した。スパルタは先住民を奴隷(へロッド)として使役、軍国主義で剛健な生活を送り国力の維持に努めたが、前371年テーベ軍に大敗し、国力は急激に衰えた。ギリシャの都市国家は、連衡合従を繰り返すことがあっても、統一されることなかった。やがて北方のバルバロイ(意味の分からない言葉をしゃべる野蛮な者)の国マケドニアが強力となり、これに挑んだアテネ・テーベ連合軍がカイロネイアの戦い(前338年)でマケドニアに敗れ、ギリシャは征服され、古代ギリシャの都市国家は亡びた。

「藝術の神の住ふ國」
 「藝術の神」は、アポロンとアポロンが主宰するミューズ。アポロン、ことにデルフォイのアポロン神殿は、全ギリシャで崇拝され、古代ギリシャで、音楽・演劇の競技の優勝者にはアポロンの霊木月桂樹を輪にした月桂冠が与えられた。ミューズは、ゼウスとムネモシュネ(記憶)の間の9人の娘である。プトレマイオス1世がエジプトのアレクサンドリアに設立しヘレニズム時代の学問の中心となったムーセイオンは、ミューズに捧げられたものである。一高の文の神ミネルバはギリシャ神話ではアテナで、知恵と戦いの女神である。

「我等の筆に光あり」
 文運が隆盛であること。
 「學びの業はアゼンスの 尚武の風はスパルタの」(明治36年「筑波根あたり」8番)
七ツの岡に雲わきて 葦鳴る川の流より 劍火を吐き箭たけびの 忽ち蔽ふ陸に海 それにも似たる日本國 矛とりたてよ我友よ 2番歌詞 ティベル河畔に生まれた小さな都市国家ローマが周囲の都市国家、国と戦いながら次々と版図を拡大し、やがて世界国家へと発展していった。この古代ローマ帝国に似て、武運輝く日本は、日露戦争に勝ち東亜の盟主となり、今また海を渡って韓国を併合する方針を決定した。一高生よ、尚武の心を奮い立たせよ。

「七つの岡」
 古代ローマが築かれたティベル川東に位置する七つの丘。パラーティーヌスの丘を中心に、アウェンティーヌスの丘、カエリウスの丘、エスクィリーヌスの丘、ウィーミナーリスの丘、クィリーナーリスの丘、カピトーリーヌスの丘。
 伝説の王ロムルスは、前753年、パラーティーヌスの丘を四角い柵、のちには壁で囲みローマを建国したと伝えられている。
 「若草青む七丘に もゆる血潮のうすれては」(明治43年「煙に似たる」3番)
(参考) 山口高校「鴻南に寄する歌」(大正13年)7番
        あゝロオマの野カムパニア
        荒廃し跡を思ひ見て
        切磋を茲に六星霜
        警醒何ぞ他を俟たん

「葦なる川」
 ローマ市の西、北から南へ流れるティベル川のこと。この河の畔にラテン人が古代都市国家ローマを建設した。

「劍火を吐き箭たけびの 忽ち蔽ふ陸に海」
 「劍火」は、剣と剣が打ち合って出る火花。
 「箭たけび」は矢叫びで、戦いの初めに両軍が遠矢を射合う時、互いに高く発する声。
 ティベル河畔に生まれた小さな都市国家ローマが周囲の都市国家、国と戦いながら次々と版図を拡大し、やがて世界国家へと発展していったこと。 ジュリアス・シーザーやハニンバル等の名将の戦いが目に浮かぶ。
 ローマは初め王政であったが、前510年頃に共和政に移行。3世紀半ばまでにイタリア半島を征服し、さらにカルタゴとの3回にわたるポエニ戦争(前264年~前146年)に勝利し、都市国家から地中海帝国にまで発展した。内乱の時代に続く、シーザーの一人支配(終身デクタトル)を経て、前27年アウグストスが全地中海世界を統一し、帝政が始まった。以後、五賢帝の時代、(96~180年)まで所謂「ローマの平和』は続き、トラヤヌス帝の時に帝国の版図は最大となった。しかし2世紀末から国運は衰退に向かい、395年帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれた。前者は1453年まで続くが、後者は476年ゲルマンの傭兵隊長オドアケルに滅ぼされた。

「矛とりたてよ我友よ」
 尚武の心を奮い立たせよ、我が友よ。
斷雲飛べば岡の上 廢墟の雨は怨あり 月寒草(かんそう)を照しては 藝術(たくみ)の跡に涙あり されど我劍わが筆は 永劫(とは)に亡びぬ運命(さだめ)あり 3番歌詞 廃墟となった古代ギリシャのアクロポリスの丘、古代ローマ発祥の七つの丘の上には、ちぎれ雲が飛びかい、悵恨の調べを奏でるように蕭々として雨が降る。技術の粋を凝らして建設された古代ギリシャのパルティノン神殿や古代ローマの凱旋門・コロッセウム等の遺跡は荒れ果て、月が冬枯れの草を寒々と照らしている。往時の姿を偲ぶ時、涙を禁じ得ない。しかし、我が国の武運も文運も永久に不滅であり、国亡び廢墟となった古代ギリシャの都市国家や古代ローマ帝国とは違う。

「断雲飛べば岡の上」
 丘の上にちぎれ雲が飛んで。「岡の上」は、向ヶ丘でなく、古代ギリシャのアクロポリスの丘、古代ローマの発祥地ティベル河畔の七つの丘。

「廢墟の雨は怨あり 月寒草を照しては 藝術の跡に涙あり」
 古代ギリシャの都市国家も古代ローマ帝国も亡び、今は、パルティノン神殿や凱旋門・コロッセウム等の遺跡に榮枯の跡を偲ぶのみで、涙を誘われる。
 「寒草」は、冬枯れの草。
 「藝術の跡に涙あり」は、廃墟の跡に涙を誘われる。
 古代ギリシャはマケドニアに滅ぼされた。その後も、ローマ、オスマントルコの支配を受け、またバルカン半島では異民族が侵入と共生を繰り返してきたため、人種的にも近代のギリシャ人は古代ギリシャ人の直系の子孫とはみなされていない。古代ギリシャの都市国家も、文化も、人種も消滅してしまった。あれだけ文運華やかだった学問藝術も今は文化遺産として残るのみである。
 「廢墟にむせぶ秋の風 悵恨の歌さながらに 音蕭々と響く哉」(大正12年「榮華は古りし」1番)

「されど我劍わが筆は 永劫に亡びぬ運命あり」
 我が国は武運も文運も永久に不滅であり、国亡び廢墟となった古代ギリシャの都市国家や古代ローマとは違う。

白山白野(はくさんびゃくや)聲なくて 陰雲こもる島がくれ 太平洋の荒波に 驚き醒めし我が祖先 建國こゝに三千年 國を護りて我等あり 4番歌詞 鎖国で夷狄の汚れを知らない我が国土が、ペリーの率いる黒船の出す黒煙に汚されてしまって、我が国民は、恐れおののき声をひそめた。アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが4隻の軍艦を率いて太平洋の荒波を越えて浦賀に来航し、我国の開国を強要した時は、我が祖先は太平の眠りを醒まされ、夜も眠れなかったという。このように日本は、慌てふためいて開国の要求を受入れ、その後、無知のまま相手の言うとおりの日米修好通商条約を結んだが、この条約は、日本に不利な不平等な条約であった。建国三千年の長い歴史を誇る国を守るのは我等一高生であり、我等が先頭に立って、この条約の改正に向け、努力しなければならない。

「白山白野聲なくて 陰雲こもる島がくれ」
 鎖国で汚れを知らない神州日本を白山白野と表現、これに対し陰雲は、ペリーの率いた軍艦が吐き出す黒煙をいう。

「太平洋の荒波に 驚き醒めし我祖先」
 嘉永6年6月3日(1854年)、アメリカ東インド艦隊司令長官ペリーが遣日国使として軍艦4隻を率い浦賀に来航し日本の開国を強く要求したこと。翌年1月16日、再度、軍艦7隻を率い神奈川沖に来泊。3月3日、日米和親条約を締結し、国を開いた。所謂『黒船の来航」をいう。「太平洋の荒波」は、太平の世を醒ます、開国の強要の意。不平等条約である日米修好通商条約が締結されたのは、開国したのちの1858年のことで、領事裁判権、協定税率、最恵国約款などがアメリカだけに認められた。

 狂歌 「泰平の眠りを覚ます上喜撰(蒸気船) たった四杯で夜も眠れず」

「建国こゝに三千年」
 明治43年は、皇紀2570年で少しオーバーな表現。

「國を護りて我等あり」
 護国は一高の建学精神である。ペリーに強要され、無知のまま結んだ列強との不平等条約を改正して、国を護るのが一高生の使命である。5番の「死せる歴史を新たむる 男子の使命大いなり」と同じ意である。
籠れば永き二十年 苔むす松は深綠 我等よ岡を出づる時 (よろこ)び迎へん舊山河 死せる歴史を新たむる 男子の使命大いなり 5番歌詞 一高生は、俗塵を絶って向ヶ丘に二十年も長く籠城してきた。その間に、寮生の自治を守ろうとする志操は変ることなく一高寄宿寮の自治の礎は、ますます堅固なものとなった。我等が卒業して、寄宿寮を出る時は、世間は我等をよろこび迎えてくれるであろう。しかし、現状に甘えて安逸を貪ってはいけない。日露戦争に勝って、日本の国際的地位が高まったとはいえ、ペリーに開国を強要され結んだ一連の不平等条約は、未だに改正されていない。治外法権を認め、関税自主権のない国家は、真に独立国家とはいえない。この不平等条約を改正するための我等一高健児が果たすべき使命は大きい。

「籠れば永き二十年」
 向ヶ丘に籠城して二十年経った。

「苔むす松は深綠」
 二十年の間に、松の幹に苔が生じ、枝は張って葉の緑は、ますます深くなった。すなわち寮生の自治を守ろうとする志操は変ることなく、一高寄宿寮の自治の礎は、ますます堅固なものとなった。

「舊山河」
 ふるさとの山川。世間。旧態依然の状態の意で「舊」を使い、次句の「死せる歴史を新たむる」で、「新」の字を使った。

「死せる歴史を新たむる」
 「死せる歴史」は日本の鎖国と考えてきたが、今は説を改め、「不平等条約下の真に独立国とはいえない日本の歴史」と解す。従って「新たむる」は、不平等条約の改正をいう。日露戦争の勝利で、日本の国際的地位が高まり、日米間で念願の不平等条約の改正が実現できたのは明治44年のことである。その後、他の諸国とも順次条約を改正して、ここに治外法権は撤廃され、関税自主権は回復された。
 
 「「『死せる歴史』と表現しているわけは、治外法権や関税自主権についての不平等条約を押し付けられたままの日本では、とても独立国家とはいえないと考えられていたからだと思われます。」(森下達朗東大先輩)
 「祖国日本は文武両道(筆と剣)をもって三千年(これは誇張)の歴史を誇っている、この長く古い歴史を飛躍的に更新して護国の実を挙げることこそ、われわれに期待されている使命であり、立寮20年目を迎えた今こそ、その『準備(そなへ)』をなすべき時である、との意である。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 
過ぎゆく月日たゞ瞬時 弦月傾く影見ては 祖國の歴史(あと)を偲びつゝ 時世待ちたる我がこゝろ 男子今年二十年 飛躍の準備(そなへ)今なりぬ 6番歌詞 光陰矢のごとし、時の過ぎるのは早い。向ヶ丘を去る日は近い。前の韓国統監伊藤博文公がハルピン駅頭で韓国併合に反対する独立運動家の安重根に暗殺されたのをみて、日本の将来はどうなるのかと思いをめぐらし、世に出る時をじっと待っていた。我は寄宿寮と同じ20歳の男児である。世に出て活躍する準備は既に出来ている。

「弦月傾く影」
 伊藤博文暗殺をいう。明治42年10月26日、満州視察と日露関係調整のため渡満し、ハルピン駅頭で朝鮮独立運動家の安重根に暗殺された。「弦月傾く」は、片割れ月が西に傾く意。凶弾に倒れたと解した。他に、明治42年3月1日紀念祭の全寮茶話会で起こった大学生末弘巌太郎等による新渡戸校長排斥事件も考えられるが、「祖國の歴史を偲びつゝ 時世待ちたる我がこゝろ」の語句から、伊藤博文暗殺と解した。

「祖國の歴史(あと)を偲びつゝ」
 日本の将来がどうなるのかと思いをはせて。「偲ぶ」は、心ひかれて思いをはせる。

「男子今年二十年」
 開寮二十周年の意もあるが、寮も二十歳、我も二十歳と調子を合わせたのだろう。
            
       
先輩名 説明・解釈 出典
森下東大達朗先輩 第一節の第一句から第四句までは、すべて島崎藤村の『晩春の別離』という詩を踏まえる。   
「みやびつくせしいにしへの/笛のしらべはいづくぞや」
緑の海に浮かびたる/草軟らけきグリイスよ
「草の緑はグリイスの/牧場を今も覆ふとも」
藝術の神の住ふ國 ― 藝術の神はミューズを指す。
「藝術
(たくみ)
の神のかんづまり/かんさびませしとつくにの」                
「一高寮歌解説書の落穂拾い」から
     

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