旧制第一高等学校寮歌解説
天路のかぎり |
明42治年第19回紀念祭寄贈歌 京大
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1、 岩根のひまゆ 曙の色生むところ 吾がはらからの自治の國 2、大宮人にあらねども さヾ浪青きみづうみに 水馴の櫂をたにぎれば 志賀のから崎雨晴れて 夕濱千鳥なれもまた 友よぶこゑのしげきかな 3、あゝ友あだし名はすてよ 去りにしほまれ追う勿れ うるめる瞳かヾやかし 双腕張りて進まずや |
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原譜1段4小節5音は、付点4分音符を4分音符に訂正した。 調・拍子は変更ない。その他、譜の変更は昭和10年寮歌集で、次のとおり。 1、「みさくれば」(2段2小節)及び「うむところ」(3段2小節) ドーミソーラソー 2、「じちのくに」(3段4小節) ソ(3小節) ミーレーミドー、「じちーのくにー」と弱起に変更された。後の明治45年福岡醫科大學寄贈歌「筑紫の富士」の最後の「しのーぶーかなー」と歌い崩したのと同じ手法である。 |
語句の説明・解釈
後年、三高校長として旧制高等学校の存続に一高天野校長とともに奮闘した落合太郎の作詞寮歌。昭和10年寮歌集で、はじめて「落合太郎」作詞と寮歌集に記載された。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
1番歌詞 | 翼があれば、懐かしい向ヶ丘に一飛びで行けるのに、広い大空をどこまでも飛んで行ける鷲がうらやましい。比叡山の岩間から遠くはるかに見やれば、空一面に幾重にも重なった雲が行く手を閉ざしているが、朝、太陽が昇って真っ赤に明るくなる東の方に、わが兄弟たちの一高自治寮がある。 「天路のかぎり飛ぶわしの」 「天路」は、天界にある路。ここでは、果てしない大空程の意。 「鶴見祐輔一高大先輩は、飛行機に搭乗の時は、この寮歌を何時も口ずさむでいたという。」(佐野清彦一高先輩「一高寮歌拾遺を語り歌う」) 「飛行機を鷲に喩えたものであろう。明治36年に有名なライト兄弟が人類初の有人動力飛行に成功し、この寮歌の前年の明治41年10月には兄のウィルバー・ライトが高度115mまで上昇、同12月には2時間20分の飛行に成功するなどして、この当時、飛行機は世界中の人気と関心の的であった。」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」) 鳥ないし鷲を飛行機に喩えた寮歌の例(ただし、軍用機)。 「怪鳥焦土に羽搏けば 朔風怒り胡沙を捲く」(昭和13年「怪鳥焦土に」1番) 「荒鷲は疾風に翔り 長江に血潮彩る」(昭和13年「蒼溟の深き」5番)) 「かげこそしたへ」 翼があれば、向ヶ丘に一飛びで行けるものを、広い大空をどこまでも飛んでゆく鷲がうらやましい。 「かげ」は、(光によって見える)実際の物の姿。鷲の姿。 「したふ」は、関心・愛着を持ってあとを追うこと。 「岩根のひまゆ見放くれば」 「ゆ」は、・・・から。岩根の間から。 「見放く」は、遠くはるかに見やる。 万葉17 「しばしばも見放けむ山を心なく雲の隠さふべしや」 「八重棚雲」 幾重にもたくさん重なった空一面にわたる雲。 記神代 「天の八重たな雲を押し分けて」 「曙の色生むところ」 太陽が昇る東の方。「曙の色」は、淡紅に黄味を帯びた色だが、真っ赤と訳した。 「吾がはらからの自治の國」 向ヶ丘の一高自治寮。「はらから」は、兄弟。一高生。 |
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大宮人にあらねども さヾ浪青きみづうみに 水馴の櫂をたにぎれば 志賀のから崎雨晴れて 夕濱千鳥なれもまた 友よぶこゑのしげきかな | 2番歌詞 | 昔、柿本人麻呂が廃墟となった志賀の都を訪れ、「ささなみの志賀の辛崎幸くあれど 大宮人の船待ちかねつ」と詠った琵琶湖。かって近江朝の大宮人が舟遊びをしたように、波が静かな湖に、いつものオールを握りボートを漕ぎだす。大宮人が来るべくもない船を待ったという唐崎の港に着いたのは夕方であった。唐崎の港は、また広重の描く近江八景の一つ「唐崎の夜雨」で有名である。四方に見事な枝を張り笠を伏せたような一つ松に夜の雨が降り注ぐ風景は、近江八景に選ばれただけあって、誠に風情がある。しかし、今は雨は晴れていて、その風情はない。夕闇迫る浜辺に目をやると、千鳥が群れとなって、しきりに鳴いている。仲間を呼んでいるのであろうか。人麻呂が「夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに古思ほゆ」と詠ったように、向ヶ丘の友は、今頃どうしているだろうかと、しみじみと思い出され、もの悲しくなるばかりだ。 「大宮人にあらねども さヾ浪青きみづうみに」 昔、琵琶湖で舟遊びをした近江朝の大宮人ではないが、波静かな琵琶湖に。 「大宮人」は、公卿。宮中に使える人。近江朝の時に、琵琶湖で舟遊びに興じていた大宮人。壬申の乱で、都が再び大和の地に遷ったため、志賀の都は廃墟となり、舟遊びをする大宮人もいなくなった。唐崎の港で、いくら船を待っても、船は港に帰って来ない。 「さヾ浪青きみづうみに」は、波静かな琵琶湖に。「さゞ浪青き」とは、白波が立っていない波静かな湖の意。 万葉30 人麻呂 「ささなみの志賀の辛崎幸くあれど 大宮人の船待ちかねつ」 「水馴の櫂をたにぎれば」 いつものオールを握ると。琵琶湖でボートの練習でもしているのであろうか。「水馴れ」は水に浸ることになれるの意で、「身馴れ」とかけることが多い。たにぎればの「た」は接頭語。動詞・形容詞の上につく。意味は不明。「たやすし」等と使う。 「志賀のから崎雨晴れて」 志賀のから崎は、琵琶湖南西岸にある崎。松と月の名所である。 安藤広重が描いた近江八景の一つ「唐崎の夜雨」を踏まえる。ただし、広重の描く「唐崎の夜雨」のように雨ではなく、「雨晴れて」。 芭蕉 「辛崎の松は花より朧にて」 「夕濱千鳥なれもまた 友よぶこゑのしげきかな」 「千鳥」は、チチと鳴いて群れをなして飛ぶ。「しげき」は、絶え間なく。しきりに。夕暮れの濱辺でさかんに鳴く千鳥の群に一高生をダブらせる。向ヶ丘で友と楽しく過ごしたことを懐かしく思い出しているのである。人麻呂の次の歌を踏まえる。 万葉266 人麻呂「淡海の海夕波千鳥汝が鳴けば 心もしのに古思ほゆ」 「博多の海の浪枕 千鳥の夢は深くとも」(明治43年「春の朧の」2番) 「歡呼の浪の岸を打ち 千鳥友よぶ自治の海」(明治43年「新草萠ゆる」2番) 「立つ白波に友千鳥 心へだてず聲かはす」(明治36年「筑波根あたり」7番) |
あゝ友あだし名はすてよ 去りにしほまれ追う勿れ うるめる瞳かヾやかし |
3番歌詞 | あゝ、友よ。この世のはかない名誉など追うことは止めよ。かって一高野球部が天下の覇権を握っていたことなど、過去の栄光を追うことは止めよ。うるんだ瞳を輝かせ、大空高く悠々と翔ける鷲のように、胸を張って堂々と前進しようではないか。いよいよ増す光りを求めて、どんな障害も乗り越え、天が定めた運命さえ自ら切り開いていく意気がほしい。 「あゝ友あだし名はすてよ」 この世の名誉など追う勿れ。「あだし」はアダ(不実)の形容詞形と考えられるが、常に名詞と複合した形で使われる。 「消えて果敢なき名は追はじ」(明治40年「仇浪騒ぐ」5番) 「水な面に畫く名にあらず」(明治42年「わが行く方は」3番) 「去りにしほまれ追ふ勿れ」 昔の輝かしい事績にばかり拘ってはいけない。前に向って努力し、新しい向陵の歴史を積み重ねよ、ということ。かって一高野球部が天下の覇権を握っていたことなど。 「うるめる瞳かゞやかし」 うるんだ瞳を輝かし。「うるむ」(潤む)は、通常、四段活用で連体形は「うるむ」。「うるめるひとみ」と七語に語数を揃えるためと思われる。 「双腕張りて進まずや」 1番歌詞の「天路のかぎり飛ぶ鷲」から、上昇気流に乗って大空高く両翼を張って帆翔する鷲のように、天下の一高生として自由に堂々と胸を張って前進しようではないかの意。また、「水馴れの櫂をたにぎれば」との関連でいえば、両腕でオールを漕いで進む様子も連想される。 「天をも捨つる意氣もがな」 運命を捨てる、すなわち運命を切り開く意気がほしい。「もがな」は、・・・がほしい。・・でありたい。 |
はるばる遠くむさしのゝ かすみ色濃き彼方より 吹き |
4番歌詞 | その昔、能因法師が「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」と詠ったように、東国は、京都から遠くはるか彼方にある。その東国の一高から吹いて来た紀念祭を知らせる春風に、京都の一高同窓生の気分も高まって、昔と同じように紀念祭を催す。幾久しい自治寮の彌栄を祝うことの楽しさよ。 「はるばる遠くむさしのゝ」 はるばる遠い武蔵野の。「むさしのゝ」は昭和50年寮歌集で「むさしのの」に変更された。「むさしの」は、武蔵野の一高の意である。 「吹き來し風」 一高から京都に吹く東風。春風。紀念祭を知らせる風である。 「東風ふくのべに薫りきて 筑紫のはても春めきぬ」(明治37年福岡醫大「曉がたの」4番) 「かすみ色濃きかなた」 濃い霞のかかったはるか彼方。能因法師の次の歌を踏まえるか。 後拾遺518 能因法師「都をば霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く白河の関」 「舊都城」 京都。 「春花小草萠ゆる日を」 「春草小草」は、京大に進学した一高生を暗示する。「萠ゆる」は、芽吹く。京都の一高同窓生の気分も高まって、と訳した。 「むかしながらのまどゐして」 一高生の昔と同じように、紀念祭を祝う。「まどゐ」は円居で、輪になってすわること。(楽しみの)会合。 「千代もと祝ふ」 幾久しい自治寮の彌栄を祝う。 |