旧制第一高等学校寮歌解説
緋縅着けし |
明治42年第19回紀念祭寮歌 朶寮
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1、緋縅着けし若武者は 鎧に花の香をのせて 旅立ちしより幾春や めぐりてこゝにきたりけむ 7、槍は銹びても名はさびぬ 昔ながらの落しざし さらばよ磨け自治の魂 鍛へよ健兒破邪の劍 |
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1段2小節は原譜のままであれば、4分の3拍子の不完全小節だが、4拍子とするため4分休符を置いた。 ハ長調・4分の4拍子は変更なし。その他、譜は次のとおり変更された。 1、「わかむしゃは」(1段2小節) ソーーソミーミドー(大正14年寮歌集)、さらに、ミソーミーソドーー(昭和10年寮歌集) 2、「よろいにはなの」(2段1小節)の「な」 ファ(平成16年寮歌集) 3、「かーをのせて」(2段2小節)の「かー」 ラーソドードドーー(昭和10年寮歌集) 4、「いくはるや」(3段2小節) レーミラーラソーー(昭和10年寮歌集)、さらに、ミソーラーラソーー(平成16年寮歌集) 5、「めぐりてここに」(4段1小節) ドーラソーミレーミソー(平成16年寮歌集、5音ミのみ昭和10年寮歌集) 6、「きたりけん」(4段2小節) ソラーソーラドー(昭和10年寮歌集) |
語句の説明・解釈
一高寮歌には珍しく2・3・4・5番と順に春夏秋冬に詠む。季節こそ違うが、各地への行軍の思い出(私の憶測)を詩情豊かに描写し、向陵生活を回顧しながら、最後は「さらばよ磨け自治の魂 鍛へよ健兒破邪の劍」と締めくくる
。まるで大学生の寄贈歌のような内容の寮歌だが、現役の寮生による「朶寮寮歌」となっている。 この寮歌の作詞者については古くから疑問が出ていた。井上司朗大先輩の「一人の作詞者が、同じ年に中寮と朶寮の二つの寮歌をつくることが、何としても不思議に思えてならなかったが、、杉本良大先輩からのお手紙で、いづれか一方は、同期の古尾谷鉄太郎氏の作ならずやとのご注意があった」(「一高寮歌私観」)との指摘をもとに、平成16年の一高同窓会最後の寮歌集で、この寮歌の作詞者は佐野秀之助、もう一方の寮歌「紅雲映ゆる」は佐野から古尾谷鉄太郎に変更された。 作詞者の佐野秀之助は東大採鉱の教授で、昭和30年12月24日にお亡くなりになった。生前、同窓会ないし寮歌愛好家が直接に確認しなかったのは、返す返す残念である。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
緋縅着けし若武者は 鎧に花の香をのせて 旅立ちしより幾春や めぐりてこゝにきたりけむ | 1番歌詞 | 華やかな緋色に染めた縅を着けた若武者のような凛々しい一高生は、数々の手柄を立て、天下にその名を上げながら、自治の旅に旅立ってから何年経ったろうか。歳月は巡って、今日、開寮19周年を迎えた。 「緋縅着けし若武者は」 「緋縅」は、鎧の縅の一つ。華やかな緋色に染めた革・綾・糸組の緒で威したもの。縅とは、鎧の 「緋縅しるき若武者の そびらの梅に風ぞ吹く」(明治38年「王師の金鼓」5番) 落合直文 「緋縅の鎧をつけて太刀はきて 見ばやとぞおもふ山ざくら花」 「鎧に花の香をのせて」 栄光の歴史をいうか。数々の手柄を立て、天下にその名を上げながら。 「旅立ちしより幾春や」 開寮してから何年たったであろうか。 |
遠山がすみ暗に消え |
2番歌詞 | 夕映えに赤く染まった野道を辿っていたら日が暮れてしまった。最後まで日の当たっていた遠くに見えた山もかすんで、ついに夕闇の中に消えた。星の光に照らされた菜の花の香に酔って、朝まで過ごしてしまった春の夜もあったことよ。 「黄金の野路にゆきくれて」 「黄金」は、夕焼け。「ゆきくれて」は、行く途中で日が暮れて。 高浜虚子 「遠山に日のあたりたる枯野かな」 *遠山は冬の季語。 平忠度 「行き暮れて木の下かげを宿とせば 花や今宵のあるじならまし」 「菜の香にうつる星影に」 星影にうつる菜の香に、の意か。 |
千歳の色は |
3番歌詞 | 紺青色の波は、幾年も幾年も流れ流れて岸辺に打ち寄せ、清く白い波となって砕ける。一の谷の合戦で討死した平忠度は、戦の最中でも、このような浜辺で馬上静かに歌を詠んだのであろうか。平家の都落後、都に戻り歌の師俊成に自詠の巻物を託した故事を思い浮かべながら、浜辺に佇み潮の香を浴びた夏の日もあったことよ。 「紺青」 鮮やかな明るい紺色。 「馬上静かに歌よみて 潮の香浴びし夏に日よ」 平氏一門の都落ちの際、都へ引き返して歌の師藤原俊成に自詠の巻物を託した平忠度の故事(「青葉の笛」2番)を踏まえるか。 「青葉の笛」2番 更くる夜半に門を敲き わが師に託せし 言の葉あはれ 今わの際まで持ちし箙に 残れるは「花や 今宵」の歌。 「平忠度の故事を下敷きにしているのかとも思われるが・・・確かでない。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」) 明治40年10月22日の千葉県銚子地方への行軍の思い出か(ただし季節は秋)。 |
4番歌詞 | 白いすすきの穂が強風になびく曠野を馬で駈けるように地響きを立てて行軍したので、草の葉に結んだ露の玉は散り、虫も驚き音を止めた秋の夕もあったことよ。 「野分になびく廣野原」 明治39年10月23日から25日、富士の裾野へ行軍、御殿場に宿泊したが、雨のため24日は完全休息せざるを得なかった。この行軍を踏まえてか。 「野分」は、暴風、台風。また、秋から冬にかけて吹く強い風。 「鐙に露の玉散らし」 「鐙」は足踏みの意で、鞍の両脇に下げ騎者の足を踏みかける馬具。 |
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5番歌詞 | 吹雪は空に舞い上がり、行く手の景色は荒れ果てもの悲しく、全く静かである。山犬と狼が吼える奥深い山道を、勇気を出して越えた冬の朝もあったことよ。 「荒涼として寂として 豺狼吠ゆる深山路を」 明治41年10月12日、日光地方へ行軍。季節こそ異なるが、戦場ヶ原を連想させる。 「豺狼」は、やまいぬとおおかみ。 |
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ふりさけみれば |
6番歌詞 | 一高寄宿寮の栄光の歴史を振返る時、先人の活躍や苦労に血潮湧き、涙が溢れる。春3月、彌生が岡の紀念祭の宴に、過ぎ去った遠い過去の我が寄宿寮の栄光の歴史を語ろうではないか。 「ふりさけみれば」 「ふりさけ」は、振り向いて遠くを望む。サケは遠ざける意。 阿倍仲麻呂 「あまの原ふりさけ見れば春日なる みかさの山に出でし月かも」 万葉994 「ふりさけて三日月見れば一目見し 人の眉引思ほゆるかも」 「彌生の春の饗宴に」 開寮紀念祭のこと。この頃は例年3月1日に開催された。「彌生」は、3月と彌生が岡をかける。 「その古を語らばや」 「ばや」は希望の助詞。話し手自身の行為を表す語について自分の希望を表す。 |
槍は |
7番歌詞 | 端唄に「槍は銹びても名はさびぬ 昔ながらの落しざし」とあるように、武士たるもの、たとえ主家を去り、禄を失っても名を大切にする武士の魂を失うことはない。そうであるように、一高生は、一高生の魂である自治を大切にしなければならない。理想の自治に向って、礎を強化し、邪魔するものがあれば、これを斬って捨てなければならない。 「槍は銹びても名はさびぬ 昔ながらの落しざし」 端唄『槍さび』 「槍はさびても名はさびぬ 昔忘れぬ落とし差し」 江戸時代の文政年間(1818~1830)の流行歌「与作踊り」の音頭をもとに、幕末に歌沢笹丸が歌詞を改め、節付けしたものという。主家を去り、禄を失った侍の意気地をうたう。 「落しざし」は、 「よし名槍は錆をくも 傳へ殘さん名は錆びじ」(大正7年5月「東寮告別歌」5番) 「破邪の劍」 誤った見解を打破る剣。自治を邪魔するものを切り捨てる剣。破邪顯正。 「破邪の劍を抜き持ちて」(明治35年「嗚呼玉杯に」5番) |