旧制第一高等学校寮歌解説

紅雲映ゆる

明治42年第19回紀念祭寮歌 中寮

スタートボタンを押してください。ピアノによる原譜のMIDI演奏がスタートします。 スタートボタンを押してください。現在の歌い方のMIDI演奏がスタートします。
1、紅雲映ゆる曙の色    波に明珠の影みれば
  橄欖香る玉殿に      侍衞の夢の深き時
  柏の森に鐘なりて     今年十九の春來る
*「侍衞」は昭和50年寮歌集で「侍衛」に改訂。

2、大津の浦の初嵐      青葉城下の凱歌(ときのこゑ)
  神樂ヶ丘に武夫の     鎧に散りし(はな)のひら
  流水遠く春更けて     (はえ)の誓ぞしたはるゝ

4、高樓(れん)を捲き去れば   落ちゆく月は(まど)からず
  海のかなたの國いかに  隣邦玉座寒くして
  正義の(ちかひ)思ふとき     誰が舞曲を耳にせむ

5、白蘋州に水清く      芙蓉の雪に星淡し
  祖國の使命思ふ時    高き理想の(しの)ばれて
  濁りに染まぬ白糸の   纓を孤城に我絶たむ

4段4小節のドは、4分音符であったが、付点4分音符に訂正した。また、2段3小節歌詞「えれば」は、「みれば」の間違いだが、そのままとした。
3段の高音部を歌いこなすのは、私には相当に辛い寮歌である。現譜では1オクターブ(キーを上げているので、実際は4度)下げているので、歌い易くなっている。

 
この寮歌は、大正14年2月1日発行の寮歌集(以後大正14年寮歌集という)を中心に次のとおり変更された。
1、調・拍子  ハ長調4分の2拍子からト長調4分の2拍子に変更された。
2、「こーうん」(1段1小節) 「ドーミソー」を「ミーミソミ」(大正14年寮歌集)、さらに「ミーミソーミ」(昭和10年寮歌集)に変更。
3、「かほる」(3段4小節) 「ソーソドー」を「ソーラドー」(大正14年寮歌集)に変更。
4、「じえいの ゆめの ふかきと き」(4段) 「ラーソファーミ レーレレー ソーソソーソ ドー」を「ラーソミーレ ドーレミーミ ソーソーソ ドー」(大正14年寮歌集)に変更。
5、「かしはの」(5段1小節) 「ドーミソーミ」を「ミーミソーミ」(大正14年寮歌集))に変更。
6、「ことし じゅーくの」(6段1・2小節) 「ラーソーファ ミーレード」を「ラーソーソ ミーレドード」(大正14年寮歌集)に変更。
7、「はるきた」(6段3小節) 「レーレソーソ」を「レーミソーソ」(大正14年寮歌集)に変更。
8、「なー」(2段1小節)・「にー」(5段2小節)にスラーをつけた(昭和10年寮歌集)
 

 大正12年9月1日、関東大震災が発生したため、寮歌集の原版を消失したかに伝え聞く(当時の一高寮歌集印刷所は、本郷区森川町1番地にあった大學新聞印刷部である)。そのため校友会は新たに寮歌集を原版から作り直す必要が生じた。従来の横型の寮歌集から縦型(縦横の大きさは現寮歌集に同じ)に形を変えるとともに、各寮歌の譜を当時歌われていたように修正し、また各寮歌には作歌(当時は一高も作詞とは言わなかったようだ)作曲者を明示するようになった。震災の混乱の中、たいへんな努力をもって大事業をなし得た。私たちは、先輩から昭和10年のハーモニカ譜から五線譜に寮歌集を書換えた時に、同時にこれらの事業を初めて実施したかに聞いたが、五線譜化を除く大部分は、震災後の寮歌集復活作業の中で実施されたもののようである。復活寮歌集は大正13年11月1日に三つ柏印刷所で印刷され、校友に配布された。私がこのほど手に入れた寮歌集は、それから最初の紀念祭のために大正14年2月1日に増刷発行されたもので、大正14年第35回紀念祭寮歌は追加されていない。
 大正13年寮歌集は、一高寮歌集の中で、資料として昭和10年寮歌集に決して劣らない貴重な寮歌集ではないだろうか。


語句の説明・解釈

「紅雲映ゆる」(明治42年中寮)「緋縅着けし」(明治42年朶寮)は、ともに佐野秀之助の作詞とされてきた。これについて、井上司郎大先輩は「一高寮歌私観」で、「一人の作詞者が、同じ年に中寮と朶寮の二つの寮歌を作ることが、何としても不思議に思えてならなかったが、(先輩からのお手紙、その他から)『紅雲映ゆる』は古尾谷氏、『緋縅つけし(そのまま)』の方が佐野氏らしく思われる」と述べている。平成16年寮歌集では、これ等を踏まえ、本寮歌の作詞者は「古尾谷鐵太郎」と変更された。

語句 箇所 説明・解釈
紅雲映ゆる曙の色 波に明珠の影みれば 橄欖香る玉殿に 侍衞の夢の深き時 柏の森に鐘なりて 今年十九の春來る 1番歌詞 夜がほのぼのと明け、雲が真っ赤に燃えている。やがて雲を突き破って太陽が顔を出すことであろう。一高生が橄欖の香る一高寄宿寮に深く眠っている時、醒めよとばかりに柏の森に鐘が鳴って、第19回紀念祭の日がやって来た。

「紅雲映ゆる曙の色」
 「紅雲」は、朝焼の雲また花の雲。前者と訳した。「曙」は、夜がほのぼのと明け始める頃。

「波に明珠の影みれば」
 「波」は、紅雲の波。「明珠」は、透明で曇りのない玉。優れた人物のたとえ。ここでは、やがて雲を突き破って顔を出す太陽と解す。

「橄欖香る玉殿に 待衛の夢の深き時 柏の森に鐘なりて」
 橄欖の香る一高寄宿寮に、一高生が、まだ深く眠っている時、向ヶ丘に鐘が鳴って。「柏の森」は向ヶ丘。橄欖も柏(葉)も一高の象徴。「橄欖香る玉殿」は一高寄宿寮を美化した表現。「待衛」は貴人のそば近く仕えて護衛すること。ここは一高生。一高の武の象徴の柏葉の「柏木」は、カシワの木に葉守の神が鎮座するという伝説から、皇居守衛の任に当る兵衛および衛門の異称。「侍衞」は、昭和50年寮歌集で「侍衛」に変更された。

「今年十九の春」
 第19回紀念祭(3月1日)のこと。
大津の浦の初嵐 青葉城下の凱歌(ときのこゑ) 神樂ヶ丘に武夫の 鎧に散りし(はな)のひら 流水遠く春更けて (はえ)の誓ぞしたはるゝ 2番歌詞 南北寮廃寮計画を撤回させ自治を守った南北寮分割事件、対二高撃剣試合で青葉城址にあげた鬨の聲、対三高野球戦で三高を鎧の袖の一触れに花と散らした神楽が岡など、一高寄宿寮の歴史は栄光に輝く。時は過ぎ遠い昔のこととなったが、先人が固く守ってきた栄光の自治は、我々が引き継ぎ、守っていかなければならない。

「大津の浦の初嵐」
 「大津の浦」は、明治27年、神奈川県三浦郡浦賀町字大津に開設した水泳場。「初嵐」とは、向陵史上名高い明治30年に起こった南北寮の分割問題。高等師範の臨時養成所設置の為、老朽化した南北寮を廃止し、東西寮に統合する計画が発覚、これを聞きつけた寮生が大津水泳場にいた校友に報告したことから、自治制度の根幹を揺るがすものとして大問題になった。 寮生の計画阻止の奔走と熱意により、久原校長が翻意し、計画は撤回された。
 「南北寮事件は、やがて新しい南北寮と中寮の建設となり、東・西・南・北・中の五寮が完成して全寮制の結果につながることになる。」(「一高自治寮60年史」から)
 「大津の浦にものゝふが 夢破りけん語草」(明治36年彌生が岡に」2番)

「青葉城下の凱歌」
 明治39年4月4日、仙台遠征、対二高撃剣試合での勝利をいうか。さらに古く、明治32年の対二高柔道試合で前年の雪辱を果たした勝利まで遡るか。あるいは、当時、復活の噂があった二高との柔道対校試合(明治33年以来中止)での勝利を見込んでの歌詞か。実際に二高との柔道試合が実現したのは紀念祭の1年余の後、明治43年のことである。
 「北仙臺のますらをと 戰ふうはさ聞きしとき われ等が血潮躍りにき」(明治41年「としはや已に」2番)

「神楽ヶ岡」
 京都市左京区にある小さい丘、吉田山。三高があるところ。

「鎧に散りし花のひら」
 明治41年4月8日、対三高野球戦で一高が勝利したこと。「花のひら」は、三高の校章・桜花。

「流水遠く春更けて」
 時は過ぎ遠い昔の事となったが。

「榮の誓ぞしたはるゝ」
 「誓」は、神仏にかけて決めた約束。「榮の誓」は、自治。「したふ」は、関心・愛着を持ってあとを追う。従い学ぶ。
 「かへりみすれば幾歳の 歴史は榮を語るかな」(明治36年「彌生が岡に地を占めて」2番)
 
(うたげ)のどよみ雲に入る 舞殿の春の夢深く 花の榮華に世はなれて 彫龍朱欄香を高み  玉簾もるゝ銀燭の 光消えなで夜や明けむ 3番歌詞 宴のどよめきが雲にも鳴り響くような大宴会を催したり、時に池に船を浮かべては、また舞殿で演劇を楽しむ。毎日、贅の限りを尽くして安逸を貪っている。豪華絢爛の高殿の玉簾から漏れてくる燭台の光り輝く灯の光は、夜が明けるまで消えない。
 
 「第三節全体は、贅沢な生活に安逸を貪る榮華の巷のさまを歌っている。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)との説もあるが、「彫龍朱欄香を高み」(龍は中国皇帝のみに許される)、「舞殿」等の語句から、ここは隣邦清朝の贅を尽くした、特に西太后の豪華な離宮・頤和園の生活を描いたものと解し、語句を説明する。

「宴のどよみ雲に入る 舞殿の春の夢深く 花の榮華に世はなれて」
 西太后が晩年のほとんどを過ごした頤和園での豪華な生活をいう。
 「宴」は、頤和園に作らせた石造りの船の形をした石舫での豪華な食事。食前には、日常で150種類以上、時には300品の料理が並んだという。食事の後は、臣下を引き連れ、池にかかった趣の異なる橋を巡る舟遊びに興じた。池の橋といっても、短いものではなく、最も有名な十七孔橋などは長さ150mもあった。
 「舞殿」は、頤和園の徳和園大妓楼。無類の京劇好きであった西太后が、時に自ら作った物語を宦官に演じさせ楽しんだという。一説に、日清戦争で清が負けたのは、この頤和園の築造に西太后が膨大な費用をつぎ込んだからという。

「彫龍朱欄香を高み」
 龍を彫り欄干を朱の色に塗って美を尽くした高殿。「龍」は清朝皇帝の象徴で、その使用は皇帝のみに許される。清朝の宮殿紫禁城、離宮頤和園をいう。「香」は、匂いのほかに、目に見える美しさにもいう。「み」は接尾語で、形容詞語幹について体言を作る。「高み」は高い所、高殿。豪華絢爛の高殿。

「玉簾もるゝ銀燭の」
 「玉簾」は、玉で飾ったすだれ。「銀燭」は、光り輝く燭台の灯。

「光消えなで夜や明けむ」
 「なで」は、完了の助動詞ヌの未然形ナに、打消しの意をもつ助詞デのついた語、・・・しないで。・・・せずに。不夜城の状態をいう。
高樓(れん)を捲き去れば 落ちゆく月は(まど)からず 海のかなたの國いかに  隣邦玉座寒くして 正義の(ちかひ)思ふとき 誰が舞曲を耳にせむ 4番歌詞 高殿の簾を巻き上げ西の空を見上げると、欠けた月が落ちてゆく。西の海の彼方の国に何かあったのだろうか。清朝では、光緒帝、摂政で権勢を恣にした西太后が相次いで亡くなったのだ。義和団事件後、半植民地化が著しく進んだ。このままでは清朝が滅亡してしまうとの強い危機意識の下に、日本の明治維新にならい、諸制度の近代化方針を打ち出したばかりだ。9年後に憲法を公布し、議会を開くと国民に約束した。この光緒新政に国の命運をかけ、必死になって国の頽勢を挽回しようとしている時に、舞曲などに興じることは、もってのほかだ。

「落ちゆく月は圓からず」
 欠けていく月、ものが衰微していく様子をいう。「落ちゆく月」は、中国・清朝。
 張継 楓橋夜泊       
 月落烏啼霜満天 江楓漁火対愁眠 姑蘇城外寒山寺 夜半鐘声客到船

「隣邦玉座寒くして」
 明治41年8月27日、清朝の光緒帝没、翌日、摂政で権勢を恣にした西大妃没。3歳の宣統帝が即位したが、辛亥革命により6歳で退位させられた。隣邦は中国清朝、玉座寒くは、王朝が衰微し、皇統が今まさに絶えようといること。
 「闇に埋もれて影なけん 見よ隣邦の帝國を」(明治35年「混濁の浪」3番)

「正義の盟」
 清朝の憲法公布・議会開設を約束した「光緒新政」と解す。清国の独立と領土の保全を約した日米間の高平ールート協定(明治41年11月)とした従来の説を改める。
 西太后は、義和団事件の結果、清の半植民地化が著しく進み、このままでは清朝が滅亡してしまうとの強い危機意識の下に、従来の保守的態度を改め諸制度の改革に努めた。明治41年8月27日、9年後の憲法公布・議会開設を約束し、同年9月22日には欽定憲法大綱を公布した。かって西太后が自ら潰した、日本の明治維新にならった康有為らの戊戌変法を基本としたものであった。明治41年、清国政府委託留学生を一高に派遣したのも、この改革の一環であった。

 「明治40年7月の日韓協約を指すと思われるが、明治41年度における、満鉄の鉄道に関する協定をも指すのかもしれない」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 「自治寮創設当時の反俗の盟約(籠城主義)を指しているのではないか。隣邦の帝位が危うくなっているような非常時にあって、あの自治寮創設時の盟約を思い起せば、誰が舞曲に浮かれていることなどできようか、くらいの意味になろう。」(森下東大先輩「一高寮歌解説書の落穂拾い」)

「誰が舞曲を耳にせむ」
 国の命運をかけ、光緒新政で、必死になって諸制度の改革を進めようとしている時に、舞曲などに興じることは、もってのほかだ。前述の西太后がこよなく愛した頤和園・徳和園大妓楼での京劇を念頭に置いたものであろう。
白蘋州に水清く 芙蓉の雪に星淡し 祖國の使命思ふ時 高き理想の(しの)ばれて 濁りに染まぬ白糸の 纓を孤城に我絶たむ 5番歌詞 白い花の白蘋の咲く州は水清く、富士山の白雪に星は淡く映える。東亜の盟主たらんとする祖国の使命を思う時、その高き理想が慕わしい。自分は、白蘋や富士の白雪のように真っ白で純粋無垢の心を持っているので、たとえ一人孤立しても祖国の使命のためなら世に先がけて起つ覚悟である。

「白蘋州に水清く 芙蓉の雪に星淡し」
 白蘋の咲く州は水清く、富士山の雪に星は淡く映える。純粋無垢清廉潔白のことで、「濁りに染まぬ白糸」も同旨。
 「白蘋」は葉が十字形で白い花をつける水草。

「祖国の使命」
 東亜の盟主たらんとする使命。八紘一宇。
 明治天皇 「よもの海みなはらからと思ふ世に など波風のたちさわぐらむ」 
 「先づ東洋を照しつヽ やがて及ばん五大洲」(明治42年「闇の醜雲」1番)
 
「纓を孤城に我絶たむ」
 たとえ一人孤立しても祖国の使命のためなら世に先がけて起つ覚悟である。
 「纓を孤城に君絶たば 陳勝呉廣我れ期せん」(明治40年「あゝ大空に」6番)
今宵紀念の歌筵 花影(くわゑい)さゆらぐ自治燈に 眉を上ぐれば凌霄の 若さ血潮のたぎり來て かさす護國の旗かげに 忍ぶに餘るはなふヾき 6番歌詞 今夜は紀念の寮歌祭である。桜の花影が揺らぐ自治燈に、眉を上げれば、熱い血潮が滾って、意気は、空を凌ぐほど高い。一高生がかざす護國旗の旗影に、堪えられない程の花吹雪が舞う。

「凌霄」
 空をも凌ぐ。志、意氣が非常に高いこと。

「若さ血潮のたぎり來て」
 「若さ」は、大正14年寮歌集で「若き」に訂正された。

「かざす護國の旗かげに」
 護國の旗は、一高の校旗「護國旗」。三つ柏の真中に「國」の字が入る。色は深紅。
 「あはれ護國の柏葉旗 其旗捧げ我起たん」(明治37年「都の空に」10番)

「忍ぶに餘るはなふヾき」
 「偲ぶにあまる世のちりを」明治40年「思ふ昔の」4番)
                        


解説書トップ   明治の寮歌