旧制第一高等学校寮歌解説

玉の臺の

明治42年第19回紀念祭寮歌 北寮

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1、玉の臺のおばしまに      花ついばみて馴寄(なよ)るすべ
  知らねど若きまなざしに    あしたの空を仰ぎ見て
  諸羽うちふり天翔(あまがけ)る       雄心高き若人よ

3、塵の巷の(つら)けれど       くみて盡せぬ眞心を
  友の瞳に(むす)びける       三年(みとせ)(さち)を思ふにも
  我が世の意義(こゝろ)知りきとて    讃ふる人もありときく
*「盡せぬ」は昭和50年寮歌集で「盡きせぬ」に訂正。

4、桜みだるゝ去年の春      万里の潮呼ぶ力
  つちかはんとて唐人も     はるばる來り宵々を
  一ついらかの月影に      夢安らかにありときく
*「万里」は昭和50年寮歌集で「萬里」と訂正。
昭和10年寮歌集で、次のとおり変更された。
1、「たー」(1段1小節1・2音)がタイで結ばれた。
2、「おばしまに」(1段2小節)の「に」  1オクターブ低く変更。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
玉の臺のおばしまに 花ついばみて馴寄(なよ)るすべ 知らねど若きまなざしに あしたの空を仰ぎ見て 諸羽うちふり天翅(あまがけ)る  雄心高き若人(わかうど) 1番歌詞 向ヶ丘の一高寄宿寮に、快楽や贅沢には見向きもしないで、瞳を輝かせながら、将来、雄飛する日に備え、雄々しく高い志を持った一高生が元気に修業している。

「玉の臺のおばしまに」
 向ヶ丘の寄宿寮の窓辺に。「玉」は美称。「臺」は、四方を観望できるように作った高い土壇・建物。高殿。「おばしま」は、てすり、らんかんのこと。寄宿寮の窓辺を美化したものと解す。

「花ついばみて馴寄るすべ知らねど」
 快楽や贅沢は知らないが。快楽や贅沢には見向きもしないで。「花」は豪華な食事、快楽や贅沢の意。「「馴寄る」は、「馴れ寄る」の意か。「馴寄る」は辞書にはない。

「諸羽うちふり天翅る」
 元気よく大空を翔る。「諸羽」は、一高生のマント姿を髣髴させる。「うちふり」は、元気よく。
同じ浮世の追分に 袖すり合ひし朝ぼらけ 橄欖かほる(りく)寮の みどりの影のしたはれて 若き生命(いのち)美酒(うまさけ)に 盟を酌みし我れや君 2番歌詞 袖振り合うも多生の縁と、人生の旅の途中、本郷追分の一高寄宿寮で偶々知合った君と、橄欖の花の香る寄宿寮の木蔭に寄り添って、白々と夜が明けるまで話しあった。君と僕は、互いの熱い血潮を酌みかわし、友の契りを交わした。

「追分に袖すり合ひし」
 たまたま寄宿寮で起居を共にするようになった。
 「追分」は、道の左右に分かれるところ、分岐点のこと。本郷一高は、昔の街道名でいえば、中山道と岩槻街道(日光御成道)が分かれる追分にある。三年経てば、追分を別の道に別れ離れに歩む運命にある。
 「袖すり合ひし」は、「袖振り合うも多生の縁」の意か。道行く知らぬ人と袖が触れ合うことさえ宿縁による。奇しき縁により寄宿寮で知合った。
 「しばし木陰の宿りにも 奇しき縁のありと聞く」(明治40年「仇浪騒ぐ」2番)

「朝ぼらけ」
 夜がほんのりと明けて、物がほのかに見える状態。また、その頃。多く秋や冬にいう。春は、曙という。

「橄欖」
 一高の文の象徴。

「六尞」
 東・西・南・北・中・朶の6棟の一高寄宿寮。

「若き生命の美酒に 盟を酌みし我れや君」
 「若き生命の美酒」は、熱き血潮。「盟」は、肝胆相照らす友の契り。
塵の巷の(つら)けれど くみて盡せぬ眞心を 友の瞳に(むす)びける 三年(みとせ)(さち)を思ふにも 我が世の意義(こゝろ)知りきとて 讃ふる人もありときく 3番歌詞 塵に塗れた俗界の街は、薄情であるが、ここ向ヶ丘は、友情溢れる暖かいところだ。三年の間、酌んでも酌みつくせない真心を友の瞳に溢れる涙からもらった。三年間の寄宿寮生活で得たものを思うにつけ、向ヶ丘で、この世に生きる意義を知ったと讃える人もあると聞く。

「友の瞳に掬びける」
 友の瞳に生じた。「掬ぶ」は、手のひらを組んで水をすくい飲む。形をなす。結実する。

「盡せぬ」
 昭和50年寮歌集で「盡きせぬ」に変更された。

「三年の幸」
 「幸」は、狩や漁の獲物。向ヶ丘三年の寄宿寮生活で得たもの。

「人もありときく」
 「知惠と正義と友情の 泉を秘むと人のいふ」(大正15年「烟り争ふ」1番)
 カアル・プッセ 「山のあなたの空遠く『幸』住むと人のいふ。」
桜みだるゝ去年の春 万里の潮呼ぶ力 つちかはんとて唐人も はるばる來り宵々を 一ついらかの月影に 夢安らかにありときく 4番歌詞 桜が乱れ咲く昨年の春、半植民地状態を脱するために我国の明治維新に学ぼうと、はるばる海を越えて清国政府委託留学生が一高に入学した。一高生と仲良く同じ寮で、夢安らかに過ごしていると聞く。

「万里の潮呼ぶ力つちかはんとて」
 かって諸国が波濤万里を越えて、競って中国に朝貢に訪れたように、もう一度、盛んだった頃の国力を挽回しようと。具体的には、半植民地状態を脱し、近代国家として列強諸国と伍していく力をつけるために明治維新に学ぼうと。
 西太后は、義和団事件後、従来の保守的態度を改め諸制度の改革に努めた。明治41年8月27日、9年後の憲法公布・議会開設を約束し、同年9月22日には欽定憲法大綱を公布した。かって西太后が自ら潰した、日本の明治維新にならった康有為らの戊戌変法を基本としたものであった。「万里」は昭和50年寮歌集で「萬里」に変更された。

「唐人も はるばる來り宵々を」
 清国からの留学生については、すでに明治36年に31名を受入れたことがあったが、明治41年4月には、特設予科を置き、1年半の予備教育後、各高校に配置し、帝國大學進学の途を開いた。清国の近代化を応援しようとするものである。
今宵歡呼の諸聲に 一つの星の赫灼(かくやく)と ほまれを添ふる自治の旗 十九の星の光をば 道のしるべとたのみつゝ いざやいはゝん諸共に 5番歌詞 一高寄宿寮は、紀念祭の歓呼の声に今年また栄光の1年を加え、開寮19周年を輝かしく迎えた。19年の自治の光をこれから先の道の導として、さあ、皆と一緒に紀念祭を祝おう。

「一つの星 十九の星」
 今年また1年を加え、開寮19周年を輝かしく迎えたこと。星条旗のように自治の旗に星が刻まれているわけではない

「赫灼」
 光り輝くさま。ルビは昭和10年寮歌集で「かくしゃく」と変更された。
                        

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