旧制第一高等学校寮歌解説

紫淡く

明治41年第18回紀念祭寄贈歌 福岡醫科大學

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1、紫淡くたそがるゝ      向ヶ丘にわが立ちて
  下界はるかにながむれば さても汚れし人の世よ

2、玉ちりばめしおばしまの   かゞやき渡る高どのに
  まつしきものゝ血をすゝり  
をはむてふ鬼ぞすむ

3、
馬に鞭ちいろあやの   錦の袖をうちりて
  見よ幾くむれの魔神こそ  都大路を馳せ狂へ
*「うちりて」は大正14年寮歌集で「うちふりて」に変更。
*「幾く」は昭和10年寮歌集で「幾」に変更。


4、かゝるいぶせきうつし世に 入るべき山はあらじてふ
  人に示さんほこりてん    夢安らけき武香陵」

8、心の玉をみがかんに    他山の石をなにかせむ
  行けなが道の一すぢを   ゆめふみ迷ふ事勿れ


*歌詞4番毎に、」 があったが、昭和50年寮歌集で除去。
*原詞の漢字には一切ルビはない。
1段1小節1音「む」は8分音符であったが、誤植とみなし付点8分音符に訂正した。

ト長調・4分の2拍子は変わらないが、譜の上ではリズムは2転3転した。「タータ タタ」もしくは「タタ タータ」が基本であったものを、大正14年寮歌集、昭和10年寮歌集で、「タータ タータ」のリズムに統一した(1段2小節、4段1小節等を除く)。平成16年寮歌集で、これを全て「タータ タタ」のリズムに返した(ここに、タータとは付点8文音符と16分音符、タタとは8分音符8分音符のリズムである)。歌詞を歯切れよく歌うか、滑らかに歌うか好みによろう。「あわく」(1段2小節)、「さてもけ」(4段1小節、ただしメロディーは少し変わった)のリズムは変わらない。

 その他、譜の変更の主たるところは、次のとおりである。

1、「むらさき」(1段1小節) 「ソーソドレ」を「ソーソドーレ」(昭和10年)、さらに「ソードドレ」(平成16年)に変更。
2、「むかふがをかに」(2段1・2小節) 「レドレファ ミーミレー」を「レードレソ ミーミレミ」(昭和10年)、「レードレーソ ミーミ(タイ)レーミ」(昭和10年)、さらに「レードレソ ミーミ(タイ)レミ」(平成16年)に変更。これにより、「をーかにー」の歌い方が、「おーかーに」と変わった。
3、「ながむれば」(3段3小節) 「レーレレレ」を「レードレーミ」(昭和10年)、さらに「レードレミ」(平成16年)に変更。
4、「さてもけがれしひ」(4段1・2小節) 「ミソレファ ミレラシ」を「ミソミソ ミーレドソ」(大正14年)、「ミソミソ ミーレドーソ」(大正14年)、さらに「ミソミソ ミーレド(ブレス)ソ」(平成16年)に変更。


語句の説明・解釈

三高「月見草」(大正7年)の曲は、この一高寮歌の曲の流用である。「月見草」は、大正7年対一高野球部戦前の合宿中に三高野球部員により作られた。ということは、当時からこの歌は全国的に歌われていたということであろう。


語句 箇所 説明・解釈
紫淡くたそがるゝ 向ヶ丘にわが立ちて 下界はるかにながむれば さても汚れし人の世よ 1番歌詞 薄暗く黄昏れてゆく向ヶ丘に立って、はるか下界を眺めると、なんと汚れた人の世であることか。

「紫淡くたそがるゝ」
 「紫」は夜の色。「たそがれ」は、「()そ、彼は」といぶかる頃の意。
 「榮華の巷低く見て 向ヶ岡にそゝりたつ 五寮の健兒意氣高し」(明治35年「嗚呼玉杯」1番)
玉ちりばめしおばしまの  かゞやき渡る高どのに まつしきものゝ血をすゝり をはむてふ鬼ぞすむ 2番歌詞 手すりに宝石をちりばめた光り輝く豪華な高層の御殿に、貧しい労働者の血をすすり、肉を食らうという鬼のような資本家が住んでいる。

「おばしま」
 てすりの意の雅語的表現。

「まづしきものゝ血をすゝり 肉をはむてふ鬼ぞすむ」
 労働者階級を搾取する資本家。日本の資本主義は、地租改正と殖産興業を二つの柱とした資本の原始的蓄積過程を経て、明治19年から明治40年ころに産業革命を展開して確立した。その過程で、種々の資本主義の矛盾が露呈し出した。社会主義思想が広まり、各地に労働争議が頻発するようになった。
 明治39年1月 日本平民党、日本社会党結成。
        6月 幸徳秋水、日本社会党演説会で、議会主義か、直接行動かの問題提起。
    40年2月 足尾銅山暴動、軍隊出動。
        4月 幌内炭鉱争議暴動化、軍隊出動。
        6月 別子銅山争議暴動化、軍隊出動。 
馬に鞭ちいろあやの錦の袖をうちりて 見よ幾くむれの魔神こそ 都大路を馳せ狂へ 3番歌詞 四頭立ての馬車に乗って、色美しい金糸銀糸に彩られた着物の袖を靡かせながら、資本家の群れが得意げに都大路を駈け抜けていく。

「駟馬」
 四頭立ての馬車で、貴人の乗り物。

「幾くむれの魔神」
  「魔神」は、労働者階級を搾取する資本家の群れ。「幾く」は昭和10年寮歌集で「幾」に変更された。

「いろあやの錦の袖をうちりて」
 色美しい金糸銀糸の豪華な着物を身にまとって。「袖をうちりて」は大正14年寮歌集で「袖うちふりて」に変更された。
かゝるいぶせきうつし世に 入るべき山はあらじてふ 人に示さんほこりてん 夢安らけき武香陵」 4番歌詞 このように恐ろしい世の中に、安住の地はないというが、向ヶ丘の一高寄宿寮は、世の人に誇るべき夢安らかな桃源の別天地である。

「入るべき山はあらじてふ」
 古今集 「世を捨てて山に入る人山にても なほ憂きときはいづち行くらむ」 

「いぶせきうつしよ」
 おそろしいこの世。
やよ若人よいましめて よしなき知惠の杯を あゝとるなかれ そが中に 毒ある酒ぞ薫るなる 5番歌詞 一高生よ、くだらない知恵の杯なんか、くれぐれも飲まないようにせよ。その酒はいい香りを放っているが、中に毒が入っている。

「やよ若人よいましめて」
 「やよ」は、呼びかける声。「いましめ」は、用心する。慎ませる。

「よしなき知惠の杯を」
 「よしなき」は、くだらない。「知惠」は大正14年寮歌集で「智惠」、昭和10年寮歌集で「智慧」に変更された。
かのいざなひの汐くらき 底なき淵にのぞむとも なが雄心をはげまして をそれおのゝく事勿れ 6番歌詞 知恵の誘いに、暗くて深い海底に引っ張り込まれようとも、君の勇ましい心を奮い立たせれば、何の恐れることもない。

「をそれおのゝく事勿れ」
 「をそれ」は昭和10年寮歌集で「おそれ」に変更された。
のろひに長し世の人は まなこを張りて今なれが 若き血しほをつゝむなる 武者振をのみまもるなり 7番歌詞 たとえ呪の達人が呪をかけ君を不幸に陥れようとしても、君が熱い血潮を滾らせて武者振いをすれば、すなわち尚武の心を奮い立たせれば、驚き恐れ入って何もできない。尚武の心こそが知恵の誘いや世の人の呪から身を守ってくれるの意。
心の玉をみがかんに 他山の石をなにかせむ 行けなが道の一すぢを ゆめふみ迷ふ事勿れ」 8番歌詞 よく他山の石を参考にせよというが、君の心の玉を磨くのに、他山の石などは必要でない。君自身が信んじる道を一筋に前進せよ。決して、踏み迷ってはいけない。

「心の玉をみがかんに 他山の石をなにかせむ」
 「他山の石」は、自分が何かをする際に、いい参考となる例。ここでは、参考にする必要はないという。
 昭憲皇太后 「金剛石も磨かずば玉の光はそはざらん」
 「心中の玉を磨くには、なにも他山の石など必要でなく、自らの決断・精進によって可能であるの意」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)

「行けなが道」
 「なが道」は、汝が道。長道をかけるか。
夢かさめずに思出の わがほゝえみの唇に 秘めて語らずかくれつゝ 尚のこりたるほこりあり 9番歌詞 夢のような向ヶ丘の思い出は醒めることはなく、思い出を語るのは楽しく、唇に笑みがこぼれる。しかし、その唇を閉じて話すこともないので、人には分からないが、今も向ヶ丘で学んだという誇が残っている。
この誇こそ自治寮に 三年の春を過してし 三年の秋を送りてし わが若人の命なれ 10番歌詞 この誇りこそ、一高自治寮に三年の春を過ごし、三年の秋を送ったという、何ものにも代えられない一高生の宝である。
たのしき今宵此むしろ わが歌ひくゝ拙くも かはらぬ色に染め出し 心の響君よきけ 11番歌詞 楽しい今宵、この紀念祭の宴に、我が寮歌の声は低く拙いが、昔と変わらない勤儉尚武の色に染まった心の響を聞いてほしい。

「かはらぬ色に染め出し」
 昔と変わらないと同時に、今の寮生と同じ一高の心を持ったという意。勤儉尚武と訳したのは、6・7番の歌詞から。
つくしの果に今よ今 うたげのむしろうちひらき おなじ思の一百人 杯めぐるたのしさよ」 12番歌詞 一高から西に離れて三百里、筑紫の果ての福岡で、今、紀念祭の宴を開いた。同じ一高の心をもって向ヶ丘を懐かしむ100人が集まり、祝の杯を交わす、なんと楽しいことか。


「同じ思ひの一百人」
 福岡大學はこの時期、正式には京都帝國大學福岡医科大學。学生だけでなく、教官、さらには福岡勤務の卒業生も集まったのであろう(福岡一高会として)。
 明治36年 京都帝國大學福岡医科大學設立。
    44年 九州帝國大學(工科大學のみ)に併合。
                        
先輩名 説明・解釈 出典
園部達郎大先輩

寄贈歌だから時代の先端を切って、『肉をはむてふ鬼』を取り上げた歌が寮歌集に載っているのだろう。この曲はそれかあらぬか軍隊の歌に使われているのに驚く。戰時中、南方の町を歩いている時、これを歌い乍ら歩いている兵の一団をみて、驚くより懐かしかった
  
園部大先輩が南方で軍隊が歌っていたという歌は、軍歌「山紫に水清き」か? この軍歌は、一高寮歌「紫淡く」の借譜で、同じメロディーである。二高寮歌を思わせるこの軍歌の歌詞は、次のとおりである。マルクスの歌が殉国の歌に見事に変っていますね。
    1.山紫に水清き       七州の野に生まれたる
       われら五十の此の校に 集いしことも夢なれや

     2.燃ゆる血潮は殉国の  赤き心を示すべく
       腕なる骨は日の本の  基を固むる材なれや

「寮歌こぼればなし」から
一高同窓会 近代産業の発展に伴い強者による弱者に対する搾取が顕在化し始め、社会主義的思潮が強まりつつある状況を痛烈に把えて詠出している。 「一高寮歌解説書」


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