旧制第一高等学校寮歌解説

蒼茫遠く

明治41年第18回紀念祭寮歌 西寮

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1、蒼茫遠く窈冥(ヨウメイ)の        天路(ミソラ)のはてに憧憬れつ
  久遠(クオン)信念(オモヒ)胸にして     われ世の光地の鹽と
  希望(ノゾミ)に燃ゆる紅雲の    理想よ崇く清かりき

2、時運(トキ)の轍の跡深く      ゑり()精神(ココロ)偲び見る
  十八年の花衣         血潮ぞ熱き青春の
  若き生命(イノチ)の漲れば       ゆくて燦たる命運(サダメ)かな

4、花散る蔭に痴人(シレビト)の      艱苦(ナヤミ)にいたむ時ならじ
  靈峯泉清ければ        自治の力の(タギ)つ時
  凌霄の意氣火と燃えて    沈滞の色影なけむ
各段最終小節各音が4分音符が付点4分音符に、4分休符が8分休符に変更された(昭和10年寮歌集)。譜にそれ以外の変更はない。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
蒼茫遠く窈冥(ヨウメイ)の 天路(ミソラ)のはてに憧憬れつ 久遠(クオン)信念(オモヒ)胸にして われ世の光地の鹽と 希望(ノゾミ)に燃ゆる紅雲の 理想よ崇く清かりき 1番歌詞 果てしなく広々とした青い大空にあるという天路の果てまで、自治が永遠に続くように願って、向ヶ丘に自治寮を立て、自治を未来永劫守ってゆくと固く誓った。希望は、朝日に赤く映えた紅雲のように燃えて、一高生こそは、世を導く光、世の救世主たらんと清く崇い理想を掲げた。

「蒼茫遠く窈冥の」
 青々として果てしなく広がる大空。「蒼茫」は、青々として広いさま。「窈冥」は、奥深くてはかり知ることのできないさま。

「天路のはて」
 「天路」は、天上にある道。また、天へ上る路。

「久遠の信念」
 不変の信念。自治の礎を築き、これを守ろうという固い志操。

「血の鹽」
 (マタイ伝第5章による)塩がすぐれた特性を持つところから、転じて広く社会の腐敗を防ぐのに役立つ者をたたえていう語。

「紅雲」
 くれないの雲。日の出の光に赤く映えた雲。
時運(トキ)の轍の跡深く ゑり()精神(ココロ)偲び見る 十八年の花衣 血潮ぞ熱き青春の 若き生命(イノチ)の漲れば ゆくて燦たる命運(サダメ)かな 2番歌詞 開寮以来の寄宿寮の歩みの跡は深く、その跡を掘った精神、すなわち自治の歴史を振りかえると、それは花衣に包まれた栄光の18年の歴史であった。一高生には、自治を守っていこうと青春の若くて熱い血潮が漲っているので、寄宿寮の前途は洋々と開けている。

「時運の轍の跡」
 開寮以来の寄宿寮の歩みの跡。歴史。

「ゑり來し精神」
 轍の跡を掘った精神、すなわち自治。「ゑり」は「彫り」で彫刻する、ほるの意。

「十八年の花衣」
 一高寄宿寮の十八年の光栄ある歴史。
物の具弛べ かちうたの 甘し香に醉ふ春の夜や 南柯のねむり深くして あゝ世は花に驕れるを 東の海潮ざゐに 曉の鐘音ぞ高き 3番歌詞 戦いに勝って武具を脱ぎ勝鬨をあげた春の夜は、美酒の甘い香に酔うように、世の人は、はかない南柯の眠りに落ちて、一時の花の香に酔い痴れている。日本の海に潮騒の波音が聞こえるように、浮かれた俗人の眠りを醒まそうと暁の鐘の音が高く鳴り響いている。

「物の具弛べかちうたの」
 武具を脱ぎ、勝利の歌を歌う。物の具は、武具兵器。「弛」はゆるめる、はずす。

「南柯のねむり」
 唐の淳于棼が槐の木の南柯(枝)の下に寝て、夢に槐安国に至り、大いに出世して栄華を極めたが、夢が覚めてからその国が蟻の穴であることを知ったという故事。
花散る蔭に痴人(シレビト)の 艱苦(ナヤミ)にいたむ時ならじ 靈臺泉清ければ 自治の力の(タギ)つ時 凌霄の意氣火と燃えて 沈滞の色影なけむ 4番歌詞 今は、平安貴族のように、春の日にのんびりと桜の花の散るのを眺めながら、心痛めて悩む時ではない。霊妙な向ヶ丘の泉は清いので、すなわち、一高の精神は清いので、自治の力が盛んで、寮生の意気は高く、空をも凌ぐように燃えている。寄宿寮が沈滞するなどという気配は微塵もない。
「花散る蔭に痴人(シレビト)の 艱苦(ナヤミ)にいたむ時ならじ」
 紀友則古今84 「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」

「靈臺泉清ければ」
 「靈臺」は、周の文王が建てた物見台。ここでは、向ヶ丘、ないし一高寄宿寮をいう。「泉」は、一高精神。

「凌霄の意氣」
 空をも凌ぐ心意気。
自覺の聲にさめ出でよ 高つ瀬なしてどよみゆく 文化の濤の逆巻きに 無窮のきはみ導かむ 我國民の精粹(イノチ)なる 健兒使命の重ければ 5番歌詞 文明開化で生活が豊かに便利になったが、世人は快楽を貪り贅沢をするようになった。大きな瀬音を響かせながら高い波しぶきをあげ、怒濤逆巻き流れていく文明開化の轟音に、世の人よ、目をさまさないか。我が国民の命運を託された選り抜きの一高生の使命は重いので、末の末のどこまでも国民を導いていこう。

「自覺の聲にさめ出でよ」
 快楽・贅沢に耽る俗人に目を覚ますように呼びかけ。3番歌詞の「曉の鐘の音」でもある。

「文化の濤」
 文明開化で物質的に豊かに便利になり、贅沢をし快楽に耽る世の傾向。その波の大きな音で、目を醒ませと警告している。

「坂巻き」
 水底から波が湧きあがるように激しく波立つ。

「我國民の精粹(いのち)なる」
 「精粹」は、細密で美しく混じりけのないこと。また、えりぬき。
 「大和島根の人々の 心の梶を定むなり」(明治34年「春爛漫の」6番)
新星途に瞬きぬ 曙色杳(アケイロカス)む武香陵 柏の蔭に一(スヂ)の 眞善(マコト)の流水渇れず 八重潮湧かむ蒼海(わたつみ)の のぞみ映ある紀念祭 6番歌詞 夜明けの光りが霞む武香陵に、新しい星が行く手に瞬いた。柏の蔭に一すじの誠の水が流れ、その水は枯れることがない。すなわち、向ヶ丘に自治が誕生し、自治は連綿と現在まで引継がれて、さらに将来へと続いていく。大海原に幾つにも重なった八重潮が湧くように、前途洋々たる希望のある紀念祭である。

「新星途に瞬きぬ 曙色杳む武香陵」
 「新星」は自治の光。明治23年3月、向ヶ丘に一高の寄宿寮が自治を許されて誕生した。ちなみに、有名な明治の箒星の出現は明治43年のこと。「武香陵」は、向ヶ丘の美称。
 「曙色杳む」は、曙は夜が明け、だんだんと明るくなっていくはずであるが、向ヶ丘に立ちこめた霞のために、辺りはまだうす暗いということ。「杳」は、暗い意。
(参考)
 「新星途にまたゝきて 曙色杳む六稜に」(大正2年・六高「新潮走る」)

「柏の蔭」
 柏葉は一高の武の象徴。柏の蔭は、向ヶ丘ないし一高寄宿寮。

「一條の眞善の流」
 傳えの自治。先人から連綿と引継がれていく。
                        


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