旧制第一高等学校寮歌解説

譬えば海の

明治41年第18回紀念祭寮歌 東寮

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1、譬へば海のたヾ中に     聳ゆる(イハ)に似たらずや
  おどろおどろと鳴りひヾき   寄せては返へす仇浪を
  碎きて今日よ十八の     春の潮は還り來ぬ

4、吾友何の歎きぞや       あだし此の世の名は墜ちよ
  万朶の花の散り徂きて     やがてたわヽに實るべし
  遮莫(サハレ)紀念の春今宵        たヾ歡樂の興に入れ
*「万朶」は大正14年寮歌集で「萬朶」に変更された。

5、霞に醉ひて花の(ひら)        空しく凋むことなかれ
  媚にけがれに陽炎(カゲラフ)の      束の間もゆる名は消えむ
  六寮の友とこしえへに      たヾ聖くあれ(サキ)くあれ
原譜は現譜に同じで、変更はない。MIDI演奏は、左右とも同じ演奏である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
譬へば海のたヾ中に 聳ゆる(イハ)に似たらずや おどろおどろと鳴りひヾき 寄せては返へす仇浪を 碎きて今日よ十八の 春の潮は還り來ぬ 1番歌詞 一高寄宿寮は、たとえると、海の只中に聳える大岩に似ていないか。徒に轟々と寄せては返して立ち騒ぐ波を砕いて、すなわち自治の障害を克服、危機を乗り越えて、今日、18回目の春の潮、即ち紀念祭は巡って来た。

「聳ゆる巖に似たらずや」
 一高寄宿寮を荒海に聳え立つ巖に例える。

「おどろおどろと」
 (オドロは擬音語、重ねて)音が騒がしく。歌詞は繰り返し記号〱を用いているが、適当なフォントなく「おどろ」を繰り返し表記した(今後も同じ)。

「仇浪を碎きて」
 「仇浪」は、いたずらに立ち騒ぐ波。栄華の巷から押し寄せる塵芥であり、内なる校風問題、軟弱・快楽主義等、自治を邪魔し、害となるもの。寮歌で魔軍などというに同じ。
 自治寮最大の危機は、明治30年7月の南北寮事件。この事件を契機に新しい南北寮の建設となり、一高自治寮は東・西・南・北・中の5寮が完成して全寮制が可能となった。
 「仇浪騒ぐ濁り世を 汚れを永久に宿さじと」(明治40年「仇浪騒ぐ」1番)
 「大津の浦にものゝふが 夢破りけん語草」(明治36年「彌生が岡に地を占めて」2番)

「十八の春の潮」
 開寮18周年記念日が巡って来た(第18回寄宿寮紀念祭)。
潮や、時のうつろひに 咲きては散りし幾年の 紀念(カタミ)の花を泛べ來て 日ねもすのたりのたりかな 彌生が丘に春の歌 洋々として夢に入る 2番歌詞 時が移っていくとともに、潮の流れは、咲いては散っていった過去幾年の紀念の花を運んできた。春の海は、それらの花を浮かべて、終日、波静かにのんびりとしている。すなわち、紀念祭は寄宿寮の誕生を祝うとともに、過去の寄宿寮の栄光の歴史を偲ぶ日である。彌生が岡に春の紀念祭の歌声が満ち満ちて、一高生を夢の世界へ誘う。

「咲きては散りし幾年の紀念の花を泛べ來て」
 一高寄宿寮の栄光の歴史を思い出させてくれる。「紀念の花」は、栄光の歴史。
 「隅田川原の勝歌や 南の濱の鬨の聲 大津の浦にものゝふが 夢破りけむ語草 かへりみすれば幾歳の 歴史は榮を語るかな」(明治36年「彌生が岡に地を占めて」2番)

「日ねもすのたりのたりかな」
 「日ねもす」は終日。紀念祭の一日、ゆっくりと過去の栄光の歴史に浸るのである。
 蕪村 「春の海 ひねもす のたりのたりかな」

「春の歌」
 紀念祭寮歌。
渺として星一つあり きらめく影の導きに 向が岡に咲く花の 今盛りなる匂かな 紀念の祭壽ぎの 春の歌いや高く() 3番歌詞 遙か彼方の空に星が一つ輝いている。その星の光の導きに、向ヶ丘に咲く自治の花は、今を盛りと咲き匂う。一高生よ、紀念祭を祝って、寮歌をさらに高く歌おうではないか。

「渺として星ひとつあり」
 「渺として」は、はるかに遠く。かすかに。この星は黙示の星であり、自治を導く星である。星は、通常、北斗の星(北極星)である。

「向が岡に咲く花の 今盛りなる匂かな」
 「向が岡に咲く花」は、一高寄宿寮の自治の花。
 万葉集小野 老 「青丹によし奈良の都は咲く花の匂ふがごとく今盛りなり」
吾友何の歎きぞや あだし此の世の名は墜ちよ  万朶の花の散り徂きて やがてたわヽに實るべし 遮莫(サハレ)紀念の春今宵 たヾ歡樂の興に入れ 4番歌詞 友よ、何をそんなに嘆くのか。かりそめの世の名声など、どうでもいいではないか。多くの枝に満開に咲いた花は散っても、やがて、枝もたわわに実がなることであろう。花のような名声はいずれ散るものだ。大切なのは花ではなく、堅実に実をつけるこである。そうではあるが、紀念祭の春の今宵だけは、お互いに歌い躍り、徹底的に紀念祭を楽しもう。

「あだし此の世の名は墜ちよ」
 「あだし此の世」は、かりそめの、はかないこの世。「墜ちよ」は、次句で「名」を「花」に喩えることから、落花という意。どうでもいいと訳した。
 明治39年12月10日、徳富蘆花が「勝の哀」と題して講演、一高生に多大の感銘を与えた。
 「雀ヶ丘に立ってモスクワを見下ろしたナポレオン、奉天会戦に勝利して死屍累々の中に馬を進めた児玉将軍、彼らの胸裡に去来する悲哀を察し、煩悶を思い、槿花一朝の栄を求めず、永遠の生命を求める事こそ一日も猶予できない厳粛な問題であると説いた。この演説に打たれ、荷物をまとめて向陵を去った者が何人もいたという。」(「一高自治寮60年史」)
 「消えて果敢なき名は追はじ」(明治40年「仇浪騒ぐ」5番)

「万朶の花」
 多くの枝にこぼれんばかりに咲いた花。「万朶」は、多くの垂れ下がった枝。大正14年寮歌集で「萬朶」に変更された。「やがてたわヽに實るべし」の句から、この花は桜ではなく、実がなる梅の木か。桜もサクランボに似た小さな実がなるが、「たわゝに實る」とはいわない。

遮莫(サハレ)」
 そうではあるが。

「紀念の春今宵 たヾ歡樂の興に入れ」
 紀念祭のこの日だけは、という意味である。
霞に醉ひて花の(ひら) 空しく凋むことなかれ 媚にけがれに陽炎(カゲラフ)の 束の間もゆる名は消えむ 六寮の友とこしえへに  たヾ聖くあれ(サキ)くあれ 5番歌詞 酒に酔って、花びらをむなしく萎ませることはない。すなわち快楽に耽って、あたら若い身を滅ぼすことはない。へつらいや汚れた方法で、陽炎のように実体のない束の間の名声など得ても、どうせ消えてしまう、はかないものだ。六寮の一高生よ、君らは、永久に、ただ清くあれ、幸あれと願う。

「霞に醉ひて」
 「霞」は、空がぼんやりして遠方が見えない霞ではなく、酒のこと。

「束の間もゆる名は消えむ」
 4番歌詞「「あだし此の世の名は墜ちよ」と同趣旨。
                        


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