旧制第一高等学校寮歌解説

袖が濱邊の

明治40年第17回紀念祭寄贈歌 福岡大

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1、袖が濱邊の夕潮に    浮ぶ鷗の夢さめて
  今ししばなく夕かな    島影遠きいざり火の
  浪にうもれず輝きて    思出多き吾等ぞや

2、偲ぶ昔の月影に      若き血躍る春の宵
  霞おぼろにかくすとも   一搏雲を分けのぼる
  想像(オモイ)の翼風を切り     行衛も知らず迷ふかな
*「知らず」は昭和50年寮歌集で「知らに」に変更。

7、今よ杯さヽげつヽ      吹く風清き松原に
  つどへる九十有餘人   一つ心に東路の
  自治の根城の語草    聞くだに肉の躍る哉
現譜は原譜に同じで、変更はない。左右のMIDI演奏は、同じ演奏である。


語句の説明・解釈

語句 箇所 説明・解釈
袖が濱邊の夕潮に 浮ぶ鷗の夢さめて 今ししばなく夕かな 島影遠きいざり火の 浪にうもれず輝きて 思出多き吾等ぞや 1番歌詞 袖が浜辺に夕潮が引いて、のんびりと海に浮んでいた鴎が夢から醒めた。今、夕方の浜辺で餌をあさりながら盛んに鳴いている。遠く島影の見える沖には、いざりびの赤い火が波間を見え隠れして揺れている。我ら一高出身者は、鴎が干潟で群れて鳴いているように、福岡醫科大學で大いに楽しく過ごしている。

「袖が濱邊の夕潮に」
 「袖が濱邊」は、古く平清盛が日宋貿易のために築いた博多の港。中国、朝鮮との貿易港として栄えたが、慶長年間には埋没した。袖の湊。
 「筑紫の富士にくれかゝる 夕の色の袖が浦」(明治45年「筑紫の富士に」1番)
 伊勢物語26 「思ほえず袖に湊の騒ぐかな もろこし舟の寄りしばかりに」
 新古今集以後、この歌を本歌にした歌が多くなり、「袖の湊」という成句が生まれた。
 「夕潮」は、夕方に満ちてくる潮、または引いてゆく潮。満ち潮か引き潮かどちらか不明であるが、一応、引き潮としておく。浜辺に干潟が出来て群をなして餌を漁る鴎の様子が想像しやすい。ちなみに平成23年3月1日の満潮潮時刻は8:33、20:02、干潮時刻2:23、13:55である。
「鷗」
 夏、カムチャッカ・シベリア・カナダなどの海岸に繁殖。冬は日本に現れ全国の海岸に群棲。春には、一高のある北方向に帰る。浜辺で群をなして鳴いている様を、福岡醫科大學に学ぶ一高生に重ねる。

「しば」
 度数の多い意。たびたび。「しばなく」は、盛んに鳴く。

「いざり火」
 沖に出て漁をするときに焚く火。魚を誘うためのもの。

「思出多き」
 「思出」は、思い出す縁となるもの、深く心にとどまるほどの無上の楽しみ。大いに楽しくと訳した。
偲ぶ昔の月影に 若き血躍る春の宵 霞おぼろにかくすとも 一搏雲を分けのぼる 想像(オモイ)の翼風を切り 行衛も知らず迷ふかな 2番歌詞 昔、向ヶ丘で眺めた月影を偲ぶだけで、青春の若き血が躍る。今宵は、福岡でも紀念祭を祝う日だ。春の霞が月を朧に隠そうとしても、一高を想う翼を一搏ちして風を切って雲をかけ上り、月を探してどこまでもさ迷う。

「偲ぶ昔の月影に」
 在原業平 「月やあらぬ春や昔の春ならぬ. わが身ひとつはもとの身にして」
 「昔ながらの月影に 歌ふ今宵の紀念祭」(明治40年「仇浪騒ぐ」5番)

「行衛も知らず」
 「知らず」は昭和50年寮歌集で「知らに」と変更された。霞が月を隠したので、どちらへ行ったら月を見つけることが出来るか分からない。「月を探してどこまでも」と訳した。
 「どこまでいくか分からず。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
胡蝶も花の香に飽きて 醉ひ飛び歩く今の世に いしくも立てる岡の上の 色も變ぬ自治の旌 昔ながら櫻咲き 昔ながらの月もさす 3番歌詞 蝶が花の香に飽きて、花から花へ酒に酔ったように飛び移るように、今の世は考えに節操がなく浅はかだ。その点、向ヶ丘の上に厳かに立つ一高寄宿寮の自治共同の旗の色は、昔と変わらない。向ヶ丘では、昔ながらの清い桜が咲き、昔ながらの澄んだ月が射している。

「胡蝶」
 蝶の雅語的表現。

「いしくも」
 「いしく」(形)は、見事である。立派である。

「色も變ぬ」
 大正14年寮歌集で「變らぬ」に変更された。
のゝしりさわぐ軒の端の 雀は君がさつ矢もて 射るべきほどの得物かは 野邊に亂るゝ醜草は 君が利鎌にかりとりて 駒飼ふしろに足らじかし 4番歌詞 軒の下で、ののしり騒ぐ雀は、君の猟に使う矢で射るほどの獲物であろうか。野辺に乱雑に生えている汚い雑草は、君の鋭い鎌で刈り取っても、馬の飼葉にもならないではないか。

「軒の端」
 軒下。

「さつ矢もて 射るべきほどの得物かは」
 「さつ矢」は蝋矢。威力ある矢。本来は、縄文時代からある石の矢に対し、朝鮮から渡来した金属の矢じりの、強力有効な矢の意。
 「得物」は、昭和50年寮歌集で「獲物」に変更された。
 「かは」
 ・・・だろうか。

「雀 醜草」
 明治39年9月5日、突如として向陵を大いに揺るがした栗野転校事件。「雀」「醜草」は転校性栗野昇太郎や省議で転校を認めた文部省を指すか。
 この転校は、時の首相西園寺公望の指示により外交界の長老栗野慎太郎の息子を五高から一高に転校させたものといわれる。五高では大川周明が中心となって転校を認めた文部省の省議撤回運動を展開した。
 一高・五高の文部省に対する省議撤回要求は功を奏することなく、一高ではこの問題を新渡戸校長に一任して一応の決着を得た。結果は、有耶無耶のうちに栗野の転校を認めるものであった。ために校長に対する反感はますます強くなり、やがて明治42年3月1日、紀念祭当日に爆発、有名な大学生末弘嚴太郎(事件当時の寮委員)等による新渡戸校長弾劾事件へと発展する。
 4番歌詞は、この栗野転校事件を踏まえて作詞されたと解す。そんな小さな事件は大騒ぎすることなく、「捨て置け」という意味である。

「駒飼ふしろ」
 馬の餌。馬の飼葉(の代わり)。「しろ」は代わりの物の意。

「足らじかし」
 相応しくないではないか。「かし」は、強く相手に念を押す助詞。
わが行くかたを眺むれば 悲しや道のかげうすき 誠少なきうつし世に 見よ力あるみちびきの 光は高く照し來て ほこりにみてるわが歩み  5番歌詞 誠の少ないこの世の道は、悲しいかな、暗くてよく見えない。しかし、我が行くかたを眺めると、見よ、力ある導きの光は空高く照らし来た。その光りのお蔭で、わが歩みは誇りに満ちている。

「みちびきの光」
 四綱領の導きの光と解す。一高同窓会「一高寮歌解説書」は、「一高の指導的な精神」という。
 「世の人皆は迷ふとも 我は迷はじ一すじに 踏み行く道は四綱領」(明治34年「全寮寮歌」2番)
浮世の夢にあこがれて 人みな狂ふ春の夜に おもひ來れば吾等こそ まれなる幸を身に負ひて 魔神の前もたぢろかず 深き思にふけるなれ 6番歌詞 浮世の快楽に、世人は皆遊び呆ける春の夜に考えるに、向ヶ丘に塵を避け清い心を持って過ごしいる我らこそ、稀な才能に恵まれて、快楽の誘惑を払いのけ、真理の探究に耽ることが出来るのだ。

「魔神の前にもたぢろかず」
 快楽への誘惑を払いのけ。「たぢろかず」は昭和10年寮歌集で「たぢろがず」に変更された。
今よ杯さゝげつゝ 吹く風清き松原に つどへる九十有餘人 一つ心に東路の 自治の根城の語草 聞くだに肉の跳る哉 7番歌詞 今、福岡一高会の九十余人が清い風の吹く千代の松原に集まって、紀念祭を祝って杯をささげた。一つ心に思うは、ただ、遙かかなたの東路の自治寮のこと。話を聞くだけでも、青春の血湧き肉躍る。

「松原」
 鉄道唱歌に、天の橋立、美保の浦とともに三松原の一つと歌われた千代の松原か。
 「千代の松原磯づたい 梢をわたる譜のしらべ」(明治45年「筑紫の富士に」2番)

「つどへる九十有餘人」
 人数が多いのでは?福岡大學はこの時期、正式には京都帝國大學福岡醫科大學。学生だけでなく、教官、さらには福岡勤務の卒業生も集まったのではないかと思う。福岡醫科大學は、明治36年、京都帝國大學福岡医科大學として発足、同44年に九州帝國大學(工科大學のみ)に併合された。

「東路」
 都から東国へ行く道筋。主として東海道をさす。

「聞くだに」
 「だに」は副助詞(係助詞とも)で、・・・だけでも。(否定の場合)・・までも。
いざ立ちて舞へ聲高く 吾は歌はん自治の歌 (トモシビ)あかきこの席 晴れたる眉の匂ひつゝ 酌みかはすなる杯に あふるゝ酒ぞかほるなる 8番歌詞 君は、いざ立って舞へ。我は声高く自治の歌を歌おう。灯が赤く燃え、皆の顔は晴々と輝いている。酌みかわす杯に溢れる酒がいい香りを放っている。

「晴れたる眉」
 晴々とした顔つきをいう。

「かほる」
 昭和50年寮歌集で「かをる」に変更された。
                        


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