旧制第一高等学校寮歌解説
思ふ昔の |
明治40年第17回紀念祭寄贈歌 京大
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1、思ふ昔の濁り行く 時の流をせき止むと 自治の根城に籠りつヽ 男子一度誓ひしものを 十有七年人去らば 忘れて遠き花心 2、輕浮の風の吹すさぶ 冶容の俗に誘はれて 道の光のあやをなみ 移に馴るる夢幻の歩み あくがれ出ん城の扉を 叩けば開く矢の響 5、守るもかたき雄心に 眉をあぐれば武夫の 高き 向陵三とせ千餘人 蕾に清き友垣の |
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4段1小節5音に付点があったが、4分音符に訂正。 昭和10年寮歌集で4箇所にタイが付されただけで、原譜は現譜に同じである。 |
語句の説明・解釈
この寄贈歌は、明治40年の寮歌6曲、寄贈歌3曲計9曲の中で、唯一、歌詞に「月」が登場しない寮歌である。その代り、「籠城」ないし「籠る」という語を、1番(自治の根城に籠りて)、4番(求めてここに籠り來し)、6番(雲形萬里籠城の)で使用し、個人主義・快楽主義の風潮の蔓延る寮の現状を嘆き、自治を決意して健兒一千が俗塵を避けるために向丘に籠城した立寮の精神に返ることを後輩に対し強く訴える。それは、とりもなおさず籠城主義を否定する新渡戸校長のソシアリティー思想と真っ向から対立するものである。 |
語句 | 箇所 | 説明・解釈 |
思ふ昔の濁り行く 時の流をせき止むと 自治の根城に籠りつヽ 男子一度誓ひしものを 十有七年人去らば 忘れて遠き花心 | 1番歌詞 | 明治23年3月、文明開化で濁り汚れてゆく世の中を嘆き俗塵を絶とうと、全一高生千人がここ向ヶ丘の自治寮に籠城した。男児が一たび誓ったものを、17年もたって、当時の事情を知る寮生がいなくなると、この立寮の精神をすっかり忘れてしまって、皆寄宿制度の廃止だとか、ソシアリティーだとか、籠城主義を批判する浮かれ者が出てきた。嘆かわしいことだ。 「思ふ昔の濁り行く 時の流をせき止むと。」 立寮の精神。文明開化により俗化してゆく世間の俗塵を絶とうと。 「明治23年の2月、東西二寮の竣工を機に木下廣次校長は第一高等中学校(一高の前身)の寄宿寮に自治制を与えることを提言した。これを受けて赤沼金三郎をリーダーとする生徒全員の劇的な賛同によってきわめて短期日のうちに自治寮の規約が定められ、「四綱領」を規範とする自治の体制が整えられて、自治寮は3月1日にスタートした。皆寄宿制の実施は11年後の明治34年となるが、23年当時の自治制の導入は画期的なものであった。」(「一高自治寮60年史」) 「苟も此惡風に染まざらん事を欲せば宜しく此の風俗に遠ざかり、此書生との交際を絶たざるべからず。而して此目的を達せんが爲には籠城の覺悟なかる可からず。我校の寄宿寮を設けたる所以のものは此を以て金城鐡壁となし世間の惡風汚俗を遮斷して純粋なる徳義心を養成せしむるに在り。決して徒に路程遠近の便を圖り或は事を好みて然るに非る也。」(「向陵誌」明治23年2月24日木下校長訓辞) 「仇浪騒ぐ濁り世の 汚れを永久に宿さじと」(明治40年「仇浪騒ぐ」1番) 「自治の根城に籠りつゝ」 俗塵を避けるため、皆寄宿制度の下、一高生は全員、向ヶ丘の自治寮で高校生活三年をおくった。開寮17年も経つと、籠城主義の初心を忘れてしまったようだと先輩として嘆く。 「花心」 花に浮かれた心。籠城主義を否定する個人主義の主張、新渡戸校長のソシアリティー。 |
輕浮の風の吹すさぶ 冶容の俗に誘はれて 道の光のあやをなみ 移に馴るる夢幻の歩み あくがれ出ん城の扉を 叩けば開く矢の響 | 2番歌詞 | やれ個人主義だ、やれソシアリティーなどと、軽々しく浅はかな世俗の毒に侵されて、個人主義の主張者は、一高の伝統籠城主義を否定するような主張している。一高寄宿寮の踏むべき道は四綱領である。彼等は自治の光の導きをなくしたので、暗闇の中で夢まぼろしを見て好き勝手を言って騒いでいるだけだ。現実はそんなものではない。城の外に憬れて、ふふらふらと籠城の城門を開こうものなら、俗人達の醜い争いで騒々しい限りだ。流れ矢が城内に飛び込んで来るかもしれないぞ。 「輕浮の風」 かるがしくて浅はかな風潮。「輕浮」は軽佻浮薄。 「冶容の俗」 なまめかしい俗人。 「任侠の風跡を絶つ 冶容の俗に交はれば」(明治36年「比叡に山に我立ちて」3番) 「移に馴るる夢幻の歩み」 「移」は、昭和10年寮歌集で「侈」に変更された。「おごり」の意か、「ほしいままに」の意か。どちらでも意味が通じる。 「あくがれ出ん城の扉を」」 「あくがれ」は、本来いる場所からふらふら離れる。離れる。浮かれる。「城の扉」は、籠城している寄宿寮から、俗界への出口の門。 「矢の響」 俗人たちが相争う騒々しい音。 「道の光のあやをなみ」 踏むべき道の光がなくなったので。「踏むべき道」は四綱領。「文」は、事物の筋目。ここでは導きと訳した。「なみ」は「無み」、「み」は接続助詞で、形容詞(まれに形容詞型活用の助動詞)の語幹につく。多く上に「を」を伴い、「・・・のゆえに」「・・・なので」の意で、原因・理由をあらわす。 「我は迷はじ一すぢに 踏み行く道は四綱領」(明治34年「全寮寮歌」2番) 「かたみに語らふ友をなみ」(大正15年「烟り争ふ」3番) |
内に自覺の |
3番歌詞 | 内に自治を守ろうとする自覚がないと、俗界の俗塵が寮内に侵入してくる。そうなると、露草の花で染めた色がすぐ消えてしまうように、自治共同の心は消えてしまい、寮内のあちこちに醜いしこ草が茫々と生い茂る。すなわち個人主義やソシアリティーの籠城主義否定の主張が勢力を得る。広い庭の何処からか俗塵が侵入するのではないか、自治の守りは大丈夫だろうかと心配に思う。 「自覺の慨」 自治を守るという自覚。「慨」のルビは大正14年寮歌集で「おもひ」に変更された。 「花染の心の色のうつろはゞ」」 「花染」露草の花などで染めること、またその色。色の消えやすい喩えにいう。桜の色に染めることにもいう。「うつろふ」盛りの時が過ぎる。あせる。 「亂れて生へんしこ草小草」 あちこちにたくさん醜い草々がのびる。「小草」には草の美称の意もあるが、ここは、しこくさの繰り返し。「生へん」は普通は上二段活用「生ひん」。昭和10年寮歌集で一時「生へに」に変更。誤植か。「生」のルビは「お」に変更された。 「しこ草小草」 醜い草。汚い草。 「廣庭」 玄関先の広い庭。校庭、または寮庭。広い庭の何処からか俗塵が侵入するのではと不安だ。 |
操を立てし其 |
4番歌詞 | その昔、自治を守って向ヶ丘に籠城すると固く誓った先人の悲壮な決意を思ったならば、向ヶ丘に籠城して、世の塵を絶っても自治は絶たぬと、一筋に寄宿寮を永遠に守っていかなければならない。 「操を立てし其上の」 「操」は、自治を守ると誓った盟。「上」は過去、昔。 「濁り行く世を嘆きつつゝ 操と樹てし柏木の 旗風かをる寄宿寮」(明治34年「全寮寮歌」1番) 「世のちりを絶て共絶たぬ道の一すぢ」 塵は絶っても、自治は絶たぬと一筋に。「共」は昭和10年寮歌集で「ども」に変更された。 「ときはかきは」 寮歌でよく使われる言葉でいえば、「とことはに」(永久に)の意。 「ときは」(常磐・常盤 トコ〈常〉イハ〈磐〉の約))は、永遠に、しっかりと同一の性状を保つ岩。転じて、永遠に変わることのないさま。 また、樹木の葉が一年中色を変えないこと。常緑。「かきは」(堅磐 本来はカタイハの約でカチハとあるべき語。「ときは」のキに引かれて誤ったもの。) 「ときはかきはに我が君の御代(拾遺愚草上)。 「ときはかきはに我寮の 光を四方に傳へてむ」(明治34年「全寮寮歌」5番) |
守るもかたき雄心に 眉をあぐれば武夫の 高き |
5番歌詞 | 自治を固く守るという勇ましい心に、眉をあげれば武士の怒った姿となる。梅の蕾は花咲くまではほんのすこしの塵も嫌うことから、梅の花は一高生に、武士の雄々しい心だけでなく、あわせて清い心を持つようにさとす。向陵三年の間、この清い梅の蕾に一高生千余人は、友と友情を結ぶのである。 「眉をあぐれば」 「眉をあぐる」は眉をつりあげるで、怒った様子にいう。 「ちりだもいとふ」 「だも」は、・・・でさえも。だにも。 「蕾に清き友垣の」 「春や昔の花の香に 結び置きけん友垣や」(明治40年「仇浪騒ぐ」1番) |
結びてとぢて清かりし 昔を思ふけふこゝに 母校の棟に立つ |
6番歌詞 | 一高寄宿寮で結んだ友との友情は本当に清かったと今も昔を懐かしんでいる。六寮の屋根の上に立つ戦闘用の白羽の矢が俗界に向け放たれ空の果てまで飛んでいった。籠城を叫ぶ寮歌の歌声は、遙かかなたの雲にまで響き渡った。一高生の勤儉尚武、籠城主義を讃える。 「母校の棟」 寄宿寮の棟と解す。棟は屋根の一番高い所。 「征矢」 実戦用の戦いの矢。勤倹尚武の心をいう。俗界の塵埃を防ぐための戦いの矢である。 |