旧制第一高等学校寮歌解説

あゝ大空に

明治40年第17回紀念祭寄贈歌 東大

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1、あゝ大空に照る月の    かげに(コガ)れて昔より
  いくその人や逝りにけむ。 あゝ海洋(ワタツミ)の底ふかく
  沈める真珠を拽るべく   いくその舟や沈みけむ。
*「拽る」は昭和10年寮歌集で、「捜る」に訂正。

2、花を浮べし川波に      映るを其れと掬へども
  碎けて跡はなかりけり。  道の光は(アハ)くとも
  無限を慕ふ人の子の    胸にもやどれ空の月。

3、天日亘る五大洲       碧水めぐる四の海
  覇を東西に争ふも      時劫の車遷るとき
  誰れか隻手に止むべき   棄てよ此の世の(アダ)し名は。

*歌詞の句点は、大正14年寮歌集で全て除去。
音符下2番歌詞6段「やどる」は「やどれ」の間違であるが、そのままとした。
第2段3小節1音ド(違和感があるが、大正7年寮歌集もドで誤植ではなさそうである)がソに改まっている。その他は、ほぼ現譜と同じ。
昭和10年寮歌集で、次のとおり変更された。スラー・タイの箇所は下線で示す。
1、「むかしよ」(2段3小節)の「む」  ドがソに変更された。
2、リズムの変更  タタ(連続する8分音符)のリズムは、すべてタータ(付点8分音符と16分音符)に変更された。
3、スラー・タイ  「そーらに」(1段2小節)、「むしよ」(2段3小節)、「んー」(3段3小節)、「つー」4段2小節)、「たー」(5段2小節)、「」(6段3小節)  


語句の説明・解釈

この年の寮歌に続き、寄贈歌3曲中2曲に、「月」が登場する。やはり新渡戸新校長の処世訓「見る人の心ごころにまかせ置きて高嶺に澄める秋の夜の月」およびソシアリティー思想の波紋が卒業生にも及んだということであろう。

語句 箇所 説明・解釈
あゝ大空に照る月の かげに(コガ)れて昔より いくその人や逝りにけむ。 あゝ海洋(ワタツミ)の底ふかく 沈める真珠を拽るべく いくその舟や沈みけむ。 1番歌詞 大空に照る月の光に憬れて、昔からどのくらい多くの人がこの世を去っていったであろうか。また、海の底深く真珠を獲ろうとして、どのくらい多くの船が沈んでいったことであろうか。

「あゝ大空に照る月の」
 ここにも、「月」が登場。(2番にも「胸にもやどれ空の月」)
 「歌詞1番前半は、762年11月、62歳で李陽冰の家で死んだ李白に関する俗伝(江上に船を浮べ酔った余り水に映った月を捉えようとして身をひるがえし溺死した)を念頭においたものか。」(井下一高先輩「一高寮歌メモ」)
 阿倍仲麻呂 「あまの原ふりさけ見れば春日なる みかさの山に出でし月かも」

「沈める真珠を拽るべく」
 「拽る」は昭和10年寮歌集で「捜る」に変更された。
 万葉1317 「海の底しづく白玉風吹きて 海は荒るとも取らずは止まじ」

「いくそ」
 どれくらい多く。
花を浮べし川波に 映るを其れと掬へども 碎けて跡はなかりけり。 道の光は(アハ)くとも 無限を慕ふ人の子の 胸にもやどれ空の月。 2番歌詞 花を浮かべた川波に映った月の影を本物と思って掬ったが、砕けて影も形も無くなった。人の踏むべき道を照らす月の光は微かであっても、月よ、限りなく道を求める人の子、すなわち一高生の胸に宿ってくれ。

「空の月」
 ソシアリティーを説く新渡戸稲造校長のことか。

「人の子」
 一高生。若き日の三年間、向ヶ丘に旅寝して、人生修養と眞理の探究に励む。
天日亘る五大洲 碧水めぐる四の海 覇を東西に争ふも 時劫の車遷るとき 誰れか隻手に止むべき 棄てよ此の世の(アダ)し名は。 3番歌詞 太陽は地球の五大陸を順次照らし、世界の海には青色に深く澄んだ水を湛える。アレキサンダー大王やチンギス・カンは欧亜両大陸にまたがる大帝国を建設したが、その大帝国の繁栄も長い地球の歴史からみれば一時のことであり、やがて時が移って滅んでしまった。誰が滅亡に向かう時計の針を簡単に止めることができたであろうか。そんなことは出来ない。この世のはかない栄達名誉などは追うべきものではない。

「五大洲 四の海」
 世界中の大陸、世界中の海。
「五大洲」  アジア・アフリカ・ヨーロッパ・アメリカ・オセアニア州の総称。
「四つの海」 四方の海。世界中の海。
「太平洋・大西洋・インド洋、今一つは不明。北極海か。」(一高同窓会「一高寮歌解説書」)
 (参考)世界中の海は、19世紀以降は、「七つの海」といい、南北太平洋・南北大西洋・北極海・南極海・インド洋をいう。七には「すべて」の意味がある。七の数字に合わせるために太平洋、大西洋を南北二つに数えた。七つの海には時代により、地中海、北海、紅海などが入った。 
「覇を東西に争ふも」
 覇権を東西両大陸に争っても。欧亜両大陸にまたがる大帝国を築き繁栄しても。

「時劫の車遷るとき」
 長い時間が経過する中に。劫は、極めて長い時間、刹那の逆。時間を車に例える。

「隻手に」
 片手で簡単に。

「棄てよ此の世の空し名は」
 この世の栄達名誉などは求めるべきでない。
 「消えて果敢なき名は追はじ」(明治40年「仇浪騒ぐ」5番) 
 徳富蘆花演説「勝の哀」(明治治39年12月10日)
 「雀ヶ丘に立ってモスクワを見下ろしたナポレオン、奉天会戦に勝利して死屍累々の中に馬を進めた児玉将軍、彼らの胸裡に去来する悲哀を察し、煩悶を思い、槿花一朝の栄を求めず、永遠の生命を求める事こそ一日も猶予できない厳粛な問題であると説いた。この演説に打たれ、荷物をまとめて向陵を去った者が何人もいたという」(「一高自治寮60年史」)
榮華の極か花の香か 聲なほ耳にひヾけ共 かの洛陽の輕薄兒 罪萬頃の波の上 榮、一時の色に醉ひ 夢に浮かれておどるかな。 4番歌詞 「平氏にあらずんば人にあらず」と天下に公言して憚らなかった平氏一門は、驕りの極みを尽くし、花の香に浮かれていたので、源氏との戦いに負け、哀れ壇ノ浦の海の藻屑と成り果てた。一時の栄華に酔い、武家の棟梁の本分を忘れ、詩歌管弦の夢に浮かれて地に足がついてなかったからだ。
1185年3月 義経、長門壇ノ浦で平氏を破る。平氏一門滅亡。安徳天皇入水。

「聲なほ耳にひヾけ共」
 「平氏にあらずんば人にあらず」(平家物語)か。「共」は昭和10年寮歌集で「ども」に変更。

「洛陽の輕薄兒」
 第1回対三高野球戦で、9回裏大逆転したと軽率にも思い込み、欣喜雀躍しぬか喜びした三高野球部・応援団とした前説を改め、今は武家の棟梁でありながら、詩歌管弦にうつつを抜かし公家化してしまった平氏の公達達とする。
 森下東大先輩のコメントは、前説が妥当であるとするもので、次のとおりである。
 「『洛陽の軽薄児』を平家と解するのはちと乱暴ではないでしょうか。ここはやはり、明治39年4月6日に一高球場で行われた野球の一高・三高戦のために上京した三高の選手及び応援団を指すと見る方が自然でしょう。確か貴兄も以前はその見解だったのではありませんか。試合は一高1点リードで迎えた9回裏、三高は2死で走者は3塁と2塁にあり、打者稲垣の右中間の大難飛球に3塁から山西、2塁から木下が勇躍本塁に殺到、一時は三高側が大歓声に沸いたが、一高の加福右翼手の好捕によりゲームセット、一高が5対4で勝利しました。『かの洛陽の軽薄児』は三高の選手及び応援団を指し、『栄、一時の色に酔ひ夢に浮かれてをどるかな』は9回裏の三高側のつかの間の欣喜雀躍を揶揄したものでありましょう。」(森下東大先輩コメント)
 「ここでは必ずしも京都を意味するわけではなく、『都会の軽薄な若者』を『洛陽の軽薄児』と表現したものと思われる。」(一高同窓会「一高寮解説書」)
 なお、藻岩豊平著「一高魂物語」で、「一高如何に衰へたりと云へ、虚しく長安緋袴の子弟をして何時まで勝ち驕らすべき。『彼洛陽の輕薄兒、罪萬頃の波の上、榮え一時の色に醉ひ、夢に浮かれて躍るかな』と彼等は謳った。・・・41年の春は一高のとって徒事では無かった。」とあり、明治40年の第2回対三高野球戦の敗北をうけ、復讐を誓う寮歌のように引用されているが、この寮歌は明治40年3月1日紀念祭の寄贈歌であり、一高が三高に勝利して作られたものであって、復讐を誓う寮歌ではない。

「罪萬頃の波の上」
 平氏一門が壇ノ浦の戦いで源氏に滅亡させられたこと。「萬頃」は地面や水面が非常に広いこと。
『一波動きて万頃(万波とも)随ふ』とは事件が小さくとも、その影響力が大きいこと」のたとえであり、『罪万頃の波の上』は、このぬか喜び事件が爾後の三高に及ぼす影響の大きさを指摘したものでしょう。事実三高は、続く対慶応戦にも意気上がらず4対0で敗れ、傷心の帰洛となりました。」(森下東大先輩コメント)

「おどるかな」
 昭和50年寮歌集で「をどるかな」に変更された。
まだ染み果てぬ白絲の 若き我等の起たずんば いつか織るべき文錦 見よ混濁の浪さわぎ 棹さす術もあら海に 自由の旗ぞ翻へる。    5番歌詞 まだ世俗の塵に染まっていない純粋な若い我等が起たなければ、何時、文錦のような立派な織物が織ることができるだろうか。すなわち、汚れた世の中を正し、大業を果たすことが出来るであろうか。濁った波が騒ぎ正義が通らない、棹さす術もない荒海に、自由の旗が翻るのを見よ。

「まだ染み果てぬ白絲の」
 まだ色の染めていない白糸の。まだ塵を留めていない。純真な。「白糸」は、染めない、白い糸。「果てぬ」の「ぬ」は打消しの助動詞「ず」の連体形。

「文錦」
 綾と錦。綾は単色の、錦は多色の美しい織物。偉業、大業。

「混濁の浪さわぎ」
 「混濁の浪逆巻きて 正義の聲の涸れし時」(明治35年「混濁の浪」1番)
 明治40年1月21日 東京株式相場暴落(日露戦争の戦後恐慌)
「棹さす術もあら海に」
 「術もあらぬ」と「あら海」を懸ける。

「自由の旗ぞ翻へる」
 一高寮歌で、「自由」の語は珍しいが、この年は2寮歌で登場(他は「朝金鷄たかなきて」)。魚住影雄や安倍能成のや個人主義の主張、新渡戸校長のソシアリティーの影響であろう。
纓を孤城に君絶たば 陳勝呉廣我れ期せん 歴史は古き向陵の 六つの甍に苔むして 妖魔影なくひそむ時 聖者も舞はむ春の曲。 6番歌詞 官職を辞し独り孤立無援の城に籠って正義のために君が戦うというならば、自分は秦末、陳勝・呉広が劉邦・項羽ら群雄の挙兵の魁となったように、君のもとに真っ先にかけつけよう。向陵の歴史は古くなって六寮の甍に苔生した。自治の礎が固まったので、自治を邪魔する妖魔は影を晦ました。清き心の一高生は紀念祭を祝って寮歌を歌い踊る。

「纓を孤城に君絶たば 陳勝呉廣我れ期せん」
 官職を辞し独り孤立無援の城に籠って正義のために戦うと君がいうならば、自分は真っ先にかけつけよう。
 「纓」は冠の紐、「孤城」は孤立し、また助けのない城。
 「陳勝・呉廣」は、両者とも秦末、河南の人。前209年秦の暴政に苦しむ民衆を率いて反乱を起こし、劉邦・項羽ら群雄の挙兵の導火線となった。世に先がけて起つ例に用いられる。
 「濁りに染まぬ白糸の 纓を孤城に我絶たん」(明治42年「紅雲映ゆる」5番) 

「六つの甍苔むして」
 寄宿寮が年を経て、自治の礎が固まったさまを形容。「六つの甍」は、東・西・南・北・中・朶の6棟の一高寄宿寮。

「妖魔 聖者」
 「妖魔」は自治を邪魔し害する魔軍。「聖者」は、自治を守る一高生。あるいは七番歌詞との脈絡で、「野に呼ぶ人」洗礼者ヨハネと考えるのは行き過ぎか。
野に呼ぶ人の聲いづこ 生命の泉、はたいづこ 春は十七、若き血の 炎と燃えて鋨も焚く 袖は紅、花も咲く 希望は永き千餘人。 7番歌詞 荒野に立って神の国近きを説く洗礼者ヨハネはどこにいらっしゃるのだろうか。神がアブラハムとその子孫に与えると約束した生命の泉・カナンの地はどこにあるのだろうか。今年17回目の紀念祭に、一高生の若き血は炎と燃えて鉄も燃やしてしまうほどだ。鎧の袖は紅色で、桜の花のように花やかで美しい。一高生千余人の前途は洋々としている。

「野に呼ぶ人の聲いづこ」
 イエスの洗礼者ヨハネ。神の国の近きを説きヨルダン川付近で多くの人に洗礼を施した。
 「荒野に立てるヨハネとや 落暉に叫ぶ新人が」(大正9年「あかつきつぐる」2番)

「生命の泉、はたいづこ」
 神がアブラハムとその子孫に与えると約束したカナン(パレスチナ地方の古名)の地で、「乳と密の流れる地(里)といわれた。
 「生命の泉綠の野 露けき丘の故郷に」(大正15年「生命の泉」1番)

「春は十七」
 第17回紀念祭。

「鐡も焚く」
 「鐡」は、敵の刀や槍、矢じり。

「袖は紅」
 「袖」は、鎧の、肩から肘の部分を覆い、矢や刀を防ぐもの。
 「鎧の袖の一觸に 物も言はさで逐ひ返し」(明治36年「野球部部歌」3番)
                        


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